上手く人の流れに乗りこんで、屋台を眺めてみる。
 これといって目新しいものが売ってなくても、伝統的な感じがして楽しい。ソースが焦げる匂い、甘いスイーツみたいな匂い。それぞれが私の鼻孔をくすぐる。
 もう夕暮れになってきた。いい感じにお腹が空いてくる。空腹の音が鳴りませんように願いつつ、隣に歩く人物に声をかけてみる。
「......は、花くんってさ。何か食べたいものってないかなあ」
 まだなにも食べてなかったね、と花くんも頬を喜ばせる。彼が食べたいと指さしたのはたこ焼き屋だった。
 短い列に並びながら、調理台の方に目をやる。今投げ入れられたたこは、ぐつぐつとしたたこ焼き器の上でまるで踊っているよう。そんなことを思っていたら、あっという間にころんとひっくり返されてしまった。すぐに丸いのができあがる。
 おおう、その手さばきはまさしく職人技。
 なんて感心していたら、あっという間に自分たちの番がきてしまった。
「ひとつください」
 私がにこりと店員に告げると、店員は私たちの顔を交互に見た。そして軽妙な口調で告げてきたのだ。本当にデートだと思われたのかもしれない。
「マヨネーズ、いるー?」
 私たちはお互いの顔を見合った。軽くうなずくと、せーので答えた。
「いるー!」
 他にも焼きそばを買って、神社の隅にあるベンチに座る。近くにある電灯が開いたパックから上がる湯気を照らし出していた。その様子を見ていたらもう我慢できなかった。
 湯気がソースの香りを誘い出して、私をくすぐってくる。つい食欲が刺激されて、お腹の音が鳴ってしまった。
「......ねえ」
 花くんに話しかけられて、私は背筋がぴんと立ってしまった。お尻も少し浮いてしまっただろう。お腹の音を聞かれていたらどうしよう、おそるおそる顔を彼の方に向ける。
「......花くん、ど、どうしたの?」
「いや、はやく食べようよ」
 まったくその通りだ。それからお互いに買ったものを交換しつつ食べだした。濃いソースの香りや味はなんでこんなに美味しいんだろう。あとでクレープも食べなきゃ。
 隣では花くんがたこ焼きを一口で入れてしまって大変そうだ。その様子を見ているとなんだか可笑しくて、こちらも笑ってしまった。こんな一面が見れるとは思わなかった。
 今日誘ってもらって良かったなと思う。そう実感してしまうと、私の中でちらついていた思いを聞かないわけにはいかなかった。
「ねえ、聞いていいかなあ」
 花くんがたこ焼きとの格闘を終わらせたタイミングで尋ねてみる。彼はペットボトルで口の中を流したところだった。
「どうして誘ってくれたの?」
 私なんかよりもっと仲の良いクラスメイトはいたはずだと思う。それに対して、彼は少し意外な言葉を返してくれた。
「かわいそうだと、......思ったから」
 ......かわいそうってどういうこと? つい私もきみの方を見る。
 お互いにしばし無言を紡ぐ。少し目を反らした花くんの様子を電灯が照らし出していた。
「......ほら、夏休み出かけるところがないって言ってたから。ちょっとでも楽しめればいいかなって」
 たしかに口にしたことがあった。叔母さんどこにも連れて行ってくれないって言った。だからといって、わざわざ誘ってくれるなんて。
「そんなに気をつかわなくていいのに」
 つい口から洩れてしまった。もちろん誘ってくれるのは嬉しいけれど、なんだかもったいない気がした。
 私なんかのために無理しなくていいんだよ。そう言おうとして、つい花くんの表情をまじまじと見てしまった。なんだか頬が赤くなっている。
 なんでなんで、どういうこと? 話に注目しながらも、何気なくたこ焼きのパックを手にしたところだった。
「じ、実はさ......。話してみたかったんだ」
 そんなの、誰と......。と言おうとして私の口は止まる。どう考えても、そんなのはひとりしかいない。
 別にお祭りなんて口実にしなくてもいいのに。
 正直に嬉しいし、それでいてどこかもどかしいし。なんだか心がくすぐったくて、私の頭はぐるぐると回転してしまった。
 つい思考が固まる。そのまま動きも固まる。
 手にしたままの串だけが自由な世界。まだ熱いままのたこ焼きが、ぽろっと滑り落ちた。
「あっつついぃ!」
 慌てて飛び跳ねた。今までの静かな空間を切り裂く私の悲鳴はどこまで飛んで行っただろうか。
 たこ焼きは私の太ももにバウンドして、そのまま砂利に落ちた。視線を落とすと、ああ、とこれまた声が漏れそうだ。ハーフパンツの上に丸い跡がついている。どう見てもソースの跡だ。もしかしたらマヨネーズもついたかもしれない。味付けマシマシにしなきゃよかったと妙なところで悔やむ。だって、このオフホワイトのカラーリングはお気に入りなんだから。
「もういやあ」
 うなだれたまま小さくこぼした。すると、佐伯くんは肩をポンポンと叩く。見ると、彼は遠くの何かを指さしていた。お手洗いだ。私は慌てて駆けだしていった。

 ・・・

 いつの間にか空はより一層暗くなっていた。
 お手洗いを出て空を仰ぐ。ハーフパンツに付いたソースの汚れはどうにかなったけれど、私の気持ちにしみ込んだものはなかなか拭えなかった。
「こんなはずじゃなかったのに......」
 愚痴がこぼれてしまう。今日のデートを私だけの文化祭だと思っていたんだ。色んな縁日を見て回って、あれもこれも楽しみたかった。それなのに、私はひとりではしゃいでいただけ。
 こんなの、誘ってくれた人に対して迷惑なのかもしれない。
 
 視界には大きな木が映っている。そう、樹齢千年ともいわれるイチョウ。私が佐伯くんと一緒に鳩探しを楽しみたいと言った場所。
 風が流れて葉が揺れる。何気なくその光景を見つめていた。私たちの関係がこんな風にのどかだったら良かったなあ、そんなことを願ってみる。
 葉がビルの明かりに照らされて、小刻みに揺れているのが私の瞳にくっきりと映る。その仕草に、つい目を細めてしまった。
 ......ひとつだけ、動かないものがあるような気がした。それは葉の形をしていなかった。まるで、枝の上にしっかりと腰かけていそうな。こんな動作ができるのは人間じゃない、小鳥がするものだ。
 私はポケットから慌ててスマートフォンを取り出した。カメラを立ち上げる。うんと光源を強くしてできる限りのズームにして撮影してみた。
 
 ずっと、私が探していたもの......。
 
 思わぬ出会いに私の目が丸くなる。それはずっと見つからなかった、最後のひとつの鳩だったのだ。前から望んでいたことが、ついに叶うんだ。
 この喜びを連れて帰らなきゃ。そう思って意気揚々と足を踏み出した。
 佐伯くんが笑顔でありますように。健康でいられますように。そして、いつの間にか願いはひとつ付け足されていた。
 
 私のことを、覚えていますように。
 
 ぜったいそうなんだ。君は私のことを覚えている。だって、小学生の頃とはいえ、たった5年くらい昔の話。私にとって大切なことなんだから、君にとってもときめく思い出のはずなんだ。
 私は佐伯くんのところに戻っていった、妙に確信めいた気持ちを疑うこともせずに。
「お帰り、大丈夫だった?」
「うん、まあなんとかなったよ」
 それからまた食べだした。けれども、私たちを包む空気はなんだか違っていた。切り出し方の分からない会話、妙に冷めてしまったたこ焼きに焼きそば。どうやって取り繕うのが正解なのか、私はまったく分からなかった。
 時間が経ってもおいしいよねという佐伯くんの呼びかけに、そうだねとか気の利いた一言でも言えればよかったんだと思う。
 でも、私自身会話の方向が誤っていることに気づくことはできなかった。
「ねえ、聞いていいかなあ」
 なにが、と佐伯くんはこちらを見て問う。私は言葉を重ねていった。
「本当になにも覚えていないの?」
「うーん、何のことだろう?」
「小学生の頃だよ。ほら図書館でちょっと話したじゃん」
 ......小学生? 佐伯くんはこうつぶやいて首を傾げた。
「小学生って言われてもさ。僕たち別々だったんじゃないの、学校?」
「そんなことないよ」
「そんなことないって言われても......。高瀬、大丈夫?」
「大丈夫ってどういうこと? 私はちゃんとしたことしか言っていないよ!」
 つい声が大きくなる。まるで頭のネジでも問われているようだと錯覚する。
 これは彼からしてみたら当然の反応だ。でも、私にしてみたら、その仕草が理解できなかった。どうしてわからないのだろう。
「......なんで」
 うつむいて口にした。なだめようとする佐伯くんの声が聞こえる。でも私は言葉を理解することを拒絶した。
「......なんで、君はなにも覚えていないのさ!!」
 顔を上げて一気に言い放った。その勢いのまま立ち上がると、そばにあった巾着を手にして駆け出していく。
 呼び止めようとする佐伯くんの声は、聞こえないふりをした。

 ・・・

 中原の駅に着くころにはもう辺りは真っ暗だった。もともと駅前以外はあまり人気を感じられない土地だから、まばらに立つ電灯が私を照らし出していた。
 こんな時間になったとはいえ、叔母さんは叱らないだろう。それでも、私は家に帰りたくなかった。
 言い過ぎてしまった。勢いにまかせて色んなことを言ってしまった。
 スマートフォンに着信やメッセージがあったことは分かっている。でも、どう答えてあげるのがベストなのか分かっていないから、開くこともできなかった。
 
 せっかく誘ってくれたのに、私がダメにしちゃった。
 
 明日、きちんと謝らないと。
 できれば直接声を届けたいな。一方的に言うだけじゃだめだから。......でも、どうしたら伝わるんだろう。
 祭りのあとは、こんなにも惨めだった。