康二はその言葉を聞き、深く考え込んだ。もしかすると、この不可解な出来事は、彼自身がまだ気づいていない何かを知らせているのかもしれない。康二は翌朝も坂の頂上へ向かった。何度目か分からないその道のりは、いつもと変わらぬ風景だったが、康二の胸中はこれまでとは違っていた。精神科医の言葉が彼の心に引っかかっていたのだ。坂の頂上に着いたとき、彼は何かを感じ取るように周囲を見渡した。バイクもライダーも現れない。しかし、康二はその場にじっと立ち続けた。自分の心の奥底にある「何か」を見つけるために。ふと、遠くから微かに声が聞こえてきた。風に乗って届いたかのような、その声は誰かが彼を呼んでいるようだった。
「……康二……」
彼はその声に耳を澄ました。気のせいかもしれないが、その声は懐かしくもあり、どこかで聞いたことがあるような気がした。康二は声のする方向へと歩き出した。その時、不意に康二の思考の中に荻野真子の姿が浮かんだ。28歳の彼女は、かつて康二の生活に深く関わっていた女性だ。どこか懐かしい記憶が、彼の心に呼び覚まされたかのようだった。
康二「真子」
彼女とはもう何年も連絡を取っていなかった。最後に会った時のことも、今となってはぼんやりとしている。しかし、彼女の笑顔や声が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってきた。風が強く吹き、木々がざわめく中、康二は立ち止まって真美との思い出を反芻した。なぜ今、彼女のことを思い出したのだろうか。あのバイクの幻影と、彼女との繋がりがあるのかもしれない、そう直感的に感じた。康二はふとポケットの中のバイクのアクセサリーに手を伸ばした。指でその冷たい金属の感触を確かめる。何かが彼に呼びかけているような感覚がますます強まった。
康二「彼女に……会わなければいけないのか?」
心の奥底で、康二は真子に対する未解決の感情が残っていることに気付き始めた。それが、幻覚という形で彼の前に現れているのかもしれない。彼は携帯を取り出し、真子の連絡先を探した。少し迷ったが、何かを決意するように、彼女にメッセージを送った。康二「久しぶり。真子、少し話したいことがあるんだ。」
2020年5月。真子は康二のメッセージに「OK」と返事をくれた。しかし、康二はその後すぐにコロナウイルスの感染が拡大していることを思い出し、会うのは控えるべきだと考えた。
康二「今、コロナが酷くなってるから、落ち着いてからにしよう。」
彼はメッセージを再び送った。真子もその考えに納得したのか、「そうだね、また落ち着いたら連絡して」と返事が返ってきた。その後、連絡は途絶えたままだった。コロナの影響で日常は一変し、康二も真子もそれぞれの生活に追われるようになっていた。時間だけが無情に過ぎていったが、康二の中では彼女との再会への期待が少しずつ膨らんでいた。しかし、2020年の夏が過ぎ、秋が訪れても、康二は真子に連絡を取ることなく日々が過ぎていった。