ローレル殿下に気がついた私は、すぐに廊下の端により、うつむいて顔を隠すように頭を下げた。

 本当ならこの場から走って逃げだしたい気分だったけど、ローレル殿下の後ろには護衛の大柄な男子生徒がつき従っている。怪しい動きをすると、護衛に捕まえられてしまうかもしれない。

 目が合わないように視線を下げて静かに待っていると、ローレル殿下の足は、なぜか私の前で止まった。

「リナリア・ノース」

 急に名前を呼ばれたので、驚いた私はつい顔を上げてしまう。そこには、シオン殿下とよく似た顔のローレル殿下がいた。

「久しぶりだね、リナリア。私のことを覚えているかな?」
「……もちろんです、殿下」

 私が視線をそらしながら答えると、ローレル殿下は勢いよく壁に右手を叩きつけた。耳元でバンッと大きな音がしてので、私は恐怖のあまり小さく悲鳴をあげながら目を瞑る。

「リナリア」

 目を瞑って初めて気がついた。ローレル殿下とシオン殿下の声はそっくりだわ。でも、シオン殿下とは違い、ローレル殿下の言葉には少しも温かさがない。

「私を見て?」

 恐る恐る目を開くと、私の目の前にローレル殿下の顔があった。

「えっ?」

 なぜかローレル殿下に壁際に追いやられ、至近距離から見下ろされている。

「リナリア、顔色が悪いよ。こんなに震えてどうしたの?」

 ローレル殿下は、私の髪を優しく撫でながら耳元で囁いた。

「ねぇ。もしかして、リナリアは、私達二人の王子をまだ見分けることができるのかな? そうだったら困るなぁ」

 少しも困っていなさそうなローレル殿下はニコリと微笑んだけど、その貼り付けたような冷たい笑みに全身が震える。

「リナリア、私が誰だか言ってみて?」

 目の前の人がローレル殿下だと分かりきっていたけど、『見分けがつくと困る』と言われたので、私は、わざとローレル殿下のネクタイを確認するふりをしてから「……シオン殿下、ですよね?」と小声で答えた。

 ローレル殿下は「ふーん?」と言いながら口端を上げ、急に興味を無くしたようにパッと私から離れた。

「まぁ、どうでもいいか。私の周りで身内がコソコソと何かしているみたいだから、これから面白いことがおこるのかもって期待しているんだけど。リナリアもそれに関係があるのかな? 何が起こるのか楽しみだなぁ。頑張って私を楽しませてね」

 励ますように私の肩を軽く二回叩いてから、ローレル殿下は去って行った。そのあとを護衛の男子生徒があくびをしながらついていく。

 私の目の前を通り過ぎた大柄の護衛は、黒髪を肩まで伸ばしているのに整えておらず、やる気がなさそうに見えた。護衛の男子生徒は、ネクタイを外していたので学年は分からない。

 同じ王子様の護衛でも、真面目そうなゼダ様とは大違いね。

 ローレル殿下と護衛の後ろ姿が完全に見えなくなってから、私は深く息を吐いた。

 何あれ……怖すぎ。

 久しぶりに近くで見たローレル殿下は、子どものころよりさらに危険な雰囲気をまとっている。

 ローレルは『身内がコソコソ』って言っていたけど、もしかしてシオン殿下が何かしようとしているの? 私とシオン殿下で悪いウワサをなくそうと決めたのは、ついさっき話したばかりだからさすがにバレていないよね?

 私は今になって、シオン殿下の悪いウワサをなくそうとすることは、あのローレルに敵対することになるのだと気がついた。

 すごく怖い……けど、シオン殿下のためだもの! やらないという選択肢はないわ!

 私は、未だに震えている両手を強く握りしめた。