願いごと



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朔夜side



クリスマスが終わり、2035年、1月1日。
新年がやってきた。
かと言って今のところ特別感は何も無く、午前6時に鳴るアラームを止め、素早く身支度を済ませる。
なぜなら今日、俺は唯鈴と捧命神社に行き、初日の出を見る予定だからだ。
母さんと父さんも元々は一緒に見に行く予定だったけど……



時は大晦日の夜まで遡る。
夕飯を食べ終わって、俺と父さんはソファでくつろいでいた時。
唯鈴と母さんは、仲良く話しながら食器を洗っていた。
その時唯鈴は違和感を覚える。



「……あれ、椿さん?お顔赤くないですか?」
「あら、そうかしら?」
「もしかしたらお熱かもしれませんよ?早く体温測りましょう!」



そう言って急いで測ってみると。



「……7度9分!?後片付けはいいですから、早くお休みになってくださいっ」
「私は大丈夫なんだけれど……」
「辛くはないかもしれませんが、実際今、体は疲れちゃってるんですから休まないとダメですっ」
「あらそう?じゃあお言葉に甘えることにするわ。ごめんね唯鈴ちゃん、それとありがとう」
「いえっ、椿さんには元気でいて欲しいですから!」



唯鈴のいい子さに、母さん眩しがってたっけ。
かと思えばハッとして、唯鈴に謝り出す。



「後片付けのこともそうだけど、これじゃあきっと明日の初日の出は一緒に見れそうにないわ。本当にごめんね」
「確かに椿さんと一緒に見たかったですけど、気にしないでくださいっ。健康が1番ですから!神社でお願いしてきますね、椿さんの風邪が早く良くなるようにって!」
「まぁ嬉しいっ。ありがとう唯鈴ちゃん」



……というわけで、その後は父さんが母さんを寝室まで連れて行った。
つまり母さんは、風邪を引いて初日の出を一緒に見に行けないのだ。
俺の次は母さんが風邪。
やっぱり冬の寒さは侮れない。
でも初日の出は家からも見えるし、寒いのが苦手な母さんには丁度良かっただろう。
音を立てないように部屋から出ると、同タイミングで部屋から出てきていた父さんとばったり会う。



「おお朔夜、新年、あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」
「あけましておめでとう。こちらこそ、よろしくお願いします。それで、母さんは?」
「まだ寝てるよ。熱が少し上がってきてるみたいだから、起きるまでテレビでも見ておくよ」
「そっか」



なるべく小さな声で会話をする。
父さんは、唯鈴に負けないくらい優しい。
というか、穏やかな人だ。
今まで怒鳴られたことは一度も無いし、大きな声を出している所も見たことがない。
基本的に静かで、いつもニコニコしている。
いつだって正しい生き方が出来て、大切な人を愛し大切な人に愛されて。
そんな父さんが、俺は大好きだ。



「今から唯鈴ちゃんと初日の出を見に行くんだろう?気をつけて行っておいで」
「うん」
「おせちの用意もしとくから、帰ったらたくさん食べなさい」
「ありがとう」



そんなやり取りをしていると、俺の隣の部屋から唯鈴が出てきた。
唯鈴はロングスカートにニット、コートにマフラーと、完全防備の姿をしていた。
家の中でもこんなに寒のだから、外に出たらもっと寒い。
俺だって厚着をしている。
ちなみに唯鈴の巻いているマフラーは、唯鈴がクリスマスプレゼントとして母さんと父さんからもらったものだ。
プレゼントをもらった時は、泣いて喜んでいた。
嬉しくて、今日早速巻いていくことにしたのだろう。



「朔くん、紘さん!あけましておめでとうございますっ。今年も……よろしくお願いします」



声のトーンが落ち着いていて、普通なのに堅苦しく聞こえる唯鈴の挨拶。



「唯鈴ちゃんおはよう。あけましておめでとう、今年もよろしくね」



その父さんの言葉に、唯鈴はニコッと微笑みを返す。



「あけましておめでとう、唯鈴。今年もよろしくな」
「……うんっ、よろしくね!」



今間があったような……?
まぁいいか。



「唯鈴、そのマフラー巻いてくことにしたのか」
「うんっ!年明けて一番に使いたくてっ。このポンポンがすごく可愛いの!」
「そうか、よかったな」



この会話をしている時、唯鈴は俺たち同様声のボリュームを下げて話してくれていた。
何気ない気遣いが出来るのは、簡単なように思えて実はとても難しい。
その気遣いを持っている唯鈴を尊敬する。



「これからもう行くんだろう?」
「はいっ、早くしないと神社に着く前に日が昇っちゃうので!」
「そうか。じゃあ朔夜、唯鈴ちゃんをしっかりエスコートしてくるんだよ」
「……言われなくても」



俺は照れくさくなって「早く行くぞ!」と言い玄関で靴を履いた。
唯鈴は満面の笑みで後ろをついてくる。



なんでそんな嬉しそうなんだよ……っ



「あ〜もうっ、行ってきます……っ」
「紘さん行ってきま〜す!」
「行ってらっしゃい」



外に出ると、目の前が自分の白い息で覆われる。
その寒さには嫌気がさすほどで、鼻はツーンと痛む。
唯鈴は息で自分の手を温めながら言う。



「はあ〜……寒すぎるよ〜っ」
「だな。でもまだ1月だろ?2月もある……」
「ちょっと朔くん!嫌なこと言わないで!」
「ははっ、悪い」



2人並んで駅へと向かう。
その間もずっと見えている海は、どこか寂しげだ。
まだ日が昇っていないのだから、いつもより暗い青色をしていて、光がない。
海側を歩いている唯鈴は、俺と同じく海を眺めている。
乾いた風が目に染みるな、と思っていると。



「ねぇ、朔くん」
「ん?」
「実は今日ね、昴くんたちに初詣一緒に行こうって誘われてたの」
「え、そうなのか?」
「でも断った。なんでだと思う?」



なんで……って。
まさか……いや、そんなこと無いだろ……
でも唯鈴は、俺の事を……



寒さで赤くなっている頬を緩ませながら、唯鈴はイタズラな笑顔を見せる。



「朔くんと2人がよかったから、だよ?」



その瞳は、明らかに恋をしていた。



っ……ダメだ、唯鈴。



俺は必死に話をそらす。



「え……と、日が昇ってない時間帯の海見るのって、珍しくないか?」
「っ……そう、だね」



唯鈴は傷ついたような顔をして、俺から目線を逸らした。



そう、これでいいんだ。
傷つけるのは大切にしていないことと同じかもしれないけど、唯鈴の気持ちを受け入れるのは、もっとダメだ。



唯鈴の数々の温かい言葉があっても、やっぱり俺は常に自分を嫌っていて。
それはネットの言葉とは関係なく、元々の俺の性格が悪いからだ。
そんな自分が唯鈴と両思いになるのは間違っている。



だからきっと、これが最善。



そこから俺たちが捧命神社に着くまで、気まずい空気が流れた。
電車に乗って移動している時も、ただでさえ静かな車内が冷たくもなった気がして、心がもどかしかった。
けれど、捧命神社へと上がる階段の前に来ると、不思議と気持ちが軽くなった。
唯鈴もあと少しで初日の出が見られる、と楽しみにしているようで、いつもの笑顔が戻ってきた。



「朔くんっ、早く上がろう!」
「ああ。でもこの階段長すぎだろ……」



一番上がはるか遠くに見える。
年明けから結構な運動になりそうだ。



そう思いながら会釈をして、鳥居をくぐった。



あと少しといったところまで来ると、息も上がり、視界の白さも増した。
でもここまで来たのだから、さぞ素晴らしい景色が見れるだろうと胸が高鳴る。



「はぁっ……着いた〜!」
「キツ……」



ついに階段を上りきった。
唯鈴と疲れた顔を見合わせ、クスッと笑う。
捧命神社は一見普通の神社だが、どこか神秘的な雰囲気を持っていた。
何とか手を動かしてスマホの画面を見ると、初日の出まであと10分ほど。
人は俺たち以外におらず参拝がスムーズに出来そうだったので、俺たちは先に参拝を済ませておくことにした。
参道を通り御神前まで行き、会釈をする。
財布の中から五円玉を取り出し、賽銭箱の中に入れる。
そしてよく聞く二礼二拍手一礼。
手を合わせている間は再び沈黙が戻り、聞こえてくるのは風の音だけ。
でも葉が揺れる音は聞こえてこず、冬を感じた。



唯鈴が……大切な人が、いつまでも幸せに生きられますように。



そう、強く強く願った。



しばらくの沈黙のあと目を開けると、唯鈴はまだ目を閉じ手を合わせていた。
少し待つと段々瞳が現れてきて、俺は尋ねる。



「そんなに長く何を願ってたんだ?」



唯鈴は自分の人差し指を口の前に持ってきて、



「ないしょっ」



と言った。
それでもやっぱり何を願ったのか気になっていると、唯鈴に手招きをされる。



「朔くん早くしないと!もう日が昇っちゃう!」
「ああ、そうだな」



太陽は海の方からやってくる。
だから丁度よく見えそうな場所まで歩き、まだ暗い海を眺める。



少しの沈黙のあと、唯鈴は呟く。



「もう、椿さんたちと初日の出を見れることはないんだ……」
「……え、今なんて」



信じ難い言葉を確かなものにしたくなく、唯鈴に尋ねようとすると、唯鈴は「わあっ」と声を上げる。



「朔くんっ、初日の出だよ!」



そして海を見てみると、濃い橙色の日が昇ってきており、その景色に思わず震える。
あの看護師の言う通り、ここから見る景色は素晴らしかった。
今まで紺色をしていた海が、ほんの一瞬で橙に染まる。
自分たちよりも下にある家々も太陽の光を映し、別世界に来たかのような感覚に陥った。



「……ほんとに、綺麗だな……」
「うん……」



瞬きもせずその景色に見入る。
唯鈴とこの景色を見れて良かったと、心の底から思う。
10分ほどその景色を見ていると、段々と目が慣れてきてしまった。
薄らいだ感動に呆気ないなと思っていると、そこで思い出す。
唯鈴の、先程の言葉について。



「なぁ、唯鈴さっき……」



唯鈴は何かを察したようで、俺の言葉を遮る。



「記念に写真撮ろうよっ」
「え?あ、ああ……」



唯鈴の提案を断れない俺は、質問を後回しにして写真を撮る。
スマホのフォルダで写真の出来を見てみると、笑っている唯鈴の隣でなんの面白みもない真顔を浮かべている俺に嫌気がさした。



もうやめだ、とスマホをポケットに仕舞う。
今度こそ、と思っていると、唯鈴は絵馬を書きに駆けていく。
これで、唯鈴はこの質問から逃げていると確信する。
ここから大声で聞けば唯鈴の耳には入るけど、きっと唯鈴は何も答えてくれない。
だから俺は諦めるしかなかった。
俺も絵馬を書こうと唯鈴の方へ向かうと、唯鈴が足を止めていることに気がつく。
その場所は絵馬がある場所からは少し離れていて、あるのは文字が彫られた大きな石だけ。



あの石……石碑?
今までどこの神社に行っても気にしたことなかったけど、何が書かれてるんだ……?



気になってその場にしゃがみ込むと、その石碑のようなものにはこう書かれていた。



『捧げる側の者

その者たちは確かな一族である

自覚なき者も存在し、自覚なき上で人を救う

100年の命の尊さを忘れてはならない』



なんだこれ?
まぁ神社とか寺にはこういうのがあるイメージだが……これもそうか。



なぜこんなものの前で足を止めているのかと唯鈴の顔を見上げ、俺は言葉を失う。



唯鈴が、本当に驚いた顔をしていたから。



その後唯鈴はハッとして、表情が元に戻ったと思われた刹那、唯鈴は困惑したような顔をする。



「おい、唯鈴?どうしたんだよ?」



唯鈴は何かを呟いている。



「……んで、どういうこと……一族って、まさかそんなわけ……でも一年ってやっぱり……今までだって、一度も会ったこと……うっ」



すると次の瞬間には、急に頭を抱えてその場に崩れる。



「唯鈴、おい唯鈴!頭が痛いのか?しっかりしろ、俺の声を……っ」



俺は焦って、救急車の存在を忘れてしまっていた。
だからどうすれば、と考えた末、辿り着いた答えが。



俺は、唯鈴を抱きしめる。



「唯鈴、大丈夫だ。落ち着いて、俺の声を聞け。大丈夫、大丈夫……っ」



大丈夫だと言っている俺自身の声が震えているけど、今はそんなこと気にしていられなかった。
唯鈴は頭痛よりもどこか混乱しているように思えたから、まずは落ち着かせなければならないと考えたのだ。
その方法が抱きしめることなのについては、何も聞かないでくれ。



そうしていると、唯鈴の乱れた呼吸は段々と落ち着いてきた。
俺は一旦、深く息を吐いて安心する。



「唯鈴、大丈夫か?」
「……朔、くん……ごめんね、もう、大丈夫……」



そして唯鈴はすくっと立ち上がる。
でも、大丈夫と言った声は弱々しく、足だって震えている。



俺はまた、石碑にある4文を頭の中で読み上げる。



よく聞こえなかったが……唯鈴、1年とか言ってなかったか?
そんな文字、どこにも……



気になるが今は唯鈴のことが優先だ、と弱々しい足取りで絵馬を書きに行こうとする唯鈴の元へ急ぐ。



「唯鈴、手、繋ごう」
「え……?」



唯鈴が今にも倒れてしまいそうで、不安だから。
唯鈴もその意図を読み取ったのか、微笑みながら俺の手を握ってきた。



「うんっ」



そして絵馬を書き終え、俺たちはまた初日の出を見に行くことにした。
先程日の出の瞬間を見た場所まで、唯鈴は軽い足取りで向かう。
もう大丈夫そうだ。



でもあの動揺の仕方からして、唯鈴が死ぬと言ったことと関係がある可能性は高い。
いつも明るく笑っている唯鈴。



その小さな体で……何を抱えてるんだ?



唯鈴の後ろ姿を見ていて、たまに思う。
これは、いつまで続くのだろうか。
唯鈴の死ぬという言葉の意味がよく分からないからこそ、毎朝起きる度、唯鈴が部屋から出てくるか不安になる。
こうして唯鈴の笑顔を見れるのはいつまでなのか。
俺は唯鈴を救いたい。
でもその方法は、未だに見つかっていない。
唯鈴に死ぬと言った理由を聞けば、まだ進展はあるかもしれないが、なぜか唯鈴は答えてくれないような気がして、俺は今まで聞いてこなかった。
それでも、唯鈴を失いたくないなら、あんなに辛そうにする唯鈴を見たくないなら、それくらいすべきなのではないか。
本当に答えてくれなかったとしても、聞いて損はないのだから。
そう思い俺は、意を決して唯鈴に言った。



「唯鈴」
「なあに?」
「唯鈴はあの時、なんで死ぬなんて言ったんだ?」
「あ……」



唯鈴の笑顔が消える。
そしてそのすぐ後に戻ってきたのは、いつもの晴れた笑顔ではなく、悲しみを含んだ微笑みだった。



「……ごめんね」



ここですぐ引いていては、何も変わらない。



「唯鈴、俺は謝って欲しいわけじゃない。いつ死ぬのか、なんで死ぬのかが知りたいんだ。俺は、唯鈴が死ぬまでじゃなくて、それよりもずっと長く唯鈴と一緒にいたい。これは、俺のわがままなのか……?」



この雰囲気に似合わない光が、俺たちを照らす。



そういえば、この光も今日が雨だったらここまで美しく見えなかったのか。



晴れかどうかなんてどうでもいいけど、唯鈴にはその眩しさが似合っていて。
初日の出を背に唯鈴が口にしたのは。



「……もうどうにも、ならないことだから」



吹雪よりも冷たい、絶望的な言葉だった。



「っどうにもならないって、どういうことだよ!?」
「そのままの意味だよ」
「もう手遅れってことなのか?唯鈴は、助からないのか!?」



帰ってくる言葉を聞きたくないと思うけど、尋ねてしまったのは自分だ。
後悔するにはもう遅い。



「……うん、もう、助からない」
「っ……なんでだよ……!」



膝の力が抜け、俺は崩れ落ちる。



聞いて損はないだって?
全くそんなこと無いじゃないか……っ



泣きながら俯いて、地面を拳で叩きつける俺を、唯鈴は抱きしめる。



「朔くん、私のために泣いてくれてありがとう……私はもう十分、幸せだよ」
「ああ……う……っ」



なぁ唯鈴。
唯鈴は、それでいいのか?
俺だけじゃなく、母さんや昴たちとも一緒にいれなくなるんだぞ?
少しくらいわがままになったっていいんだから……
諦めようとしないでくれ。
唯鈴を救うことを諦めたくない俺の前で。



この思いはずっと、俺の心に閉じ込められて、届かないままで。



突然海に現れた君は、目が痛むほど眩しい笑顔を俺に向けてくれて、心の支えになってくれて、俺の心を掴んで離さなくて。
それなのに俺のもとからいなくなるなんて、無責任だ。



……なんて、俺が言える立場ではないのは分かっている。



俺が死のうとしていた日、唯鈴にずっと一緒にいて欲しいと言われ、俺はそうすることにした。



でも最近、それが唯鈴に望まれたからではなく、自分自身が唯鈴のそばにいたいと思っているからという理由もあることに気がついた。
いや、気がついてしまったの方が正しい。
それこそ無責任に。
だから、こんな人間が唯鈴のような眩しい人にそんな気持ちを抱いてはいけないと、ずっとその2文字を隠してきた。



「諦めたくない……諦めない!だって、だって……っ」



それでもやっぱり、心の中の思いが、あからさま過ぎたから。
ついさっきまで唯鈴と両思いになってはいけないなんて思っておきながら、俺はついに言ってしまう。



「俺は唯鈴のことが……好きだからっ」
「………」



唯鈴は驚いた顔をしている。
当然だ。
今日だって、「2人で初詣に行きたかったから昴たちの誘いを断った」という唯鈴の言葉に、なんの反応もせず話を逸らしたヤツだ。
そんなヤツがまさか自分のこと好いているだなんて思わないだろう。
でも唯鈴、俺はずっと前から唯鈴のことが好きだよ。
もしかしたら、唯鈴と出会った時からかもしれないくらい。
一目惚れだったんだ。



唯鈴の数々の温かい言葉があっても、やっぱり俺は常に自分を嫌っていて。
こんな俺が好きになっていい相手ではないと分かっているけど、もう、自分の心に嘘をつけそうにないんだ。



酷い顔をしているであろう俺の告白に、唯鈴は笑ってくれる。



「朔くん、ありがとうっ」
「っ………」



初日の出や晴れた空など、綺麗なものはこの世にたくさんあるけど。
やっぱり唯鈴の笑顔が、一番綺麗だ。



『唯鈴を笑顔に出来るなら、俺は唯鈴を好きになってもいいのかもしれない』



そう、勘違いも甚だしく思った時。



唯鈴は、俺から目を逸らして立ち上がり、階段を下りていった。
まるで、俺が話を逸らした時のように。



……ああ、こんな気持ちになるんだな……



胸が、張り裂けそうだ。



行きの電車の中流れた沈黙よりも、今の沈黙の方が何倍も、何十倍も苦しい。
唯鈴を追って階段を下りている間、あんなにも綺麗だと言って感動した初日の出は、今の俺には眩しすぎて鬱陶しかった。







「たっだいまー!」



帰っている途中ずっと浮かない顔をしていた唯鈴は、家に帰った途端いつもの笑顔に戻った。
唯鈴の声に反応して、リビングから父さんが出てくる。



「唯鈴ちゃんおかえり。朔夜も、おかえり」
「ただいま」
「中で椿さん待ってるよ」
「うん」



そしてリビングへ入ると、マスクと厚着をした母さんがソファに座っていた。
その様子を見て唯鈴が母さんのところまで飛んでいく。



「椿さん大丈夫ですか!?あっ、帰ってくる途中に何か買ってくれば良かったですね……っ」
「いいのよ唯鈴ちゃん。熱があるだけで、頭痛はないし喉もこの通り大丈夫よ」
「そこまで酷くならなかったみたいですね、安心しましたっ。ところで、おせちは食べられそうですか?」



実は、母さんに熱があることが発覚した昨夜、母さんと唯鈴はおせちを作った後の片付けをしていたのだ。
つまり、おせちは2人の手作り。
父さんも俺も、結構楽しみにしている。



「大丈夫よ、お腹ぺこぺこだもの!」



その言葉に唯鈴は目を輝かせ、別の部屋で腐らないようにしていたおせちを持ってくる。



「じゃあ、みんなで食べよ〜う!」
「ええ、そうしましょうっ」



唯鈴と父さんが箸や取り皿を用意し始める。



何も無かったかのように明るい唯鈴。
俺はその姿を、ただ眺めていることしか出来なかった。



俺は何をしてるんだ。
俺の気持ちを伝えて、まさか、唯鈴に受け入れてもらえるとでも思っていたのか?
俺は大切な人を傷つける人間なのに。
今思えば、俺が好きって言うのも嘘なんじゃないか?
唯鈴がそんなことするわけないと分かっているけど、疑わざるを得ない。
なぁ、教えてくれ、唯鈴。
俺の告白に、ありがとうと嬉しそうにしたじゃないか。
それなのに付き合おうとはせず、平然としているのはなぜなんだ?



両親と笑いあっている唯鈴を見ていられない。
その笑顔が胸を締め付けて、仕方ないほど痛むから。







時は過ぎ、1月2日0時15分。
あの後、唯鈴とは違って上手く表情管理が出来ない俺に、両親は何か勘づいている様だった。
でも、唯鈴があまりにも美味しそうにおせちを食べるから、その空気を壊さないようにと何も聞いてこなかった。
思い返したくないことを思い返しながら、もう元日も終わったな、と俺が寝れないでいると、部屋のドアがノックされる。



「朔夜、入ってもいいか?」



父さんの声だ。



「うん」
「……寝れないのか?」
「父さん、それ分かってて来ただろ」
「ああ、そうだね。不思議とそんな気がしたんだ」



不思議なのは父さんの方だ。
今まで、俺が夜寝れないでいる日は、必ずこうして来てくれた。
毎回、そんな気がしたから、と言って。
だから今日だってそうだろうと思い聞くと、案の定いつもの言葉を言われた。



親子だからなのか……?
でも、俺と父さんたちは……



暗い顔をする俺を見て、父さんは優しい顔をする。



「話したくなかったらいいんだ。でもきっと、朔夜の力になれると思うよ」



そうだ、今まで何回も助けてくれた父さんなら……



俺は、父さんに事情を打ち明けることにした。
事情と言っても、全てを伝える訳ではないけど。



「……俺、自分が嫌いで、でも唯鈴が好きなんだ。だからこんな俺は唯鈴に相応しくないって思ってたけど、何を期待したのか、今日唯鈴に告白したんだ……」



思っていることが何度も変わる自分を、気持ち悪く思いながら。



「けど、何も無いまま終わって。唯鈴はありがとうとしか言わなかった」
「………」
「そりゃ、俺のことなんか受け入れてもらえないに決まってるよな。それを知ってて俺は告白して、勝手に落ち込んで……」



こんな話を聞いてくれるほど優しい父さんに、こんな話を聞かせてごめんと、思ってしまう。
でも父さんは、ポン、と俺の頭に手を置いて。



「そうか……朔夜、話してくれてありがとう」
「っ……」



父さんの眼差しを前にすると、弱い自分が出てきて泣きそうになってしまう。



ありがとうは、こっちのセリフだよ……



少しの涙が浮かぶ惨めな表情を見られたくなくて、俺は顔を逸らす。
父さんは、その様子を見てもこっちを見ろとは言ってこず、ベッドにいる俺の隣に座る。



「朔夜は気づいてないのかもしれないけど、唯鈴ちゃんもどこか悲しそうだったよ」
「………え?」



唯鈴が悲しそうだった?
俺には、全くそうは見えなかったけど……



驚きから涙が引っ込む。
そして父さんは、我が子を思い浮かべるような眼差しで、唯鈴の様子について話し出す。



「本人は上手く隠してるつもりなのかもしれないけどね。やっぱり分かるんだよ、いつもあんなに明るく笑っている子が、無理して笑っていると」



唯鈴が無理をして……
その理由はまさか、俺の気持ちにありがとう以外何も言わなかったことにあるのか?



唯鈴は確かに、俺のことが好きだと言った。



俺はその言葉を疑って……
もしかしたら唯鈴は、



「唯鈴ちゃんには、何か事情があるんじゃないのか?」



本当は俺の気持ちを……受け入れたいと、思っているのではないか。



今まで俺が思ってきたように、唯鈴は俺のことを好いてなんて全くいないかもしれない。
でもそれは、あくまで俺の予想だ。
唯鈴の口から聞いた訳では無い。
なら……決めつけるのは、まだ早い。



「少なくとも、唯鈴ちゃんは朔夜のことを嫌っているからありがとうしか言わなかったんじゃないと思うよ。朔夜だって自覚しているんじゃないか?自分が、唯鈴ちゃんにとっての大切な人であることを」
「!」



生意気にも、その通りだった。
唯鈴が俺に向けてくれる眼差しは、昴たちへ向ける眼差しと違って、恋をしていたから。



唯鈴は、中々口に出せなかった俺と違い、まっすぐ好きだよと言ってくれたのに。
その気持ちを疑うのは唯鈴を否定しているも同然だ。
いつか、俺は唯鈴に言った。
唯鈴の言葉なら信じられる、と。
なら俺は、常に唯鈴を信じているべきだ。



顔を上げた俺を見て、父さんは微笑む。



「自分なりに答えが出せたみたいだね、良かったよ」
「ああ、ありがとう父さん」
「じゃあ僕は部屋に戻るよ。おやすみ朔夜」
「おやすみ」



ドアが閉じて、再び部屋に1人になる。
でももう、悩んだりしない。
そして俺は、気持ちよく眠りについた。