ごめんなさい



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朔夜side



声にならない声で、泣いて、叫んで。
時には声が出なくなりもした。
そんなこんなで、気づいた時にはもう16時。
最初は病室にいた母さん、医者、あの看護師は、知らないうちにいなくなっていた。
人気(ひとけ)の有無や、ドアが開閉する音に気がつけないほど、俺は傷心しきっていた。



この手紙にはきっと、別れの言葉が書いてある。
それが分かるから、余計に読む気になれない。
心身ともに疲れおり、もう何も考えることは出来ない。



笑っていない唯鈴の顔をぼーっと見つめていると、唯鈴の言葉を思い出した。



『この、手紙……読んで、ね……』



……そうだ、俺はこの手紙を読まなければならない。
例えどんなに苦しくても、彼女がそれを望むなら。
それが、俺が叶えてあげられる、彼女の最後の望みなら。



震える手でなんとか封筒から手紙を取り出すと、そこには花柄のメッセージカードが何枚もあった。
落ち着いて数えてみると、手紙は10枚ほどあった。
1番上のメッセージカードには、君の綺麗な筆記体で書かれた、『朔くんへ』の文字があった。
乱暴に涙を拭って、大きく深呼吸をし、最初の一文に目を通す。



『朔くん、私ね、捧げる側の者なんだって』



ああもう既に、夢であって欲しいと願わざるを得ない。



『初詣の時、捧命神社のなんか大きい石?に書いてあったの。
それを見た瞬間、自分のことだってすぐ分かったよ。
私が5歳になった4月1日。
私と朔くんは海で一緒に遊んでたんだよね。
どうして私たちが一緒に遊ぶような仲だったのかは分からないけど、きっと、私は朔くんに一目惚れをしたんだと思う。
だから朔くんに会いたくて、ある時から海に通うようになってた。
でもそんな時、強い波にバランスを崩しちゃって。
私も朔くんも、底が深い方へと流されていった。
私と朔くんは手を繋いでたんだけど、溺れ始めてからしばらくして、朔くんの手の力が弱まったのが分かったの。
その時私は、絶対に朔くんを助けなきゃって強く思った。
そしたらね、私の体が眩しく光り始めたのが分かって、海水の中なのに、私目を開けちゃったの。
でも不思議と目は痛くなくて、だから私、死んじゃうんだ、って思ったよ。』



約11年越しに明かされる、あの日のこと。
その文を読んで、俺の頭から消えていた記憶が、段々と戻ってくる。



『そこからは、ずっと海の中を彷徨ってる感覚だったんだ。
私は、その間もずっと、朔くんが無事なのか不安だった。
そんな日がしばらく続いたら、今まで揺られていた体が、ザラザラした地面の上で止まって。
誰かの声がして目を開けてみると、そこにはなんと、大きくなった朔くんがいたの!
私ビックリしちゃったよ、朔くんすごくかっこよくなってるから。』



小さかった頃の、君の姿。
帽子で顔が隠れ、よく見えなかったけど。
可愛らしい口元が微笑んでくれるのが嬉しくて、君を笑顔にしようと色々試してみたのを思い出す。



あんなに小さい子が、俺を助けるために頑張ってくれたんだな……
そうとも知らずに俺は、唯鈴と再会するまで呑気に生きてきたのか。
覚えてさえいれば、そうはならなかっただろうに。
ショックのあまり忘れてしまった?
ショックでも大切な子なんだから、忘れんなよ。



この手紙は、俺を惨めにする。



『それからね、とりあえず朔くんが無事だと分かって安心した私は、朔くんに聞いてあの日から10年が経ってることを知ったんだ。
それはいいんだけど、私、なんで自分が生きてるのか分からないよ!ってなって。
それに朔くんは私のことを覚えてなかったから、悲しかった。
でも朔くんと一緒にいられるし、まぁいっか、で終わってたんだけど。
丁度一学期の期末試験が終わったくらいかな?
来年になったら、この期末試験もっと難しくなるんだろうなぁ、って思ったら、どこからか声が聞こえてきたの。
そんな試験はやって来ないよ、って。
私、すごく悲しかった。』



俺が死のうとしている間、唯鈴は俺のせいで悲しんでいたんだ。
もう、何回自分を責めたか分からない。



『でもね朔くん。
私、朔くんが死のうとした日、それに気づいてしっかりしなきゃ!って思ったの。
だから、私がここまで残りの一年を満喫できたのは、朔くんのおかげなんだよ。
朔くんに生きて欲しかったから、そのために自分のことを二の次にして、自分のことを考えないで済んだ。
でもやっぱり、時々考えちゃうことはあったけどね。』



俺のために自分のことを二の次にした?
そんなことして欲しくない。
けど……それが少しでも唯鈴の気持ちを楽にしていたのは事実だ。
どちらにもメリットデメリットがあるなんて、残酷なものだ。



そこから、唯鈴の手紙は内容が変わっていった。



『思えばこの一年、本当に色んなことをしたよね!
デートの時はソフトクリームを食べたし、ペンギンちゃんのキーホルダーも買ったよね!
朔くんとお揃いが出来て嬉しかったよ。』



あの時……デートの時。
幼い子供のような反応を見せる唯鈴に、大袈裟だな、と思いながらも惹かれていく自分がいた。
すぐに迷子になりそうな唯鈴を、世話のかかるやつだと思っておいて。
本当は、そんな唯鈴を守る立場にいるのが俺で嬉しかったんだ。



そう、分かってたのに、俺は……っ



気持ちを伝えるどころか死のうとして、唯鈴のことを何も考えてやれていなかった。
でも手紙の中の唯鈴は、俺のことを悪く言うどころか、褒めてくれる。



『それに朔くん、デートの時だけじゃなく、いつもさりげなく車道側を歩いてくれてたよね。
ずっと、かっこいいなって思ってたよ。
それと朔くんの絵!
あれほんとに凄くてびっくりだったよ!
カラスの絵は特に良かった!
なのにコメントでは悪く言われてほんとムカつく!
その人たちはいい絵がどんなものなのか知らないんだよ!
でも私は朔くんの絵の良さが分かるし、ずっと味方だからね!
あ、心残りがあるとすれば、朔くんに私の絵を描いてもらえなかったことかな。
なんて、わがままだよね、ごめんね。』



わがままとか、ごめんとか、どうか俺に言わないで欲しい。
俺はそんな言葉を言われていい人間じゃないから。



それに、唯一ある心残りが、俺に絵を描いてもらえなかったこと?



そんな簡単なことを叶えてやれなかった俺は、余計恨まれるべき人間だ。
そして先程から感じる、文への違和感。
無理にテンションを高くしているようで、読んでいて胸が痛む。
でも、サッと見た感じ、ここからの文はビックリマークが減っている。



『朔くんが、私を信じてネットで苦しんでいることを教えてくれたこと。
朔くんが風邪引いちゃった時、私と椿さんが作った雑炊を、美味しそうに食べてくれたこと。
初詣の時、驚いた私を抱きしめて、大丈夫だって言ってくれたこと。
私との約束を破らないように、自殺を踏みとどまってくれたこと。
全部全部嬉しくて、良い思い出になったよ。』



完全に自分の結末を受け入れているのが分かる文。
そう簡単に諦められるはずないのだから、唯鈴は今までたくさん闘ってきたのだろう。
俺が生きているのだからそれで十分と思う反面、まだ生きたいと思ったはずだ。



『それと、朔くんが私のこと好きって言ってくれたことも、すごく嬉しかった』



「じゃあ、なんで……」



その問いは自分で分かっているけど、唯鈴からちゃんと聞きたかった。



『じゃあなんで何も答えなかったのか、って思うよね。それはね、朔くんに悲しんで欲しくなかったから。
私はいなくなっちゃうから、彼女が死ぬよりも、友達が死ぬほうがまだ楽でしょ?
最低なこと言ってるのは分かってる。
でもこうでもしないと、私、未練しかないまま死んじゃうよ。
そんなの嫌。
だから、結局は自分の辛さを和らげるため。
ごめんね、自分勝手で。
こんなこと言ってるのに、私、朔くんのお嫁さんになりたいの。
矛盾してるって思うよね。
でも、望むことは自由じゃない?
だからもし、この手紙を渡す前、朔くんに弱音を吐いちゃってたなら、許して欲しい。』



ああ言った、唯鈴は俺のお嫁さんになりたいって言った。
それを許せって?
許すも何も、俺だってそれを望んでるよ……っ



そう思いながら手紙を読み進めていくと、“わがまま”という字が見えてくる。



『なんて言ってるけど、今からわがままを言ってもいいかな?』



やっと、やっとだ。
何を言ったっていいと、むしろ俺の心をズタズタに切り刻んでほしいとすら思う。
でも唯鈴が、手紙にそんなことを書くはずがなくて。
いや、手紙じゃなかったとしても、そんなこと言ってこないだろう。



『私ね、本当はずっと死にたくないって思ってた。
ねぇ朔くん。
私、死にたくないよ。』



唯鈴が本心を言ってくれたことに安心する。
と同時に、その文が書いてあるメッセージカードの隅の方が、不自然にふやけているのを発見する。



っこの手紙を書きながら、泣いたのか……っ



俺が自分のことで精一杯の時、唯鈴が部屋で1人泣きながらこの手紙を書いていたのかと思うと、胸が痛んで仕方がない。
でもそれだって全部、俺のせいなのだから自業自得だ。
唯鈴がこうなったのは、俺のせい。
恋とは、むず痒く幸せで、残酷なもの。
そんな恋を俺たちがしなければ。
まだ幼かったあの頃、お互いに惹かれていなければ、こうはならなかったのかもしれない。
だから。



「俺を好きにさせてしまって……君を好きになってしまって、ごめんなさい……っ」



散々泣いた後の痛む喉で、なんとか声に出せた謝罪。
それでも酷い声だとは思うけど、君に届くようにと願いながら。
その時、眠っているはずの唯鈴の瞳から、一筋の涙が流れた。



「いすずっ……?」



声をかけても返事はない。
目覚めたわけではなさそうだ。
でもその姿は、『私が代わりに泣くから、泣かないで』と言ってくれているようで、少し心が軽くなる。
それに伴い、俺の視線は必然と手紙へ戻される。



『おばあちゃんとおじいちゃんになっちゃう時まで、ずっとずっと朔くんといたい。
だけどそれは、叶いそうにないね。





てことで、何を言ったって変わらないんだから、わがままを言うのはここでおしまい!
私のわがままを聞いてくれて、ありがとう。
それと、昴くん、明那ちゃん、真琴くん、椿さんには、ありがとうとごめんなさいを伝えて欲しいの。
お願いできるかな?
嫌だったら全然いいんだけどね。
怖くて直接言えなかった私が悪いんだから。
それに、こんなことを朔くんにお願いするのも、辛いことを押し付けてるのと同じだって分かるんだけど、大切な人たちだから。
朔くんを好きな人だとすると、昴くんたちは初めて出来た友達なの。
そして椿さんは、私に親の愛を教えてくれた。
もちろん、紘さんも。
だから、やっぱりお礼は言いたんだ。
優しい朔くんのことだから、きっと言ってくれると思う!なんて。』



唯鈴に代わってお礼を言うのは、唯鈴の思ってる通り辛いよ。
でも、俺が唯鈴の頼みを聞いてやれる立場にいることが、その辛さを消し去ってしまうくらい、俺にとっては嬉しいことで。
それに何より、唯鈴に頼まれて、俺が断れる訳ないだろ?
ほんと、しょうがない奴だなぁ……



世話がかかるけど可愛らしい唯鈴の性格が見えて、少し、本当に少しだけ、笑みがこぼれた。
でも、そんな俺と反して手紙は残り1枚となる。
書かれていることから、別れが近いことが伝わってくる。



『私は多分、今日のの0時直前に消えちゃうと思う。
だからその時は、私の手を握って欲しいの。
私がこの世界から消えちゃう時朔くんと触れあっていれるなら、本来よりも100倍は幸せなお別れだと思うから!!!
最後に朔くん、今まで本当にありがとう。
両思いなのに付き合わないまま終わっちゃうことになるけど、それでも私は幸せだった!
命を捧げた相手が朔くんで、本当に良かった。
朔くん、大好きだよ!!!
そして、さようなら。




唯鈴より』



最後の1枚を読み始めて、段々と俺の顔から綻びが消えていった。
そして読み終えた今、俺の顔はぐしゃぐしゃだ。



手紙を濡らさないようにと一度近くの棚に置くと、止まることを知らぬ勢いで大粒の涙が流れ始めた。



手紙で愛の言葉をもらったって、唯鈴が帰って来ないのなら苦しみが増す原因となるだけだ。
やはり、恋に落ちてしまったことが間違いだったのだ。
唯鈴は俺に一目惚れをしたと手紙に書いていたが、多分、俺も唯鈴と同じだ。
だって、この手紙によって思い出されたあの頃の君は、記憶の中ですら眩しく輝いているから。
つまり、出会ったその時から、この恋が悲恋に終わることは決まっていたのだ。



君を好きになってしまって、ごめんなさい。