邪霊の件は災難だったがいい縁がつなげたと、ククーシュカはうきうきと借りた傘を回し、オロスコに連れられて会場へ向かった。
 アルジェントの言う通り、味覚のレベルを上げるいいチャンスだ。
 
 オロスコ曰く「なんちゃってサロン」らしいが、何かを教えてもらった経験のないククーシュカは楽しみで仕方がない。
(奥さま、先生なのかあ。あんなかわいいお家に暮らしてるんだもの、きっとご本人も──)

「それで嫁に行けると思ってるのか!」
 
 ドアを開けたとたん飛んで来た怒声に、ククーシュカはひっくり返りそうになった。
「は? そいつは誰だ? オロスコ」
 
 教室から、長い髪をきっちりとゆい上げた背の高い女性が、ぎろりとこちらをにらんでいる。
 美しい、が怖い。

「おっ、ルカ。この子な、菓子の作り方を勉強したいそうだ」
 オロスコが名前を呼んだところを見ると、彼女が細君らしい。
「じゃ、おれは仕事があるんで。あとはよろしくな」
 自分をあずけ教室を後にするオロスコに、ククーシュカは思わず待ってとすがりそうになった。

「貴様……ウチの亭主とどういう関係だ」
 突きつけられているわけではないが、彼女が持っているキッチンナイフに自然と目がいく。

「オロっ……オロスコさんには仕事でお世話になりました。わ、わたしは料理を習いたくて、ここを紹介してもらったのです」
「ほう、ならこれを使え」
 
 ルカは、新しいナイフとファンシーな刺繍の入ったエプロンをククーシュカにわたした。
 オロスコの家のタピストリーと同じ刺繍である、彼女の(さく)らしい。
 
 早速エプロンをつけ、テーブルに用意されたかぼちゃと向きあう。
 まわりでは、花嫁修行と思しき若い女性たちが固いかぼちゃに苦戦していた。

「まずは芯をくり抜け、それがこいつの弱点だ!」
 床を踏み抜くような靴音。
 どうも既視感が甦ると思ったら、彼女の口調や挙動はアルジェントを連想させるのだ。
 タイプは違うものの、かもし出す強力なオーラが似ている。 

(この奥さまだから、オロスコさんはトリアー神父の扱いに慣れていたのかな)
「何がおかしい」
 
 思わず顔がゆるんでいたらしい。
 はっと我に返ると、ルカが腕を組み見下ろしている。

「お前、菓子を作りたいそうだな」
「は、はい」
「菓子は飯より難しいぞ」
「ど努力しま……」
 
 だん! とククーシュカのかぼちゃに突き立てられるナイフ。
「ふ……気合いの入ったやつは好きだ」
 
 瞳孔が開き気味の目で笑いながら、ルカはとなりのテーブルへ移動する。
 ぱっくりと割れたかぼちゃにふるえながら、ククーシュカは縁が幸運か不運かわからなくなった。

 
 ほとんど教会を出たことのなかったククーシュカだったが、それから頻繁に教室に通う姿が見られるようになった。 
 オロスコの紹介と言うとアルジェントは初めおもしろくなさそうな顔をしたが、教会の食生活向上のためか、月謝を出してくれた。
 
 教室はというと、ルカは厳しかったが教え方がうまく、何より彼女の作る料理はおいしかった。
 だがやはりリリウムの件があるのか、生徒の女性たちはククーシュカに関わろうとせず、
 ククーシュカにしても、必要以上に彼女らとつながりを持つことをさけていた。
 
 もしもエルフだとばれたら、どんな仕打ちを受けるかわからない。
 そんな畏れが、いつもつき纏っていた。
 
 ある日のこと、

「痛っ」
 ククーシュカのとなりのテーブルの少女が、調理中うっかりナイフで指を切ってしまった。

「大丈夫ですか。あの、これ……」
 思わず薬を出した(くだん)の修道女に少女は戸惑う。

「……何?」
「セイヨウノコギリソウの軟膏です。止血や消毒の作用があります」
 
 未だククーシュカをリリウムの弟子と訝しんでいるのか、彼女はなかなか薬を受け取ろうとしない。
 おろおろとククーシュカも引っ込みがつかなかったが、妙な間をやぶり軟膏を取ったのはルカだった。

「試してみろ、こいつの薬はキマるぞ」
 彼女が言うと若干違うニュアンスに聞こえるのはさておき、驚くククーシュカにルカはニヤリと笑い腕を回して見せた。
「お前の湿布で肩こりが治った」

(あ……)
 オロスコにわたしたモミとセージの湿布を、彼女は使ってくれたのだ。
 ククーシュカはうれしさに言葉にならず、小さく口を開閉させた。

「先生がそうおっしゃるなら……」
 少女は半信半疑ながらも軟膏を指にぬる。強面の鬼教師でも、ルカは慕われているようだ。

「傷口は清潔に保ち、また明日塗ってください」
 ククーシュカに残りの軟膏をもらう少女を、ほかの生徒たちは眉をひそめ見つめていた。

 次の授業の日、少女はいつも通り教室に顔を出し、平然とエプロンをつけ準備を始めた。
 まわりは、昨日以上にそわそわと落ち着きなく彼女を観察している。
 
 あの薬は果たして毒だったのか、呪いだったのか。
 今にも声が聞こえて来そうな視線だ。
 そんな無言の圧に耐え切れず、少女はククーシュカに向き直り、おずおずと指を見せた。

「ほら。傷、ずいぶんよくなったわ」
「よかったです。でもまだ、保護は解かないでくださいね」
 ククーシュカは、赤いラインの入った新しい麻布で指をくるむ。
 クロスの残りで作った、軟膏といっしょに持ち歩いている救急セットだ。
 
 少女も少し気を許したのか、固いながらも笑みを浮かべた。
「わたし、トリーネ。あの、ありが──」
 その瞬間彼女の言葉をさえぎり、ほかの生徒たちがククーシュカのテーブルにどっと押しよせた。

「ちょっと、あの薬、何?」
「あなた、やっぱり魔女なのね?」
「いいえ、錬金術師よ!」

「あわわ……」
 小さな躰が押しつぶされそうにもみくちゃにされる。

「何をしてる、始めるぞ!」
 教室に入って来たルカのひと声でひとまず騒ぎは収まったが、
 生徒たちの迫力に慄いたククーシュカは、授業が終わると逃げるように退散した。

 ところが翌日、教会にその女子生徒一団が殺到した。

「な、なんだ、お前たちは!」
 オロスコの弟子たちより破壊力のある勢いに、アルジェントもしり込みする。

「シスター・ククーシュカは!?」
「裏庭でそうじをしているが……おい待て勝手に入るんじゃ──ぐはっ!」
 彼女らはアルジェントを突き飛ばし、ククーシュカのもとへつめよる。

「ひゃあっ」
 思いつめた表情の女性たちに囲まれ、ククーシュカはほうきを持って後退った。

「なんなんだ、いったい!」
 アルジェントも急いで駆けつける。
 
 女性たちは、口をそろえてククーシュカに嘆願した。
「わたしにも薬を作ってちょうだい!」


「──薬だと?」
「はい。みなさん、いろんな疾患があるようで」
 ようやく全員が帰り、ククーシュカが淹れたお茶でふたりはひと息ついていた。

「確かに病院を担う修道院もあるが、わたしもお前も医者ではないのだ。(やまい)があるなら施療院で診てもらえばよかろう」
「病気ではないんです」
 
 ククーシュカは彼女たちの必死な声を思い出し、説明した。
 ある者はふき出物、またある者は冷え、最後にこっそり伝えに来た者はお通じが悪く困っていると言う。
 みな嫁入り前の年頃だ、切実な悩みなのだろう。

「それでどうしたのだ」
「カレンデュラの湿布にヨモギとブラックベリーリーフのお茶、それにミントアロエ水をそれぞれ処方してさしあげました」
 
 歯切れよく答えるさまはいつもの表情の乏しい少女と違い、アルジェントは少々勝手が狂う。
「む……湿布はわかるが、ただの茶や水などが薬だというのか?」
 ククーシュカは楽しそうに笑ってカップをおいた。

「今、トリアー神父が飲まれているお茶もお薬なのです」
 くんとアルジェントが改めて匂いをかぐと、レモンに似たさわやかな香りが鼻腔に広がる。
 ククーシュカがよくサーブしてくれるお茶だ。

「頭痛に効くメリッサのお茶です。ハーブって、薬にも食事にもなるんですよ」
(それで最近、偏頭痛が落ち着いているのか)

 アルジェントは驚きながら尋ねる。 
「で、それらをいくらで売ったと?」
「ですから、さしあげました」
「な……」
 がちゃんと音を立てて、アルジェントはカップをおいた。

「お前はバカか? バカなのか?」
「な、何かいけませんでしたか」
 びくびくと上体を引くククーシュカ。

「種をまき、育て摘み取り、効能ごとにブレンドし、なんやかんやでできた薬をタダでだと? そこにかかった手間ひま時間人件費はどうなる!?」
「でも以前、サービスとおっしゃってたので……」
 
 ゴホンとアルジェントは気まずそうに咳払いをする。
「いいか、遊びでないなら金を取れ。誇りを持って提供しろ」
「いいのでしょうか、わたしは医師ではないのですが」

「正規の医者は治療代も薬代も高いんだ。お前は良心的な値段で取ればいいだろう」
 そう言うと、アルジェントはぐいと残りのお茶を飲み干した。

「お前の薬は効く」

 ルカと同じ賞賛をアルジェントからもらったせいか、ククーシュカは彼から苦手意識が薄れていった。
 
 ククーシュカの薬は教室の若い生徒だけでなく、村の婦人たちからも依頼が来るようになり、知りあいや友人も少しずつ増えていった。
 わずかだがお小遣いも増えていき、教室の月謝も自分で出せるようになった。
 
 そしてククーシュカがひと通り調理のノウハウを覚えた頃、待ちに待ったドルチェの授業がやって来た。

「分量は一グラムも違えるな! 焼き釜の機嫌を見極めろ!」
 教室の外から聞けばとても製菓の最中とは思えないが、ルカのレシピは完璧だった。

「わあ……」
 焼き上がった菓子に、みな瞳を子どものようにキラキラさせている。
 
 薄切りにしたりんごをあまく煮てまるめて重ね、薔薇に見立てたロマンティックなタルト。
 生地に敷きつめたアップルローズが花束のようだ。
 
 とてもルカが監修したものとは──ともあれ、ククーシュカが用意したローズヒップのお茶とともに試食をすると、教室じゅうから歓喜の声があがった。

「おいしい!」
「わたし、もうひと切れ!」
「ずるいわ、わたしにも!」
 
 ククーシュカは、感動のあまり声が出なかった。
 こんなにおいしいものを食べたのは初めてだった。
 
 あまさに煮崩れていない酸味の立ったりんご、まろやかで濃厚なカスタード。
 それらは口の中で混ざり、豊潤な味わいを残す。
 アーモンド風味のタルト生地も香ばしく、フィリングをしっかりと受け止めている。
 繊細な見た目とは違って、どっしりと力強い味だ。

 本当に舌が喜ぶと言葉を失ってしまう。そんな感覚を覚えた。
 ぼんやり空になった皿を見つめていると、ひとりの女性が発言した。

「でも先生、ひどいわ。こんな素敵なお菓子を教えていただいても、わたしたちは作れないのに」
「そうです、意地悪ですわ」
 みなむくれてタルトを口に運ぶ。
 
 たった今、ルカの指導のもと出来上がったというのに、作れないとはどういうことだろう。
 家庭でそろえられる材料だし、そこまで困難なレシピではない。
 首をかしげるククーシュカの目の前に、ルカはやって来た。

「菓子が難しいと言ったのは、計量や工程の正確さのほかにもう一つある」
 自分への質問を兼ねているようだが、もちろんククーシュカにはわからない。
 考え込んでいると、軟膏の女性が代わりに教えてくれた。

「砂糖と小麦粉よ」 
 やはりぴんと来ないククーシュカの眼前で、ルカはタルトの型を指でくるりと回す。
「その通り。こいつ一つ分で銀貨三枚だ」
 ククーシュカはぎょっと目をまるくし、自分の皿を二度見した。
 
 この時代、小麦は裕福層の食材であり、甘味料はもっと高級品であった。
 菓子は贈り物や献上品としてのお遣い物で、一般家庭にはなかなか手が出せない食べ物だったのである。

「今回はわたしのポケットマネーと月謝をあわせなんとか出したが、それでもぎりぎりだ。菓子作りが難しいと言うのは、そういうわけだ」
「では、お菓子の露店を出すのは……」
「相当ハードルが高いな」
 
 呆然としたククーシュカにルカは肩をすくめた。
 菓子枠が決まっていなかったのは、そんな理由があったのだ。

「ルカ師匠、ではこれまでの祝祭では、どんなお菓子が売られていたんですか?」
 ククーシュカは尋ねてみた。
「ロクに味のせん、ウェハースやゴーフレットだ。わたしなら買わんな」
 ほかの生徒たちも同意してうなずくが、すぐにククーシュカの四方に集まる。

「でも、あなたならできるわ。だって魔女だもの」
「あら、錬金術師よ」
 やいやいとしたにぎやかなはげましが、ククーシュカに積み上がる。

「挑戦、するんだな?」
 肩におかれた手にぎゅっと力が入り、ルカの男前な笑みにククーシュカはぎこちなく笑って返した。