仕事は無事果たしたものの、教会は相変わらず閑古鳥が鳴いていた。

「そりゃ、依頼人が死者ではな」
 アルジェントはぶつくさと愚痴りながら、自作の木製の聖杯をカリカリと彫っている。

「でも、オロスコさんが祓魔料を払ってくださり助かりましたね」
 おかげで、しばらくはアルジェントが望むような食事ができる。
 お礼にと例の湿布を贈呈したところ、彼の大工ギルドの職人たちから事件の聞き込みもできることになった。
 
 ククーシュカは、オロスコのふところの大きさと胸のすくような快進撃を思い出し、ほうっと息をついた。
 アルジェントは、それがいささかおもしろくない。

「あの男は妻帯者だぞ。気をつけろ」
「何に気をつけるのですか?」
 ククーシュカにはよくわからなかったが、彼の渋い顔に気づき、あわてて話をふってみる。
「せ、聖杯、いい出来ですね」
 一転、ニヤリと笑うアルジェント。単純にも機嫌は直ったようだ。 

「そうか? お前にはそのうちオリーブの木でロザリオを作ってやろう」
 彼は意外にも手先が器用で、ひまさえあれば何か制作している。
 もっとも、ほかにやるべき聖務は山ほどあるのだが。
 
 ククーシュカは、ほこりをかぶったオルガンや香炉をちらりと横見した。
「祭壇におくのですか?」
「いや、量産して売ろうと思ってな」
「ふつう、一般家庭に聖杯はないかと……」
 それ以前に、本来多数あるものではない。

「ご利益があると言って売ればいいだろうが」
「どんなご利益ですか?」
「救われるとか言っとけばいいだろ。杯なんて、そもそも飲みものをすくう(ヽヽヽ)ものだからな」

「…………」
 真顔のククーシュカに決まり悪かったのか、アルジェントがゴホンと咳払いをする。

「とにかく、ゴブレットの形なんだ、ぶどう酒でも注いどけばいくつあっても困らん」
(それは詐欺なのでは)
 ククーシュカは意見を呑み込み、極力ひかえめに口を開いた。

「トリアー神父。信者を導くには、やはりわたしたちが見本とならなければ……」
「なんだ、わたしの行いが悪いとでも」
「いえ、その」
 極端に片眉を跳ね上げるアルジェントに、もう何も言うまいとククーシュカは口を閉じる。
 
 アルジェントの聖職者らしからぬ言動はさておき、彼はそもそも神を信じていないように思えた。
 なぜなら、アルジェントが祈りを捧げているところを、ククーシュカは見たことがないのだ。
 
 死者は尊ぶものでも憐れむものでもないと彼は言う。
 それは、教会の戒律とは違う考えであった。
 
 そんな思案を叩き割るように、けたたましい足音が教会に飛び込んで来た。
「チャオ、ククーシュカ!」
「またお前か」
 うんざりと苦い顔のアルジェントを無視して、クロエはククーシュカに駆けよる。

「ねえ、お祭り、考えてくれた?」
「それが……わたし、踊りは得意じゃないんです」
「そんなの教えてあげるわよ」 
 
 返事に迷いながらも、ククーシュカはヨルンドに頼まれた件を思い出し、切り出してみた。
「ところでクロエ、コンティ伯のことですが」
「ふーん」
 とたんにクロエの声が抑揚を下げる。結んだ髪先を手で弄び、まったく興味がないようだ。

「彼のこと、どう思いますか?」
「どうって、ただのおじさんね」
 
 実際ヒュー・コンティは三十前後なのだが、クロエからすれば「おじさん」なのだろう。
 これは脈なしだなとアルジェントは肩をすくめたが、彼女からは意外な答えが返って来た。

「でも、ククーシュカが踊りに参加してくれたら、彼のこと考えてもいいわ」
「考えるだけか」
「ちゃんとデートして、前向きに検討するわよ」
 べえとクロエはアルジェントに舌を出す。

(すごいな、クロエは)
 堂々としてうらやましい。
 あんなふうにアルジェントに意見するなんて、自分にはとても真似できない。
 この自由闊達さに、コンティ伯も魅かれるのだろうとククーシュカは思う。
 クロエは美人で、同性から見ても魅力的だった。

「ククーシュカ?」
 彼女の視線を受け、はっと気づく。
 
 そう、ヨルンドにはすでにお金をもらっているし、彼女にもデートをしてもらわなければならないのだ。
 そして、そのためには自分もヴェールを取って踊らなければ──

(どうしよう、どうすればいい?)
 瞬時にぐるぐると(めぐ)って出た苦肉の策だった。

「──わ、わたし、お店を出すから忙しくて踊りには参加できないんです!」

 あの後、一瞬ぽかんと驚いたクロエだったが、すぐに楽しげに手を叩いた。
「初耳だわ、なんのお店をするの?」
「ま、まだ決めてなくて……」
「まあ、それじゃ急がなきゃね。わたしに手伝えることがあったら、いつでも言ってね」
 
 クロエが帰った後、頭をかかえるククーシュカを、アルジェントは憐れみのまなざしで見つめた。

「お前、店などどうするのだ」
「しょうがないので、あの頭痛薬でも売ります……」
「祭りに湿布か?」
 そりゃないだろうと顔をしかめる。

「催事場のすみでひっそりやりますよ……」
 ククーシュカは弱々しく笑った。が──


「だめだね」
「えっ」
 翌日、朝一番で役場を訪ねたククーシュカは、出店を拒否され受付カウンターに立ち尽くした。
 
 役人は、しっしっと面倒くさそうにククーシュカを追い払う。
 前回の祓魔の件で仕返しをされているのだと思ったが、
「戦後初めての祝祭なんだ、薬なんて辛気くさいもの売れないよ」
 アルジェントの危惧した通りだったのだ。

「で、では、何なら販売してもいいのですか?」
 この際、もうインチキ聖杯でもなんでもいい。
「空き枠は菓子屋だ。それなら出店を許可するよ」

(お菓子──)
 ククーシュカは、目の前に帳が下りていく気分だった。
 これまで、菓子など作ったことはおろか、まともに食べたこともなかった。

 とりあえず、なんとか出店せねばと店舗だけは確保してきたが、教会へもどってもまったく策が浮かばなかった。
 アルジェントも呆れてそっぽを向いている。

「それでよく、店を出す気になったな」
「はい……」
「まったく面倒を背負(しょ)い込みおって」
「すみませ……」
「だがこれはチャンスだ、クク! 繁盛すれば、いずれ教会でも売ることができる。力の限りとことんやるぞ!」
 
 靴音高く床を鳴らし、いきなりふり向いた神父にククーシュカは後退った。
 いつもの無機質な瞳にいきいきと光が宿り、逆に引いてしまう。

「祝祭で菓子が売れれば教会にひとが来る。協力を仰げば捜査も進む。うまい飯も食える。ピンチをチャンスに変えるのだ!」

 ピンチはできれば回避したいと思うククーシュカだったが、何かのスイッチが入ったようで、アルジェントはすでに聞いていない。
 彼の中では、タスクが固まりつつあるようだ。
 
 彼の力のベクトルは、どこへ向いているのだろうとククーシュカは疑問に思う。
 与えられた聖務はやる気がないのに、難問や任務には異様に燃える傾向がある。
 自分とは真逆の行動だ。

(このひとは、なぜできないことに挑もうとするんだろう)
 ここでその役が回って来るのはだいたい自分なのだが。

「求めよ、さらば与えられん」
 いかがわしい自己啓発論を延々と聞きながら、ククーシュカは胃が重くなるのを感じた。