まるで地獄のような日々だった。

あれほど世話をしていたのに、弟に対する情は、何も湧かなかった。

むしろ、煩わしかった。

弟の方も、世話してくれる兄を慕うことはなかった。

それだけの知能がなかった。

食事も自分で食べてくれないから、毎食食べさせなければならない。

でも素直に食べてはくれなくて、気に入らないものがあれば握り潰すか、皿をひっくり返して癇癪を起こした。

幼いうちはまだ良いものの、ある程度大きくなってくると、暴れる弟を押さえつけるのは至難の業だった。

暴れるのを押さえ込む拍子に、顔やお腹を殴られたことも何度もある。

お風呂に入れるのは、もっと大変だった。

弟はお風呂に入るのが大嫌いで、風呂に入れようとすると、闘牛のように暴れまくった。

更に、着るものにもこだわりがあって、自分の気に入った下着やパジャマでなければ、癇癪を起こした。

だから我が家では毎日のように、脱衣場で裸でびしょ濡れの弟と、激しい攻防を繰り広げなければならなかった。

当事者からすれば、これは笑い事ではない。

ようやく服を着せた頃には、脱衣場は水浸しになっていた。

その水浸しになった壁や床を、乾いたタオルで拭くのも、僕の仕事だった。

弟との攻防でへとへとになりながら、僕は床に這いつくばって、弟が暴れたときに飛び散った水滴を拭いた。

あの憐れな光景は、今でも忘れられない。

弟が昼夜を問わず癇癪を起こすせいで、近所からのクレームも日常茶飯事だった。

近所から苦情を言われる度、母は僕に「弟の面倒をちゃんと見てよ」と溜め息をついて言った。

それはあんたの仕事じゃないのか。

僕はそう思った。

弟がどんなに暴れようと、僕がどんなにてこずっていようと、母も父も、全く手を貸してはくれなかった。

全てを、僕に任せきっていた。

そして自分達は、健常児の、育てやすい妹だけの世話をして、親になった気分でいた。

それが、とても恨めしかった。