両親は、弟が知的障害者であると知ったその日から、弟に対する愛情を失った。

この間まで、あんなに猫可愛がりしていたのが嘘のようだ。

これから先、弟に献身的な療育を施さなければならないと医者に言われ。

あんなに大事にしていた弟が、今度は途端に面倒な存在に変わってしまったのだ。

療育を施したとしても、それで健常児になれる訳ではない。

薬や手術で治るものでもない。

この子は、自分達が思っているより遥かに、手がかかる。

しかも、普通の子供のように、20歳かそこらまで育てれば良い訳ではない。

勝手に自立してはくれない。

弟は、一生誰かの手を借りなければ、生きていけないのだ。

それこそ、両親は死ぬまでこの弟の面倒を見なければならなくなった。

こんなに手がかかるなんて、聞いてない。

両親にとっては、そんな思いだったのだろう。

決して弟が悪い訳ではない。

両親が悪かった訳でもない。

誰かが悪かったから、弟が障害を持って生まれてきた訳じゃない。

それなのに。

あれだけ可愛がっていた癖に、障害があると知った途端、両親はあからさまに弟に興味を失った。

無責任だ、と思った。

結局あの二人は、自分にとって都合の良い子供が可愛かったのであって。

自分にとって都合の悪い子供は、愛すべき対象にはならなかったのだ。

僕が、そうであったように。

こうして、弟は生まれてからたった二年と半年で、親の愛情を失った。

しかし、それでも僕は弟が羨ましかった。

だって彼は、生まれてから二年も、両親に愛されていた。

対する僕は、生まれてから一度として、親に愛されたことなどないのだから。

しかも、弟は自分が愛されてないことにも気づいていなかった。

気づくほどの知能がないのだから。

そして、両親に見放された弟が、それからどうなったのか。

他の子より遥かに手のかかる弟の世話を押し付けられたのは、僕だった。