僕の人生において、一番古い記憶。
それは、王都セレーナから遠く離れた田舎にある、小さな安アパートで。
母親と、粗末な食卓を囲んでいる風景だった。
あれが、僕の人生の始まりだった。
あの頃は、本当に惨めな生活だった。
絵に描いたような極貧生活だった。
隙間風の入る安いアパートで、僕と母は二人きりで暮らしていた。
父親はいなかった。
僕の父親が誰なのか、僕は今になっても知らない。
幼い頃、僕の父親は何処にいるのか、と母に尋ねたことがある。
でも、返ってきたのは返事ではなく、平手打ちだった。
父親について尋ねることは、僕には許されなかった。
だから今でも、父が生きているのか、死んでいるのかも知らない。
今は、もう知りたいとも思わない。
母と二人きりで暮らしていた頃は、僕の世界は本当に、狭くて小さかった。
住んでいるアパートが、という意味ではない。
人が生きていく為には、多くの人間と関わらなければならないと言うが。
僕が接する人間と言えば、母以外、誰もいなかった。
先程も言ったように、父親がいなかった。
更に、他の親族との接点も全くなかった。
父のみならず、祖父母の姿を見ることもなかった。
祖父母に関しても、生きているのか死んでいるのか分からない。
そもそも、僕が存在していることすら、向こうは知らないのかもしれない。
母は自分の両親と、完全に関係を断っていた。
絶縁したのか、絶縁されたのかは知らない。
祖父母についても、母は何も教えてくれなかった。
僕の方も聞かなかった。
聞いても、答えてくれないことが分かっていたから。
とにかく、僕の世界は母と二人だけで完結していた。
保育園や、幼稚園にも行っていなかった。
母との生活が、僕の世界の全てだった。
それは、王都セレーナから遠く離れた田舎にある、小さな安アパートで。
母親と、粗末な食卓を囲んでいる風景だった。
あれが、僕の人生の始まりだった。
あの頃は、本当に惨めな生活だった。
絵に描いたような極貧生活だった。
隙間風の入る安いアパートで、僕と母は二人きりで暮らしていた。
父親はいなかった。
僕の父親が誰なのか、僕は今になっても知らない。
幼い頃、僕の父親は何処にいるのか、と母に尋ねたことがある。
でも、返ってきたのは返事ではなく、平手打ちだった。
父親について尋ねることは、僕には許されなかった。
だから今でも、父が生きているのか、死んでいるのかも知らない。
今は、もう知りたいとも思わない。
母と二人きりで暮らしていた頃は、僕の世界は本当に、狭くて小さかった。
住んでいるアパートが、という意味ではない。
人が生きていく為には、多くの人間と関わらなければならないと言うが。
僕が接する人間と言えば、母以外、誰もいなかった。
先程も言ったように、父親がいなかった。
更に、他の親族との接点も全くなかった。
父のみならず、祖父母の姿を見ることもなかった。
祖父母に関しても、生きているのか死んでいるのか分からない。
そもそも、僕が存在していることすら、向こうは知らないのかもしれない。
母は自分の両親と、完全に関係を断っていた。
絶縁したのか、絶縁されたのかは知らない。
祖父母についても、母は何も教えてくれなかった。
僕の方も聞かなかった。
聞いても、答えてくれないことが分かっていたから。
とにかく、僕の世界は母と二人だけで完結していた。
保育園や、幼稚園にも行っていなかった。
母との生活が、僕の世界の全てだった。