こうして、私は周囲の期待を裏切らない為に、女の心でありながら、男として振る舞った。
正直、とても不満だった。
私はれっきとした女なのであって。そりゃ確かに身体は男なのだけど。
男として扱われるのは嫌だった。不満だった。
大事にしてくれるのは、男としてのエガルテであって。
本当の自分、女であるエヴェリカではないのだと思うと、悲しかった。
だけど、本当の自分なんて…絶対に明かす訳にはいかなかった。
こうして私は、女である自分を隠し、男として振る舞い続けた。
だけど、心の中では。
いつでも、女としての自分が声をあげていた。
私は女なんだ、と。
女の子として生きたいんだ、と。
それなのに、身体は男のものなのだ。
自分は異常なんじゃないかと、何度思ったことだろう。
身体は男なのに、自分は女だと思ってる。
もしかして、自分が間違っているのではないか。
何度もそう思って、私は「自分は男なのだから。ちゃんと心も男でなければならないのだ」と自分に言い聞かせた。
殊更に男っぽく振る舞って、男の子らしい遊びを楽しむ振りをして、自分が男だと思い込もうとした。
でも、やっぱり駄目だった。
どんなに男だと思い込もうとしても、私は女だった。
女としての自分を、騙すことは出来なかった。
そんな自分を、ずっと異常だと思っていた。自分は生まれてくるのを間違えてしまったのだと。
性同一性障害、性別違和という言葉を知ったのは、ある程度大きくなってからだった。
学校の道徳の時間に習ったのだ。
心と身体の性別がちぐはぐになるという病気…もとい、障害は、実はそう珍しくはないということ。
他にも自分と同じように、心と身体の性別の違いに悩んでいる人がいるのだということ。
何より、これは生まれつきのもので、私が何か間違えたからこうなったのではないということ…。
それらを知って、私は心が楽になった。
と同時に、私の心は女のままで良いんだ、とホッとした。
しかし。
人知れず安心していた私の、隣の席にすわっていた男子生徒が。
授業の後、笑いながらこう言った。
「さっきの授業ってさぁ、要するに『オカマ』ってことだろ?」
「『オネエ』じゃね?」
「どっちにしても、気持ちわる~い」
こう言われたとき。
正直私は、度肝を抜かれた。
正直、とても不満だった。
私はれっきとした女なのであって。そりゃ確かに身体は男なのだけど。
男として扱われるのは嫌だった。不満だった。
大事にしてくれるのは、男としてのエガルテであって。
本当の自分、女であるエヴェリカではないのだと思うと、悲しかった。
だけど、本当の自分なんて…絶対に明かす訳にはいかなかった。
こうして私は、女である自分を隠し、男として振る舞い続けた。
だけど、心の中では。
いつでも、女としての自分が声をあげていた。
私は女なんだ、と。
女の子として生きたいんだ、と。
それなのに、身体は男のものなのだ。
自分は異常なんじゃないかと、何度思ったことだろう。
身体は男なのに、自分は女だと思ってる。
もしかして、自分が間違っているのではないか。
何度もそう思って、私は「自分は男なのだから。ちゃんと心も男でなければならないのだ」と自分に言い聞かせた。
殊更に男っぽく振る舞って、男の子らしい遊びを楽しむ振りをして、自分が男だと思い込もうとした。
でも、やっぱり駄目だった。
どんなに男だと思い込もうとしても、私は女だった。
女としての自分を、騙すことは出来なかった。
そんな自分を、ずっと異常だと思っていた。自分は生まれてくるのを間違えてしまったのだと。
性同一性障害、性別違和という言葉を知ったのは、ある程度大きくなってからだった。
学校の道徳の時間に習ったのだ。
心と身体の性別がちぐはぐになるという病気…もとい、障害は、実はそう珍しくはないということ。
他にも自分と同じように、心と身体の性別の違いに悩んでいる人がいるのだということ。
何より、これは生まれつきのもので、私が何か間違えたからこうなったのではないということ…。
それらを知って、私は心が楽になった。
と同時に、私の心は女のままで良いんだ、とホッとした。
しかし。
人知れず安心していた私の、隣の席にすわっていた男子生徒が。
授業の後、笑いながらこう言った。
「さっきの授業ってさぁ、要するに『オカマ』ってことだろ?」
「『オネエ』じゃね?」
「どっちにしても、気持ちわる~い」
こう言われたとき。
正直私は、度肝を抜かれた。