「無駄だよ、イレースちゃん」

「…」

下手なことは、言わない方が良いのかもしれない。

例え嘘でも、宥めるようなことを言った方が良かったのかもしれない。

こんなことを言ったら、余計逆上するだけかもしれない。

でも、言わずにはいられなかった。

「変えようとしたからって、そう簡単に変えられるものじゃない。例え『禁忌の黒魔導書』の力を使おうと。禍なる者…邪神を復活させても」

世界は、何も変わらない。

かつて世界を救った私が、そう断言する。

「何故なら今の、この世界も…その邪神が創り出した世界の、成れの果てなんだから」

そう言うと、イレースちゃんは初めて少しだけ、狼狽えた。

まだ若い彼女には、かつての世界がどんな風だったか、知る術がない。

今のこの世界だって、彼女が望んだように、邪神が降臨していたのだ。

その邪神が滅びて、結果、今の世界が出来上がった。

だから、何度繰り返しても同じこと。

向かう先は、今のこの世界なのだ。

ならば。

「…世界を変えようとしちゃいけない。確かに辛い世界だ。不平等な世の中だ…。でも…救いが全くない訳じゃない」

美しいものが、全くない訳じゃない。

愛すべきものが、全くない訳じゃない。

ほんの小さなことでも良い。

「…何の価値もない世界、って断言出来るほど…今の世界は醜くないと思うよ。私は」

少なくとも、まだ見ぬ邪神が作り替える世界よりは。

価値のあるものではないのかと、思う。

「…それは…」

「イレースちゃん。私は君の気持ちが分からない訳じゃない。今でも、この世界の何処かで苦しんでいるであろう人々を、平等に救うことが出来たら…それは素晴らしいと思う。でもね」

「…」

「それは無理だ。人間には…魔導師には出来ない。それは最早、神の領分だ」

背伸びをして、雲に触ろうとしているのと同じこと。

両の手のひらで、海を抱こうとしてるのと同じこと。

ハナから不可能なのだ。そんなの。

「魔法は、世界を変える為にあるんじゃない。目の前の愛すべき命を守る為にあるんだ。自分の目の届く範囲を助けるしかない。魔法は世界の為にあるんじゃない、人の為にあるんだよ」

それを履き違えてはいけない。

事実、イレースちゃんはまだ見ぬ遠くの世界…理想の世界だけを見ている。

だから、目の前で苦しんでいる…怯えた目で震えている生徒達の姿が…見えていない。

世界の為なら、彼らの犠牲は厭わない。そういうつもりなのかもしれないけど。

「…君が救いたいのは誰?世界?国?フユリ様?それとも…目の前で怯えてる人質達?」

「…」

「あるいは…世界を変えられない非力な自分?」

「…!」

イレースちゃんは、ハッとして顔を上げた。