外の世界は快適だったが、収容所の外に出たからと言って、手放しで喜べるほど私の人生は甘くなかった。

収容所の暮らしを思うと、外の世界はあまりにも安楽だった。

外の世界と言うより、叔母の家が、だが。

叔母は、国の政府に関わる家柄だった。

この家柄の為に、叔母の家では、一般人の家庭とは比べ物にならないほど、生活レベルが高かった。

この家は、いつでも物が溢れていた。

国民の大半が毎日食べ物に困る日常を送っているのに、この家は、一日三回、充分な量の食事が並んだ。

衣服も、暖かな毛布もあった。

収容所の基準どころか、一般家庭と比べても、天国のような場所だった。

ついこの間まで地獄にいた私は、今でもたまに、「何で私はここにいるんだろう」と思ってしまった。

収容所にいるのが、すっかり当たり前になっていたのだろう。

ここにはこんなに物があるのに、今にも餓えて死にそうな人のところには、何もないのだ。

世の中の不公平さ、理不尽さを実感しない日はなかった。

叔母を憎んでいる訳ではない。私を助けてくれた叔母には、心から感謝している。

でも、思わずにはいられない。

ここに家族がいれば。

ここに両親がいてくれたら。

もっと早く、叔母が私に気づいて助けてくれていたら…と。

贅沢なのかもしれないが、どうしても私は、そう思ってしまった。

そして、私がいなくなった収容所はどんな風かを、いつも想像した。

私一人がいなくなったところで、収容所が何か変わるはずがないことは分かっている。

でも、私がいなくなった後、私がいたベッドは誰が使っているのだろう、とか。

私の後、誰が食堂婦の仕事についたのだろう、とか。

私が突然いなくなったことを、ルームメイト達はどう思ってるんだろう、とか。

収容所での惨めな日々のことを、思い出さない日はなかった。

思い出しても仕方ないと分かっていても。