あの頃、私にはまだ家族がいた。

兄弟はいなくて一人っ子だったけど、父と母がいた。

二人共、一人娘の私をとても大事にしてくれた。

幼い頃から引っ込み思案で、近所の子からからかわれることも多かったけれど、両親はその度に私を庇ってくれた。

本当に…優しい両親だった。

二人は私を愛してくれたし、私も両親を心から愛していた。

でも、家族が仲良しで、幸せなだけでは暮らしていけなかった。

私が収容所に入ることになった前年、私達が住んでいた地方で、酷い飢饉が起きた。

連日の豪雨のせいで、作物が流され、残った畑も水に浸かって、全て腐ってしまった。

食べるものがなくなった私達は、途端に飢え始めた。

私の家族だけでなく、近所の家は何処もそうだった。

両親は、乏しい食糧を少しでも私に食べさせようと、自分達が我慢して私に食べ物を与えようとした。

私はその度に断り、家族で平等に分けようと言ったものだ。

自分の飢えよりも、両親が日に日に痩せていくのが怖かったから。

特にお母さんは、元々身体の弱い人だった。

深刻な栄養不足のせいで、子供の目から見ても酷く衰弱していた。

お父さんは何とかして、家族を守ろうとしてくれた。

でも、近所の人々も含めて皆が飢えている状況で、お父さんが出来ることは少なかった。

誰もが飢えていても、政府の施設には、貯蔵してある食糧がたくさんあった。

そのことは、皆知っていた。

人々はこの飢饉を脱する為、政府がその食糧を分配してくれることを期待していた。

国民を守る為に。私達を助ける為に。

しかし、その期待は裏切られた。

政府は貯蔵してある食糧を配るどころか、懐に抱え込んで、決して手放そうとしなかった。

これから更に状況が悪くなったとしても、自分達だけは助かるように。

国民は当然非難したが、彼らは声をあげる国民を収容所にぶちこむことで黙らせた。

それが、シェルドニア王国のやり方だった。

こんなことをされては、最早誰もが口を閉ざすしかなかった。

どんどん飢饉が深刻化していく中で、一番最初に死んだのは、お母さんだった。