「『死火』…?何の話だ?」

アシバ達は、当然それが何なのか分からない。

だが、俺には。

俺達には、よく分かる。

今まで何回も…何回も、同じようにやって来たから。

「『死火』を渡せ、無闇(むやみ)・キノファ」

エルク・シークスは、俺の本名を呼んだ。

その名で呼ばれるのは…いつ以来だろうか。

「無論、断ればこの人間達を殺す」

「…」

…成程。

いもしない「妹」の捜査を求めてアシバ探偵事務所に来たのは、その為。

アシバ達を人質に、俺から『死火』を取り上げる為に。

「…そういうことか」

よく分かった。

その方法は、俺にとって大変有効だ。

気心の知れたアシバ達を、みすみす見殺しにしたくはない。

アシバ達を見殺しにすることと、『死火』を渡すこと…どちらかを選ぶなら。

俺は…。

「…悪いが、そう簡単に渡す訳にはいかない」

俺は長い間、『死火』を守りながら生きてきた。

人質を取られたからと言って、ほいほい渡すことは出来ない。

「人質の命は構わないと?」

「答えは同じだ。『死火』は渡さない」

この古ぼけた魔導書を守ること。

それが俺の存在意義であり、これだけは決して譲れない。

「…ならば仕方がない。力ずくでも…渡してもらおう」

エルク・シークスは、殺気を滲ませて俺を睨んだ。

そちらがそのつもりなら。

「…月読」

「うん」

『死火』の化身であり、『死火』そのものでもある月読が、俺を守るように前に出た。

この力を使うのは、本当に久し振りだ。

そして今この場でこの力を使ってしまえば、俺はもう二度と…キノファ・フォールスとして…人間として、アシバ探偵事務所で働くことは出来ないだろう。

でも、構わない。

俺は今まで、ずっとそうやって生きてきた。

人間の振りをして刺客から隠れ、正体を知られたら、その土地から離れ、また他の人里に紛れ込む…。

そうやって、まるで逃げるように生きてきた。

それは全て…『死火』を…月読を守る為。

だから…。

「…お前が『死火』を奪おうとするなら、俺が殺す」

「…」

エルク・シークスは、口許を歪ませるように笑った。

この男が何者なのか、俺は知らない。

何を企んでいるのかも。

だが、目的は『死火』に違いない。

俺は、そう確信していた。

「…無闇」

月読が、久し振りに俺を本名で呼んだ。

「アシバ君達はどうするの。このままだと巻き込んで死んじゃうよ」

「…守ってくれ。無関係の彼らを死なせたくはない」

「…分かった」

何も知らないアシバ達は、話についていけずに言葉を失っていた。

いきなり無闇だの『死火』だの…彼らには、何のことか分からないだろう。

彼らを騙していたのは、エルク・シークスではない。

他でもない、この俺なのだ。

そう思うと、心が痛かった。

それでも、俺は『死火』を渡す訳にはいかないのだ。

だから。

「俺は…お前を倒す」

負けるつもりは、ない。