こうして出荷された俺は、奴隷市場に商品として並べられた。

買い手は、すぐに見つかった。

俺を買った金持ちの男は、巨大な農園を経営していた。

俺はその農園で働かされる、大勢の奴隷の一人になった。

そこでの生活は…正直、あまり思い出したいものではない。

一言で言うなら…一歩間違えば死んでいてもおかしくなかった。そんな生活だ。

何年かその農園で働いて、家畜同然に扱われ、身も心も疲弊して、人間としての自分を見失っていた。

自分ですら、自分を家畜だと錯覚していた。

そんな俺に、転機が訪れた。

それが、俺が行き倒れる数ヶ月前。

俺を長年使っていた農園の経営者、つまり俺のご主人様が…突然亡くなったのである。

長く持病に苦しんでいたことは知っていたが、まさかこんなにあっさり、ぽっくりと死んでしまうとは。

主人が死んだ後、農園を継いだ主人の息子は、いくつかの農園と、そこで働く奴隷を手放した。

彼にしてみれば、金と手間がかかるだけで、父の残した農園に魅力を見出だせなかったのだろう。

こうして俺は、長く働いた農園から追い出された。

でも、追い出されたからといって、奴隷から解放される訳ではない。

一度売られてしまった以上、家畜は一生家畜のままだ。

俺は再び奴隷市場に戻され、新たな買い手が現れるのを待つことになった。

一度人の手に渡った奴隷は、その価値が下がってしまう。

おまけに俺は、前に売られたときより歳を取っていたから、以前ほど高くは売れなかった。

買い手もなかなかつかず、しばらくいくつもの奴隷市場をたらい回しにされた後、ようやく買い手がついた。

農園の後は、炭鉱送りだった。

奴隷が送られる場所としては、最悪の部類に入る。

炭鉱事業は、最も奴隷労働者を多く使う企業であり。

そして、最も奴隷の移り変わりが激しかった。

それだけ、危険を伴う職場だということだ。

危険な作業と杜撰な安全対策、そして過酷な労働のせいで、毎日のようにバタバタと奴隷が死んでいった。

しかも炭鉱の事業主は、その状況を改善する努力をしようとはしなかった。

彼らにとって奴隷は消耗品であり、鼻を噛んだ後のちり紙のように、使っては捨てられていった。

そして足りなくなったぶんは、また奴隷市場で安く補充する。

奴隷は、単なる「モノ」でしかなかった。

農園でもそうだったけれど、炭鉱は更に酷かった。