だが…サヤノさんは、俺を助けることが出来なかった。

彼女は俺の胸に空いた、小さな穴…その刻印に、不思議な軟膏のような薬を塗りつけた。

俺にはさっぱり分からなかったが、それは「悪いもの」を追い出す薬なのだそうだ。

両親が、心配そうな面持ちで俺を覗き込んでいた。

今まで、色々な方法を試した。

呪文を唱えたり、変な魔法陣みたいなものを書いたり。

薬も飲んだし、身体にお札を貼られたこともあった。

でも、どれも効かなかった。

そんな経験があるものだから、本当にこんな軟膏で化け物が追い出せるのか、不安でしかなかった。

俺も不安だった。

今度こそ、これなら必ず、と言われて、その度に期待した。

そして、毎回裏切られてきた。

もしかしたら、もう一生このままなのかもしれないと思って、怖かった。

しかし、サヤノさんは。

「心配しないで。この薬は、聖なる祈りを込めた特別な塗り薬だから。これで化け物は追い出せるわ」

「…そう、なんですか?」

「えぇ。だから安心して。大丈夫。必ず助けてあげるからね」

俺は、その言葉を信じた。

彼女の笑顔が、とても優しくて、頼もしいものだったから。

それに、その薬を塗って、五分としないうちに。

俺は、胸が苦しくなってきた。

何かが身体の底から突き上げてくるような、魂でも吐き出しそうな嘔吐感を感じた。

明らかに、今までのインチキな占いとは異なっていた。

この薬は、本当なのだ。

期待すると同時に、怖くなった。

身体の中からあの化け物が出てきたら、誰が止められるのだろう。

俺の中で、化け物が激しく怒っているのが分かった。

「大丈夫よ、頑張って。あと少し…」

「う…ぐ…っ!」

暴れ出しそうになる衝動を、必死に堪えた。

サヤノさんが、ずっと俺の手を握ってくれていた。

その手の温もりだけが、俺に正気を保たせていた。

しかし。

「大丈夫。必ず助けるから。私が、あなたを助け…」

「あ…だ、駄目!」

「!?」

堪えきれない力の塊が、俺の身体を乗っ取った。

その瞬間、周囲にあったものが全て消し飛んだ。








あの感覚は忘れることが出来ない。

首から上は俺なのに、首から下は、他人が動かしているのだ。

俺の手は、俺の意思に反して、周りにいる全ての人間を殺していた。

俺の足は、俺の意思に反して、逃げ惑う人々を追い続けた。

俺の身体は、俺の意思に反して、ただ殺戮を繰り返す化け物になっていた。

俺の手で殺されていく人々の悲鳴が、今でも耳に焼き付いている。

そして、自分の悲鳴も。

「やめてぇぇぇぇ!殺さないでぇぇぇ!嫌だ!殺したくない!殺したくない!殺さないでぇぇぇ!!」

半狂乱になって叫びながら、しかし自分の身体を止められなかった。

両親でさえも、その手で引き裂いた。

血潮を啜り、心臓を抉り出して貪った。

最後まで俺を助けようとしてくれた、サヤノさんでさえ。

「嫌ぁぁぁぁ!逃げてぇぇぇっ!!」

何とか自分の手を止めようとしたのに、駄目だった。

俺は、氷の刃でサヤノさんの身体を貫いていた。

彼女は最期まで、笑っていた。

優しい笑顔で、俺に向かって言った。

「…大丈夫…。あなたの、せいじゃ…ないのよ…」

「あ…あぁぁぁ…」

「助けて…あげられ…なく…ごめ…ね…」

「…!!」

サヤノさんの血で塗れた手。

村人の血で塗れた手。

俺のものであるはずなのに、俺のものではない手。

…化け物の手。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

俺の咆哮は、誰の耳にも届かなかった。

当然だ。

俺が全員…殺してしまったのだから。