「最近、石垣くんと別れたいって言わなくなったね」

 ――体育の授業後の帰り道にみすずにそう言われた。
 最近は”別れたい”と思うより、どんな返事をしようかと迷っている。
 
「そりゃぁ、もうすぐで約束の日だからね。返事をするまであと1週間くらいあるし」
「またまたぁ〜。付き合ってるうちに石垣くんのことが好きになったんじゃないの?」
「もぉぉお!! やめてよ。…………ただ、このまま別れちゃったらどうなるのかなって。夏休みが明けたらまた毎日顔を合わせるし。気まずくなるのも嫌だなと思っててね」

 毎朝家までお迎えに来て、お昼ご飯は一緒に食べて、一緒に下校する。
 そのスタイルが定番化してるせいか別れるイメージが湧かない。
 きっと、私はいまの状態に甘えてる。

「私も心配してる……」
「えっ」
「……あ、ううん。なんでもない」

 みすずが左右に首を振ると、後ろからひまりちゃんが声をかけてきた。

「いまなんの話をしてるの?」
「いや……。あやかが最近キレイになったねって話」
「ええっ?! そうかなぁ……。あんまり変わってないと思うけど」
「恋をすると女はキレイになるって言うじゃない。藍とうまくいってるしね〜」
「もぉぉお!! みすずったら!!」

 みすずにムキになってると、ひまりちゃんは突然話題を変えた。

「あやかちゃん、小学生の頃に赤白帽子を人にあげたって話、本当なの?」

 この話は高校に入学してから一人にしかしてないから出どころがすぐに判明した。

「本当だよ。もしかして、その情報は藍から?」
「うん、そう」
「赤白帽子を無くした子が落ち込んでいたから元気づけてあげようと思ってね。見ず知らずの子だったけど……」
「えっ…………。見ず、知らずの子?」
「そう。せっかくの運動会なのに、悲しい思い出になって欲しくないじゃん! 私は当時6年生だったから帽子がなくても別にいいかなぁ〜って思ったし」
「……」
「あやかったらやるじゃん! 見ず知らずの子に赤白帽子をあげるなんて優しい〜〜っ!!」
「やだぁ。そんなに褒めないでよ〜。全然たいしたことないのに照れるじゃん」

 ひまりちゃんは質問してきたのにもかかわらず急に口を閉ざしてうつむく。

 藍とひまりちゃんは仲がよくないのに、知らないうちに赤白帽子の話をしてたんだ。
 なんて考えていると、後ろから藍が肩を叩いてから声をかけてきた。

「あやか。帰りに時間ある?」
「うん。大丈夫だけど」
「ちょっと寄り道してから帰らない?」
「いいよ!」

 すると、ひまりちゃんは藍の肩をポンと叩いてから一人で校舎に向かって行った。
 藍は吸い込まれるようにその背中を見つめる。


 ――放課後。
 藍と一緒に校舎を出ると、日中は小雨程度だった雨がいまは地面に叩きつけるほどの大雨に。
 跳ね返りで靴下が全て湿ってしまいそうなほど。
 私は傘に手をかけながら彼にたずねた。

「寄り道は明日にしない? こんなに雨が降ってたら行くところが限られちゃうし」
「明日は……無理だから」
「わかった。で、どこに行く?」
「あじさい寺」
「えっ! いまからあじさい寺? 外だからずぶ濡れになっちゃうよ? それに、先週梅雨明けしたからもう枯れてるかもしれないし」
「それでも行きたい」
「う、うん……。わかった」

 それから傘を並べたままあじさい寺に向かった。
 到着すると、予想通りあじさいは花びらが茶色く変色し始めている。
 一番最初にここへ来た時はきれいに咲き誇っていた分、少しさみしい。

「もう枯れちゃったね。つい先日まではきれいに咲いてたのに」
「また来年咲くよ」
「えへへ。そうだよね。あっ、覚えてる? この場所でラブレターを入れ間違えたとカミングアウトした時のことを」
「覚えてるよ。あの時はすっげぇショックだった。あやかからラブレターをもらった時は所構わず叫びまくるくらい嬉しかったから」
「私もビックリしたよ。まさか、自分が書いたラブレターを藍の下駄箱に入れ間違えただけなのに、いきなり彼女になっちゃうんだもん」

 あの時は藍のことをほとんど知らなかったのにね。
 私の人生の中で一大騒動だったなぁ。

 あじさいを眺めながらあの時のことを思い返して笑っていると、藍はくるりと背中を向けた。

「実は、今日あやかに伝えなきゃいけないことがあって……」

 かしこまった口調でそう言う彼。
 なにか大事な話があるのだろうか。

「どうしたの? 急にかしこまって」
「…………俺たち別れよ……っか」
「えっ」
「自分勝手でごめん……。でも、もう終わりにしよう」

 あまりにも突然の別れ言葉に、頭が真っ白になった。
 いまの状態でいることに甘えていた自分に冷水をかけられたような気分になる。

「ど……、どうして? 期限は31日までって藍が決めたんじゃない」
「あさってから夏季休暇に入るから決断した」
「そんなの質問の答えになってない! 本当は別の理由があるんじゃないの?」

 私は彼の腕を掴んで自分側へ向かせると、寂しげな影が目に宿っていた。
 それを見た瞬間、言葉の本気度が伝わる。

「ないよ。じゃあ、俺のことを好きになってくれた?」
「……急にそんなことを言われても。まだ自分自身と向き合いきれてないし」
「そんなことだろうと思ったよ。でも俺は100%気持ちを伝え続けてきたし、結果だけを待っていた。即答できないってことは気が向いてない証拠だから」
「それは違うっ! 期限があと1週間先だったし……、それに……」
「これ以上考える必要がある?」

 彼は灯火が消えてしまったかのような態度で言葉をかぶせてきた。
 昨日とは別人のような様子を見て息が詰まる。

「なによそれ……。私たちがまともに喋るようになってからまだ1か月も経ってないのに、好きかどうかなんて決められないよ」

 最近ようやく向き合う準備が整ったのに、その間心の誤差が生じていたなんて思いもよらなかった。
 
「それがお前の結果だから、もう言うことはないよ」
「違う! 大事なことだからもっと慎重に考えたかった。だって、31日までって言ってたじゃん……」
「もう待てなくなった。いままでありがとう」
「藍っっ!!」
「バイバイ……」

 彼は背中を向けると、線状の雨の奥へ消えていった。
 この場に佇んでいる私は頭の中が整理しきれない。 
 返事の期限を前倒しにしてくるなんて想像してなかった。
 夢であって欲しかった。
 今日までの関係がこんなにあっさり崩れてしまうなんて……。


 ――スカートと靴下がびしょ濡れになったまま帰宅した。
 着替えをしてから机の上のオルゴールを手にとってぜんまいを巻き、メロディに包まれながらベッドの上で今日までの思い出に浸る。

 藍……。
 急に別れたいなんて、どうしたのかな……。
 私、なにか嫌なことでも言ったっけ。
 全然心当たりないや。

 目頭が熱くなったと同時に次第に天井が歪んでいき、瞳から枕に向かって一直線の筋を描いた。

 あれほど好きだと言ってくれたのに、どうして返事を急いだのかな。
 別れ話をしてから少し時間が経ったし、もしかしたら思いとどまってるかもしれない。

 私は一筋の希望に願いを込めて、藍にLINEメッセージを送った。

『どうして別れたいなんて言ったの? 私、なにか嫌なことでも言ったかな……』

 でも、送信したメッセージは既読にならない。
 別れがよりリアルになっていくと、心臓がロープで締め付けられたような気分に。
 最初のうちは早く別れたいと思っていたけど、いまは気持ちが落ち着かない。