「ねぇねぇ一緒に『長くつしたのピッピ』よもう~」
「え~また~?」
これで何回目かわからない同じ絵本を、恩田そらと一緒に読む。
恩田そらは、ピッピが大好きでいつも長い靴下をはいている。
性格は、ピッピとは真逆で幼稚園児にもかかわらず控えめで大人しかった。そんな性格もあって、幼稚園内での友達は僕だけだった。そらは、心を許した僕にだけ、まるで腰巾着のようにくっついていた。
僕らは毎日遊んだ。幼稚園から帰っても家が隣のためどちらかの家で日が暮れるまで遊んだ。
僕とそらは、近所の同じ小学校に通うようになった。最初は二人きりで遊ぶことが多かったが、徐々に違う友達ができ、グループで遊ぶことが増えていった。
そらも、控えめながらも明るく優しい性格もあって僕以外の友達を作り、僕以外と遊ぶことが増えていった。それでも、月に数回は二人きりで遊んでいた。田舎のため外で遊ぶことが多かった。
そんな毎日を過ごし、僕らは成長していった。男女の区別がつき、異性を気にしだす年齢になっても、僕らは相変わらず月に数回は二人きりで遊んだ。
そんなある日、夏休みが近く半日で学校が終わり、暇を持て余した僕らは近所の公園に来ていた。二人で駄菓子屋へ行き、ラムネをその日のお小遣いで購入し公園へと足を運んだ。
公園に入ると公園の中心に植えてある桜の木の下に普段は見かけない怪しげな段ボールが置いてあるのが目に入った。
僕らは好奇心だけで段ボールに近づく。段ボールには「拾ってください」と書かれていた。二人、顔を見合わせる。段ボールを上から覗くと、黒い物体に黄色い丸が二つ張り付いているのが見えた。
そらは躊躇なく、それを持ち上げる。
「かわいい~」
満月のような目をしたそいつは小さくあくびをし、か細い声で「にゃ~」と鳴いた。元気がなさそうだったので僕は近くのスーパーへ牛乳を買いに行き、そらは自宅から小さいお皿を取りに行った。戻ると、そらは優しくそいつを撫でていた。
「飲むかなぁ」
不安げに牛乳を差し出すと、くんくんとしてから勢いよく飲み始めた。「かわいい~」と言いながら、そいつが牛乳を飲んでいる間そらはそいつを撫で続けた。
「ねぇ、りく。この猫飼いたいよ~」
「無理だよ、そらの家、お母さんが犬、猫アレルギーじゃん」
「りくん家で飼ってよ」
「うちも無理だよ、きっと」
「じゃ、今からお願いしに行こ!」
「え~」
「このままここに放置するなんてできないよ。ねぇ、お願い~」
猫と目が合う。
そらと同じ目をしていた。
懇願。猫の世界にもあるのだろうか。
「わかったよ。訊くだけ訊いてみよ」
そらは、表情を変え「やったー」といい、ばんざいをした。僕とそらと猫で家路につく。途中、そらは「飼ってもらえるといいね」などと猫に話しかけていた。猫はそれに対し、可愛い声で「にゃ~」と鳴いた。
帰宅し、事情を説明したが母親の第一声は「戻してきなさい」だった。それでも僕らが、くどくお願いすると、猫好きのおばに飼えるか訊いてくれることとなった。
結局、公園で拾った黒猫はおばが引き取ることになった。
中学に上がり、そらはサッカー部のマネージャー、僕はテニス部に所属した。
入学して三か月が経ち、期末試験が近く部活動は停止になっていた頃。廊下ですれ違った僕に「今日一緒に帰らない?」と、そらから声を掛けられた。断る理由もなかった僕は頷いて放課後、校門で落ち合った。そらと制服姿で並んで歩く。公園に行きたいと言われたので、公園を目指した。
公園につき、二人並んでブランコに座る。
その後、二人で遠くの山に日が落ちていく様子を見ていた。
長い沈黙の後、そらが口を開いた。
「私さ、告白されちゃった」
ブランコを少し漕ぎながら、そらが言う。
「誰に?」
心臓が、はやくなるのを感じる。
「サッカー部の先輩」
「なんて返事したの?」
「考えさせてくださいって」
どうしてだろうか。胸に大きな塊ができたような錯覚を覚えた。この塊をどう処理しようかと考えるより先に僕は言葉を発していた。
「俺と付き合ってよ」
そらはブランコを止めて、こちらを見る。
「りくと~?」
くすっと笑い「いいね!楽しそう!」といい、またブランコを今度は先ほどよりも勢いよく漕ぎ始めた。僕は言ってしまってから急に恥ずかしくなり、顔が熱くなった。顔を冷ますために彼女と同じようにブランコを勢いよく漕いだ。
「りく、顔赤い~」
「赤くないし」
あははははとそらが笑う。最初はムッとしていたけど、僕もだんだん可笑しくなり、僕もつられて笑う。
その日は空に星が見えるまで二人で笑っていた。
中学を卒業し、地元の男子校に進学した僕と、地元の共学の高校に進んだ、そら。
偏差値が足らなくて、同じ高校に進学することができなかった。
そらは天然だけど勉強はできた。中学の頃より、会う回数は減ったけど、週に一回は必ず会っていた。映画館へ行ったり、遊園地に行ったり、日帰りで温泉に行ったりもした。そんな、そらとの交流で一番楽しかったのは夜の散歩だった。なんとなく、お互いのどちらかが「今、暇?」とメールを送り、家の前で待ち合わせる。とりとめなく、いびきをかいた夜をそらと歩く。そんな時間が楽しかった。高校に上がってから始まったこの風習は高校を卒業するまで行われた。
高校を卒業し、親戚の紹介で僕は都内のクレープ屋さんで働くことが決まった。そらは機械関係の専門学校に通うことになった。
「なんで、その学校なの?」
「世界一美味しいメロンパンを作りたいからだよ!」
「それなら製菓の学校とかじゃないの?」
「3Dプリンターで作るんだよ!」
意味不明な天然なそららしい理由だった。
メロンパンが大好物なそらにぴったりな理由だ。
専門学校も都内のため二人して上京することになった。手厚い福利厚生を享受できた僕は、家賃補助という恩恵を受けとった。それから、二人の住む部屋を決めるため何件か部屋をはしごした。いつか拾った子猫の思い出があるからなのか、そらはペット可の家に住みたいと言った。
はしごすること数件目、家賃、立地、ペット可、全てが僕らの条件にあった家を見つけることができた。
そらとの共同生活が始まった。
毎朝そらと同じ時間に起き、朝食を二人で食べる。そらを見送ったあと、家の掃除を軽くして僕も出勤する。家に帰ると、夕食を作ってそらが待っている。二人してご飯を食べ、散歩に出かける日もあれば、お家でドーナツなんかを作る日もあった。そらの学校の試験が近くなれば、僕が夜食作ってあげる日もあった。
「今日もたくさん食べた~」
「そら、いつも夕食ありがとう」
僕は立ち上がり夕食で使った食器を洗っていく。
「洗い物おわったらさ、ゲーセン行こうよ!」
後ろから、そらが言った。
「うん、いいよ、いこ」
肌寒くなってきたので、二人で厚着をし外へ出る。
「最近、急に寒くなったよね」
「うん、そうだね。スカートじゃ寒くない?」
「へーき!この長い靴下があるもん」
そらはお気に入りの白くて長い靴下を僕に見せた。
寒くなった十月の夜を歩く。
ほどなく歩いて僕らは近所の小さいゲームセンターに辿り着いた。
ゲームセンターに入り、クレーンゲームコーナーに行き、二人で順番に台を眺めていく。
三台目でそらが足を止め「これとろう!」といった。
大きな猫のぬいぐるみ。
それから、二人して猫のぬいぐるみを取ることに必死になった。ところが、何回やっても、猫のぬいぐるみは寝返りをうつだけだった。
それを見かねた、可愛いメイド服を着たアルバイトであろう店員が近づいてきた。「特別に」と僕らに微笑んでから、台のカギを開けて、中から猫のぬいぐるみを取り出し渡してくれた。
二人で頭を下げ、ゲームセンターを後にした。
「ねえ、りく。早く猫と三人で暮らそうね」
帰り道、猫のぬいぐるみを抱っこしながら、そらが言った。
「だな。せっかくペット飼える家借りたんだしな」
「約束だよー?」
「おう」
「よおおおおし。コンビニに寄ってアイス買って帰ろー!」
そらと顔を合わせ、二人で笑いながらコンビニを目指す。
僕は日常の当たり前に甘えていた。
若さという時間に甘えていた。
静かな夜に、僕らの笑い声が小さく響く。
そらがこちらを見て一生懸命何かを話しかけている、しかし、だんだんと視界が揺らいでいき、そらの声が遠のいていく。
そして、僕は気づく。
ここで、終わりだと。

ピピ、ピピ、ピピ。
目覚ましが鳴っていることに気がつき、手探りでスマホの目覚まし機能を止める。
そらがいなくって、何度目だろうか。
そらとの思い出を僕はまた見ていた。
むくむくと起き上がり、顔を洗う。そらがいなくなってからも僕は、そらと一緒に住んでいた家に住んでいる。
顔を洗い、寝室兼リビングを見渡す。テレビの横に、いつか取った猫のぬいぐるみが置いてある。
先ほど、夢で見たばかりなので、それを取ったのが本当に昨日ことのように思い出される。
「、、、一緒に住むって言ったじゃんか、、、」
誰もいない部屋で、ぼそっと呟く。
そらは一年前、学校の帰り道に交通事故にあって亡くなった。青信号を渡ろうとしたところ、居眠り運転のトラックが突っ込んできた。すぐに病院に搬送されたが懸命な治療も虚しく、そらは息を引きとった。
十二月の雪の降る寒い夜だった。
雪を見て、そらが「さようなら」と言っているような気がした。
その週末はペットショップに行く約束をしていた。
僕とそらと猫の三人で暮らす夢は、あっけなく、どこかの誰かの居眠り運転によって霧散した。
それからの日々はそらとの思い出ばかりを夢で見るようになった。
今日は仕事はない。しかし、予定があった。母親が子猫を持ってくるらしい。いつか拾った黒猫が最近、赤ちゃんを産んだ。その猫を引き取ってくれないかという打診が先週来た。そらを亡くし、一人で生活している僕を気使っての打診らしい。僕はそらが亡くなってから、何に対してもやる気が起きない日々を過ごしている。絵を描くことが趣味だったが、今では鉛筆すら持たない。
午後になり部屋の掃除をしていると部屋のインターフォンがなった。
玄関に近づき、ドアを開ける。
玄関を開けると、母親が立っていた。
そして猫に視線を合わせる。
「、、、、、!?」
猫を見た瞬間、驚いた。その直後、僕の目から涙がこぼれ落ちた。その涙は頬をつたい顎で雫となり地面に落ちた。
その子猫は体は黒かった。黒猫の赤ちゃんだから当たり前だ。しかし、四本の脚だけ、白かったのだ。
それが僕には長い靴下を履いているように見えた。
「、、、この子、きっとそらちゃんよね、、」
母親の声が震える。そして、泣いていた。
僕は頷き、涙を拭きながら母親が差し出す、その猫を優しく受け取る。
生物の温かさを感じて、また涙が溢れてきた。
「、、、そら」
猫を見つめ名前を呼んだ。
「まぁ、雪だわ」
顔を上げると雪が優しく降っていた。
「にゃ〜」
猫が鳴くので猫に視線を戻すと、満月だった目を三日月にかえて笑っていた。
それが僕には、そらが「久しぶり」と言っているように聞こえた。
そして、僕と猫になったそらとの二人暮らしが始まった。
終わり。