「よしっ! 完成したわ……!」
私──ロレッタは出来上がったアイシングクッキーを見て頷いた。星や虹など形も様々で、彩りも鮮やかで可愛くできたと思う。
アイシングのクリームがちゃんと乾いたかを確かめた後、袋に詰めてリボンできゅっと結ぶ。それから、クッキーの袋詰めを魔法薬がこれでもかと並ぶ棚の一番端っこに置いていく。
冒険ギルドの三軒隣にある魔法薬屋『星降る薬亭』で私は売り子として働いている。魔法薬は体力回復や魔力回復によく効き、傷口にかければあっという間に傷を治してしまう。
星降る薬亭の魔法薬はとても効果が高いと評判で、魔法薬を作るのに集中したいからと売り子の求人がでていたのを見つけて応募した。三姉妹の魔女も本当にいい人ばかりで、私のアイシングクッキーも置かせてもらっている。
きっかけは、冒険ギルドから大量の魔法薬の依頼──徹夜で魔法薬を作り続ける魔女のみなさんにアイシングクッキーを差し入れしたこと。
「あら、ロレッタ。これおまじないクッキーになってるわよ」
「どれどれ? あらまあ、本当。どんな効果があるのかしら……うふふ、これは雨上がりに虹が見える効果だわ」
「えっと、これは──朝スッキリ起きられる効果ね」
徹夜のハイテンションだった魔女のみなさんは、おまじないクッキーをあれよあれよと販売することに決めていた。でも、きっと本当は、アイシングクッキーのお店を持つことが夢の私を応援してくれたのだと思う。
大好きな魔女のみなさんのためにも、今日も魔法薬を沢山売るぞ、と気合を入れた。
──カラン、コロン。
ちょうど全てのアイシングクッキーを並べ終わると、扉の鐘が鳴る音がした。そろそろ彼が来る頃だと思っていた私は、パッと扉の方向を見る。
「おはようございます、ルドルフ様」
「おはよう、ロレッタ」
ルドルフ様に優しく挨拶されて、私も魔女さんたちに褒めてもらえる特大の笑顔でにっこり笑う。
ルドルフ様は、Sランク冒険者──ブラウンの髪に、蜂蜜みたいな金色の瞳。とても背が高くて、筋肉で厚く盛り上がった体躯で、大きな剣を背負っている。
「ロレッタ、いつものを貰えるかな?」
「はい!」
棚に並んでいる魔法薬の小瓶を取り出して、ルドルフ様の待っているカウンターに並べていく。魔法剣士のルドルフ様は魔法を剣に纏わせて戦うので、体力と魔力を回復させる魔法薬をいつも購入する。
売り子になったばかりの頃、ガラの悪い冒険者に絡まれて困っていたときに助けてくれたルドルフ様──それから来店されるたびに、私を気にかけてくださって少しの世間話をしていく。
街で会えば挨拶をしてくださるし、重たい荷物を持っていると手伝ってくれる。気づいたら強くて優しいルドルフ様に恋をしていた。
でも、ただの売り子の私とSランク冒険者のルドルフ様なんて釣り合うわけないので、この気持ちを伝えるつもりもない。
「ロレッタ、ウサギとクマのクッキーは三袋、残りの種類も一袋ずつ貰えるかな?」
「あ、あの、ルドルフ様……?」
「どうした?」
カウンターの下にあるテーブルから白色の缶を取って、甘いものが大好きなルドルフ様に差し出した。中身は私が作った全種類のクッキーがぎっしり詰まっている。
「あの、これ、よかったらどうぞ」
「開けてみてもいいのかな?」
「はっ、はい!」
おまじないクッキーは、女の子の冒険者に人気があるけれど、袋詰めのクッキーは鞄の中で割れてしまったり、湿気てしまう。そこで魔女のみなさんと相談して、クッキー缶を作ってみたのだ。
「へえ、風の魔石を入れて湿気ないようにしてるんだな。缶に入れておけば割れないね──それから、ロレッタお手製の説明書が癒されていいと思うよ」
蓋の裏の魔石をひと目見て、すぐに効果がわかるなんてやっぱりルドルフ様はすごい。でも、私が書いたクッキーの絵とおまじないの内容の説明書をじっくり読まれて、頬にじわじわ熱が集まる。
「っ、そ、そんなにじっくり読まないでください〜〜!」
「じゃあ野営のときの楽しみにしておくよ。全部でいくらかな?」
「あっ、クッキー缶は試作品なのでお代はいらないです。感想を教えてもらえたら嬉しいですけど」
「なんだ、俺のために作ってくれたのかと思った」
「ル、ルドルフ様は食いしん坊なので! そ、そう、だから、試してもらおうと思ったんです!」
「そうなんだ、残念」
ルドルフ様が蜂蜜色の瞳を細めて、くすくすと笑った。きっとたいした意味なんてないのに、残念と言われてどぎまぎしてしまう。
「ロレッタありがとう。なにかお礼をしないとね」
「ええ!? そんなの悪いです」
「本当にいいの? 今回の討伐任務は、『バニーラエッセーン』なんだけどな」
ルドルフ様が意地悪そうに微笑む。いつも紳士なふるまいなのに、ちょっと意地悪なところもキュンとしてしまう。
「うう、ルドルフ様ってたまに意地悪ですよね! バニーラエッセーンのバニラビーンズをほんの少し買い取らせてください」
バニーラエッセーンは、ラン科バニラ属の動く魔物植物の一種で、魔力の強い森の奥地にしか生息していない。普段は大人しい植物なのだが、縄張り争いに敗れたバニーラエッセーンが街に降りてきてしまう。
バニーラエッセーンのさやの中に入っている種は、バニラビーンズといい、お菓子作りにぴったりな甘い香りがする。なかなか手に入らないので、譲ってほしくて両手を組んでお願いした。
「ロレッタならあげてもいいのに」
「そ、それはダメです! ルドルフ様が一生懸命討伐したものをいただくなんて絶対ダメです!」
「……ロレッタは手強いね」
最後のルドルフ様の言葉が聞き取れなくて、首をこてりと傾ける。それを見たルドルフ様がなんでもないというように、ゆるりと首を横に振った。
「じゃあ、こうしよう。バニラビーンズをロレッタにあげる代わりに、ロレッタの新作を最初に食べさせてほしいかな」
「えっ」
「もしかして迷惑だった?」
私にばかり魅力的な提案にびっくりして声をあげたら、ルドルフ様が困ったように眉をよせる。あわててぶんぶん首を横に振る。
「迷惑なんて、とんでもないです! ほ、本当にいいんですか……?」
「うん、もちろん」
申し訳なくておずおず聞けば、嬉しそうににこりと笑ったルドルフ様に毒気を抜かれてしまった。ルドルフ様って想像以上の甘党なのかもしれない。
「ルドルフ様が戻ってくるまでに新作を仕上げておきますね!」
「やっぱりロレッタは手強いね」
「えっと……?」
またルドルフ様の声が小さくて聞き取れなくて、首を少し傾けると、柔らかに見つめられる。
「ロレッタの新作、楽しみにしてるね。二週間くらいで戻るつもりだよ」
「ルドルフ様、行ってらっしゃいませ。くれぐれも気をつけてくださいね」
ルドルフ様が帰ってくるまでに新作のアイシングクッキーを仕上げようと、私は気合いを入れた。
◇
ルドルフ様が討伐に向かってから一週間と少し。新作のアイシングクッキーも完成して、あとはルドルフ様が帰ってくるのを待つばかり。
「ロレッタ、お使いにいってきてちょうだい」
「はい! 冒険者ギルドに納品ですね」
「今日は少し早いけど、そのまま帰っていいわよ」
「えっ」
「新作のアイシングクッキーを頑張るのはいいけど、寝不足はダメよ」
「……すみません。ありがとうございます」
夜更かししてアイシングクッキーの試作をしていたのは、魔女のみなさんにはバレバレだったらしい。籠に入った魔法薬を持って三軒隣の冒険者ギルドへ向かう。
「こんにちは、魔法薬屋『星降る薬亭』です。魔法薬の納品に来ました」
「やあロレッタ、お疲れさま。確認するから座って待っててくれるかい?」
「はい」
冒険者ギルドはいつも沢山の冒険者がいて賑やかだ。そして、どこでどうやって仕入れてくるのかは分からないけれど、色々な話題が囁かれている。
「そういえば、ルドルフさんが、冒険者辞めるって聞いた?」
「その噂、まじ? 俺も聞いた」
突然聞こえてきた名前に驚いて、いけないことだと思いながら私は耳をそばだてた。
Sランク冒険者のルドルフ様は、冒険者たちの憧れだ。どんな魔物を討伐したか、どうやって討伐したのか、などいつも話題になっている。
「しかも、ゴールデンドラゴンの逆鱗を宝石店に持ち込んだって」
「本当かよ? それって婚約指輪を作るってこと?」
「見た奴が何人もいるから見間違いではないみたいだぜ」
黄金色の炎をまとったゴールデンドラゴンは、鍾乳洞に住む竜。暴れるゴールデンドラゴンをルドルフ様が単身で討伐し、名声とSランクを手に入れた。ルドルフ様の大剣はゴールデンドラゴンの爪で出来ていて、逆鱗は将来を誓う人に贈りたいと話していたというのは有名な話。
ルドルフ様は今まで浮いた噂を聞いたことがなかったけれど、男女問わず人気がある。
わかっていた。あんなに素敵なルドルフ様なら、いつか相応しい人が現れることはわかっていたのに。
それなのに、氷水を頭から突然かぶせられたような気持ちになった。
「ロレッタ終わったよ。えっ、顔が真っ青だよ。大丈夫かい?」
「あ、はい……」
サインの入った魔法薬の納品書を受け取って席を立つ。フラフラと出口に向かっていたら、ずっと会いたくて、それでいて今、一番会いたくなかった人に会ってしまった。
「ロレッタただいま」
目の前にルドルフ様が立っていた。
いつも整えられているブラウンの髪は少し乱れて、冒険着もいつもと違いラフに着崩している。ワイルドな色気を感じる姿に、諦めの悪い恋する心臓がドクンと音を立てた。
「……ルドルフ様」
長身のルドルフ様を見上げると、優しい瞳から心配そうな眼差しに変わる。
「ロレッタ顔色が悪い。お使い?」
「はい。でも、今日はこのまま帰っていいと言われているので帰ります」
「送っていくよ」
「いえ大丈夫ですから。ルドルフ様は討伐の報告もあるでしょうし……」
「そんなもの明日でいいよ。それよりロレッタの方が心配だから送らせて?」
首をふるふる横に振ると、ルドルフ様は困ったように肩をすくめる。
「ロレッタごめんね」
ルドルフ様の言葉と共に、身体がふわりと宙に浮く。ルドルフ様にお姫様抱っこされていると気づいた時には、外に出たあとで。
「汗臭かったらごめん」
「い、いえ全然。……むしろいい匂いがしますけど」
「それならよかった。危ないから、首に腕をまわして掴まっててくれるかな?」
「え、あ、はい……」
「うん、いい子だね」
言われるまま腕をルドルフ様に回せば、にこりと笑うから心臓がバクバク鳴り始める。好きな人にお姫様抱っこされている状況にときめかないなんて無理。でも、婚約者がいるのにいいの? と思うけど、私なんて子どもっぽくて眼中にないのだと思うと心臓がじくじく痛む。
茜色に染まる空の下、ルドルフ様は私の家へ歩いて行く。最初はまわりの視線が気になったけど、ルドルフ様の胸に頭を預けてしまえば気にならない。優しいルドルフ様のただの人助けなのだから。
こっそりルドルフ様の精悍な顔を見つめる。やっぱり素敵で、胸がドキドキうるさくなってしまう。でも、もうこの恋も諦めなくては。最初からわかっていたけれど、やっぱり恋が実らないのは辛くて、苦い。
「あの、ルドルフ様、冒険者を辞めるって本当ですか?」
「ロレッタは耳が早いね。ギルド長にならないかと誘われてるんだよ」
「ええっ、そうなんですか! す、すごい……っ! おめでとうございます」
「ありがとう。でもまだ迷ってるんだけどね」
ギルド長になれるのは名誉なことだけど、現役冒険者にこだわる人も多いと聞いたことがある。ルドルフ様は冒険者たちに慕われているし、ギルド長は向いていると思うけど。
「うん、実は好きな人がいてね、その人に振られたら土地に縛られるギルド長はちょっときついなって思ってるんだ」
ひゅ、と喉が鳴る。改めてルドルフ様の口から好きな人と聞くのは辛い。でも、ルドルフ様には恋人がいるのだし心配する必要はないと思うのだけど。
私はただルドルフ様をじっと見つめる。こんなに近くにいるのに、私の想いは届かない。届くわけない。
「ルドルフ様に好きになってもらえる方は、し、しあわせ……ですね。どんな、人、なんですか……?」
「ロレッタどこが痛いの?」
「え?」
「泣くほど痛いんだろう」
ルドルフ様の指にまぶたをなぞられ、私は泣いていることに気づいた。ああ、だめだ。もうどうせこれで最後なら気持ちを全部ぶつけて、この恋を終わりにしよう。ルドルフ様なら私の気持ちを受け止められなくても、きっと笑ったりしない。
「私、ルドルフ様のことが好きです。助けてもらった日からずっとあなたが好きでした──これでルドルフ様を諦められ、」
最後の言葉を言う前に、唇に柔らかなものが押し当てられた。
「ロレッタだよ──俺の好きな子は、ロレッタ」
「えっ」
「俺から言うつもりだったのに。本当にロレッタは手強いね」
あまりに意味がわからなくて。ルドルフ様が好きすぎて白昼夢を見ているのだろうか。
「ど、どうしてルドルフ様が私なんかを好きに……?」
「ロレッタだからだよ。ロレッタの笑顔が好きなんだ。初めて見たときから好きになってた。俺、ロレッタ目当てに星降る薬亭に通ってんだけどなあ。魔女たちにはいつも揶揄われてたよ」
「ええ!? 全然気づきませんでした……。ルドルフ様は甘党なのだとばかり……」
甘やかな感触がおでこに落ちる。びっくりして、あわあわルドルフ様を見つめると「ほんと、可愛い」と言われて赤く頬が染まった。
「言っとくけど、ロレッタは冒険者たちにすごく人気だからね。俺が今日までどれだけ冒険者たちを牽制してきたか……正直、引かれないか心配なくらいだよ」
「そ、そんな! で、でも、ただの売り子の私とSランク冒険者のルドルフ様では釣り合わないです」
「俺はロレッタがいい。ロレッタじゃないと嫌だ──好きだよ、愛してる。ロレッタ」
再び、ゆっくり近づくルドルフ様の唇を思わず両手で防ぐ。ドキドキが止まらなくて、でも。
「あ、あ、あの! 下ろしてください」
「ごめん嫌だった?」
「違うんです。あの、具合が悪くなったのは、冒険者ギルドでルドルフ様に恋人がいるって聞いたからで。その、今はもう大丈夫なので」
嬉しそうに笑ったルドルフ様に下ろされて、まだ言えていなかった「おかえりなさい」を告げる。一番星に見守られながら私たちは二回目の唇を重ねた。
それからルドルフ様はギルド長になり、私の薬指にはゴールデンドラゴンの逆鱗で作った結婚指輪がはまっている。ルドルフ様のために作っていた新作のアイシングクッキーは、ルドルフ様の大剣とゴールデンドラゴン──おまじないの効果は、素直になると恋が叶いやすくなるだった。
おしまい