「お母さん、お姉ちゃん、萌夏ー」

2011年3月11日。
当時5歳だった私は、震災にあった。
私は幼稚園で被害を受けた。
避難途中。見てしまったのだ、、。
潰れた私の家を、、。
その時間は萌夏のお昼寝時間。
必ず家にいるはず。お姉ちゃんは冬休みに入っていた。
何も考えられなくなった。
「ねぇお母さん、お姉ちゃん、萌夏」
必死に呼び続けた。
でも、もちろん返事はなかった。
何分叫んだことだろうか。
疲れ果てた私はその場に座り込んでいた。はやく逃げなければ。わかっていたのだ。でも、どうしてもその場から動けなかった。
「萌?無事やったんやなぁ。よかったわぁ」
お父さんだった。お父さんと言っても最初の父とは死別しているので義理の父、母の再婚相手ということになる。実の父ではない。でも私はお父さんが大好きだった。私の命があるのは、この時父が助けに来てくれたおかげである。
来てくれなければとっくにいなかったであろう。

避難所に、母達はいなかった。
そして、大津波が押し寄せた。
私達が母達を見たのはこの日が最後となったのだ。
遺体はまだ見つかっていない。

7年が経った。私は周りの環境に恵まれ、ショックで失語症になってしまったが持ち直した。思えばこの頃から神経は弱い方だったのかも知れない。
たくさんの人たちのおかげで、私は無事笑顔いっぱいで卒業式を終えた。