「貯金なんてできると思うなよ」そう言い切った母の声が脳裏に響く。 
 地元から遠く離れた東京でさえ、親という存在は私の人生にへばりついて離れない。
「もーやだなあ、大丈夫だよ。なんとかなるって楽しんで生きてれば大丈夫!今が人生の絶頂なんだからあ!」本当にそうだろうか?今が人生の絶頂?こんなんが、私の人生の絶頂?でも、それは明らかに人生で1番の絶頂なのだった。
 ポストに入っていた転居届の書類を破り捨てる。もうすぐ、保険証の期限が切れる。マイナンバーは実家の住所を見たくなさすぎて処分した。
 渋谷区の住宅街にたった1人で住む女の子。傍から見たら、幸せに見えるだろう。お金持ちに見えるだろう。実際、そうだ。
 だけど、その生活がいつまで続くかはわからない。この幸福は、私に与えられた一瞬の幸せなのかもしれない。
 住民登録。それをしたら、また奪われる。お金をとられ、大好きだった服は母の理想の服に様変わりし、築き上げてきた大切な居場所は壊され、戻ることを許されず、また母の監視下に置かれる日々に逆戻りするかもしれない。それがたまらなく嫌で、悔しかった。死んでやろうかとさえ考えた。入る大学、歩く道、帰りのバスの時間そして乗り換えの電車の時間、着る服、髪型、趣味嗜好、交友関係、貯金額、キャッシュカードの暗証番号、全てを把握される人間は、そして、全てを親の理想通りにしなきゃいけない人生は、親の描く人形となって生きるのは、果たして生きていると言えるのだろうか。自分では何一つ選べない。全てを親の理想通りに、進める。なんて、惨めなんだろう。今こうして、デリヘル嬢として働くよりずっと惨めだ。自分を慰めてあげることさえ不可能なのだから。
 涙を流す場所さえ無い環境、それを不幸とゆうのかもしれない。

 さあ、今日も稼ごう。扉を開けると真っ青な空が広がって、太陽が暖かく照らした。そう、今日は最高に幸せでスペシャルな日なの。自分でお金を稼いで、そのお金を親でもなく、他でもない自分に使って、生きて行く為に貯金して、そうやって生きる日々はどれだけの幸せが溢れているかなんて語り尽くせない!
 いつも通りお店に行って、怒涛の予約に疲れ果てて、でも、現金を手に入れてホクホクした気分の私はその勢いのまま、マッチングアプリで出逢った少しタイプな人にメールした。
「今ね、新宿駅いるよー」相手は多分、ホスト。プロフィールにも新宿に住んでるって書いてあったし、ひょっとしたら今から会えるかも?という単なる気まぐれと暇つぶしだ。稼いだ後は遊びでしょ!?
「俺も新宿駅いるよ」あ、そうなんだ。でも電車乗っちゃったや。だって別にそんな会いたい訳でもないしなあ。
 でも、接客を終えた後の私は想像以上に疲れ切っていたのかもしれない。気付いたら、「あ、もう電車乗っちゃったや。」と送り、「会えたかもしれないのに」との彼への返事に「じゃあ今日の夜来て。新宿駅から二駅だから。」と返信していた。
 あー!何やってんだよ!早く化粧落として家でスイーツ食べまくりたいのにいぃ。なんで男呼んじゃってんだ。馬鹿じゃねーか!?
 いや、馬鹿だ。この時の私は完全にメンタルが疲れ切っていた。
「午前2時でもいい?」との問いに「うん」と答えて、化粧直し諸々の面倒くさい就寝準備に腹を括った。
 なんとか粗を隠し、部屋の電気を消した頃、ユウからメールが来た。
「ピンポン鳴らしてもヘーキ?」
「うん」だけど、チャイムは鳴らない。もしかして遠慮してるのかな?暗い部屋から外に出て、明るい場所で顔を見せるのはすごく恥ずかしかったけど、勇気を出して扉を開ける。
「あ、」そこには、私よりも小柄な男の子が居た。目が合って、でも呼んだの私だし、もう明らかに逃げられないし、てか扉開けてる時点で手遅れだし。いやでも来てもらったのに無視するのはダメだし。自信の無さで頭が一杯一杯で、でも、取り繕うようににこやかに笑った。
「ありがと〜どうぞどうぞ入って」
「お邪魔しまーす」そう言って靴を脱ぐ彼。でも、ホストしてる人なら、何か話して盛り上げてくれるよね?そう安心したのも束の間、「ベッド座っていい?」と聞かれた時点で、あれこの人慣れてないんかなと思ってしまった。いや、これが普通だ。勝手にベッドに乗って足を伸ばしている今までの男がおかしいだけだ。
 (ああ、これが一般人か。)でも、私何話せばいいかわかんないよ。実は文学少女のド陰キャなのだ。会話とか盛り上げ役とか、できた記憶がない。デリヘルでお客と話せていることにさえ驚いているくらいだ。でも、今私どーしたらいい?
 なのに、彼も話をしない。どうしよう。これじゃ、話をしに来たんじゃなくて、沈黙だけしに来たになっちゃうよ。何しに来た?になっちゃうから、頑張って口を開いた。
「来てくれてありがとう」仄暗い部屋の中、普通の会話になるように、喋る。
「ううん、待っててくれてありがとう」え、会話終わり?ちょっと、、、どうしよう。キスぐらいしてくれたら、ちょっとは気まずくならないのに。。。でも、この状況だ。深夜2時、良い感じの暗さの部屋。相手だって気付かない訳がない。これはokサインだって。
「抱きしめてもいい?」
「うん、いいよ」そう答えて、色白の彼の肩に顎を乗せた。ぎこちなく背中に回された手に、身を委ねる。ねえ、神様?今日だけは許して。だって、嫌いな人とも好きじゃない人とも沢山沢山寝たの。だから最後に美味しいものを食べたっていいでしょ。これはこの人に何かあげるとかじゃないの。ただ、狂いそうな日々から抜け出したいだけ。20代を抱きたいだけ。
「ねえユウって仕事、ホスト?」一旦体を離されて、間を埋めるようにわかりきった質問をしたりする。
「うん、ホスト」でも、彼は何か考えてるみたい。
「やだった?」嫌な訳ない。偏見とか、持ちたくないよ。お母さんみたいになりたくない。そんな、偏見と常識で塗り固められた大人になんか絶対ならない。だから、まずは知らないと。全部受け入れて、泣くのも笑うのも、また、面白いだろう。
「ううん、全然やじゃないよ。」当たり前にそう答える。だって他の人がダメだって言ってることって、非日常ぽくて面白ろそうじゃん?そうゆう小説書くのもいいかもな。
「俺ね、本名は優斗っていうの。優しいって字で優斗。」興味ない。てか、ユウでよくね?
「へぇーそうなんだ!私の本名は庵だよ。」簡単に本名を教えるホストとデリヘル嬢。あれ、この人本当に働いてんのか?まあ、私はもう狂ってるから良いとして。。。
「俺、家庭環境があんま良くなくて、昔はよく警察沙汰なってた。」あれ、いいのか?話して。。。いやまあ、私も客に堂々と『夜逃げしたよ♡』なんて言ってるけどさ、普通の人はそんなこと言わないんじゃね?
「うん、私も、、、結構複雑だった。優斗は、、どんな感じの親だったの?」
「俺はDVとか」
「そっかー」類は友を呼ぶのだろうか?小さい頃も夜逃げをした私は少し仲間意識みたいなものを感じてしまう。でも、児相で暮らしたり、母子寮転々としたり、そんな暮らしは、してないんだろーな。家があって、両親があるって羨ましい。普通の家庭じゃん。あんま言わないどこ。
「でも家があるだけいいね」
「家は高校生ぐらいの時から帰ってない。俺、双子の兄がいるの。母親が再婚したんだけど、俺と兄貴の素行が悪すぎて、離婚した。」あーだいぶ遊んでんな。弱々しそうな見かけからは想像がつかないけど、素行が悪かったと聞いて彼を見ると、ああ、そうだったんだと妙に納得した。
「え、今は?」
「今はマリファナやってる」ん?それってやばいやつでは??
「え、それって覚醒剤?」
「うん」にこやかに笑う彼。
「え、見つかったら警察に捕まるやつ?」
「うん。週に1回くらい、眠れない時にやってる」なんかよくわかんないけど、だいぶ危ない人だな。でも、見かけからはそんな感じしない。私だって、風俗嬢してるからわかる。この人は乱暴しない人だって。でも、眠れない日があるんだな、この人にも。。。こんな秘密を今日会っただけの私に話していいのだろうか?と疑問に思って、自覚した。ああ、私、結構相談役とかにされやすいんだった。誰にも言えない秘密とかをさ、見た目だけで判断して私に話すなんて馬鹿過ぎるでしょ。まあ、この優しそうな見た目に色んな人がボトボトと秘密を落とすんだろうな。
「明日さ、その双子の兄貴が出所するんだよね」ん?出所!?え、それって刑務所から出てくるやつ?何したんだよ!?え、やんちゃ過ぎでしょ、この兄弟。
「へぇーそうなんだ!おめでとじゃん!豆腐買わないとだ!」
「うん、お金払って出所したから、明日仕事紹介する。」なんの仕事?普通の仕事?お金払う?
「てか、優斗ってホストやる前なんの仕事してたの?」
「土木作業だよ」あーそんな感じする。てか本当に素行悪かったんだな〜。でもなんか、普通に働いてて安心。
「え、じゃあホストはいつからー?」
「数ヶ月前だよ」え、じゃあ私とあんま変わんないじゃん!うわー親近感!!じゃあこの人も慣れてないんだ。
「ねえ、もう私眠たくなっちゃったや」そう言って布団に入ったのに、すぐに横に来てくれない優斗。遠慮がちに「じゃあ俺も眠る」と言って、ぎこちなく入ってくるからなんだかもどかしくなってきた。さっさと手出してよ!
 でも、布団の中に入ったら、私のことを抱き締めてくる。その流れでキスをされて、何度も唇を重ねて、委ねていく、、、このキスの仕方嫌いじゃない、むしろ好き。。。うん、でも、キスが終わらない。一度唇を離してみても、キスしかして来ない。やだー!このまま終わるなんて嫌!いや、今も全然幸せだよ。でも、、、
「上、脱いで、ファンデーションが付いちゃうから」恥ずかしいから理由を付ける。
「うん、わかったよ」そう言って脱いだ彼の肌に頬を乗せる。抱きついたまま、寝ちゃいそうになっていると、急に片手でブラジャーのホックを外してくる彼。ああ、慣れてない訳じゃないんだな。
「下も脱いでよ」もう、いいや!と吹っ切れて言う私。この時初めて人の服を脱がした。いつもは、ベルトなんて触らないのに、気付いたら私から脱がしてて、思ってた以上に疲れていた自分に気付く。
 そこからは、秒だった。そう、私は早すぎるのだ、人を襲うのが。早すぎて引かれるレベルだ。
 だけどいい、抱かれて今日を終わりにしたかったし、だから全部全部身を任せた。
 翌朝、ヘルプでお酒を飲みすぎた彼と、夜中まで働いた私が起きるのは昼だ。朝じゃない。
 まだ少し熱を持った体のまま、また彼の胸に頬を乗せる。腕枕してくれているけれど、もっと近づきたくて頬を乗せるの。そのまま寝顔を見つめていたかったけど、彼の瞼が開いた。
「あ、おはよ」
「おはよ」そう呟いてキスをする。何回も何回も。ねえ、もう1回できるのかな?私まだ優斗とくっつきたいよ。そう思ったけど、彼は下だけ服を着てる。
 何回だってしてくれてもいいのに。そんなことを思っているとは絶対バレたくないので、素知らぬ顔をして服を着る。
「タバコ吸っていい?」
「うん、ベランダで吸って」ベランダに立つ彼をぼんやりと見つめる。今までも、夜職をしている人が家に来たことはあった。だけど、彼らは美意識が高すぎたり、髪型にこだわり過ぎたり、自信過剰だったり、とにかく普通の人がいなかった。だけど、優斗ってそんな感じしないな〜。ブランド品で固めて来ないし、香水の匂いで部屋を埋め尽くさないし、なんか、穏やかで、話は上手じゃないけど、落ち着くな。
 周りの人が私に秘密や悩み事を話しちゃう理由、わかる気がする。私だって、優斗になら心を預けてもいいなって思っちゃうもん。馬鹿だな。でもみんな、こうやって私の見た目に騙されてたんだな。
「なんか、ここすごく人通るね」ベランダから戻った優斗がまたポツリと話す。
「え、そう?昼間だからかな?」
「なんか服着ないで立ってたら、すごい人に見られた」あ、それは見られるわ。てかこの人、面白いな。。。普通の人は服着てベランダでタバコ吸うよ。知らないけど、多分。でもなんか、この人のこーゆう所、好き。私には知らない世界を知ってる感じ、少し危ない感じ。
「じゃあ、今日実家行くからもう帰るね」
「え!?実家行くの?」大丈夫なの?実家なんて帰りたくないでしょ。
「兄貴が出所するから一応、会ってくる。それで仕事も紹介してくる。」
「え、えらいね、ちゃんと会って。。。」この人の思う家族ってなんなんだろう。私はもう、顔も見なくていい、いっそ死んでほしいとさえ思っている。私は、悪いだろうか?いや、でも会いたくない。
「うん、仲は良くないけど」玄関に向かう彼。お見送りしてもいいかな?少し様子を見つつ、優斗の後ろに立つと、またキスをされた。玄関の前で何回も何回も唇を重ねて、ふわりと笑う彼。その儚げな後ろ姿を見送った後、満たされた気分に浸ったまま、ぼんやりと鍵を閉めた。
「また、会ってもいいかな?」この時、もう私は落ちていたんだろう。その恋が闇への誘いだとも知らずに。