引っ越し業者の若者から手渡されたのは、半透明の、薄いビニールケースに入った封筒だ。居間にあった家具の後ろから出てきたという。白い封筒の表には私の名前が書いてある。その筆跡に見覚えがあった。

 まだ運び出されていないキッチンの椅子に腰を下ろし、ビニールケースを開けて封筒を取り出す。封はされていない。中にはきちんと折り畳んだ白い便箋が数枚。読もうとしてから老眼鏡が無いのに気がついた。

「どうかしたの。お父さん」

 ポケットに入れたはずのメガネを探しながら、ドアから顔を出した長女に向かって、なんでもないよと返事をする。

 メガネはちゃんとポケットにあった。さっき見つからなかったのはきっと動揺していたからだろう。

 薄い便箋を広げる。自分でもわかるほどに手が震えている。仕方があるまい。その手紙は、五年前に病気で亡くなった妻から私へ宛てたものだったから。

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 これをあなたが読んでいるということは、わたしはもういないのね。

 もしかしたらあなたも亡くなっていて、子どもたちが見つけたのかもしれないけれど、きっとあなたが読んでくれると信じて。

 今の家はあなたと二人だけで暮らすつもりで建てた。立派に成人した子どもたちも無事に巣立って、それまで住んでいた家からこじんまりしたこの家へあなたと二人だけで移り住んだ。

 覚えてる?あなたとわたしのどちらかがいなくなったら、一人で住むのは寂しいからその時は手放そうって話したこと。あなたがその時の会話を覚えていたら、いつかきっと……。

 その時が来たらあなたに読んでもらえるように、普段ならば見つからない場所に、わたしがまだ元気なうちにこの手紙を隠したのよ。

 どっちが残るだろう、どっちが先に逝くだろうって話したよね。残された方がつらい、先に逝った方が楽だから、あなたよりも年下だけど、だからわたしの方が先に逝きたいってあなたに言った。そのとおりになった。

 ごめんね。ごめんなさい。
 あなたを残して、一人にしてしまってごめんなさい。ちゃんと言えなかったから、この手紙に託しました。

 あなたと一緒にいられて幸せだった。とても。言葉では言い表せないほどに。

 ありがとう。

 愛するあなたへ。
 あなたを愛したわたしから心を込めて。

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 亡き妻からの手紙を、涙で少し湿ってしまった最期のラブレターを丁寧に封筒へ仕舞う。いたずらめいたことが好きだった彼女らしいと思った。

 残された者ばかりがつらいと私は思い込んでいた。しかし妻が遺した手紙を読んでからは、そうではなかったのだと、それまでの自分勝手で浅はかな考えを改めた。

 改めるといえば……。

 家具類が運び出されてしまい、ほとんど空になった部屋を眺め、私は決心した。

 やはりこの家を手放すのはやめよう。今さらだが引っ越しは中止だ。

 彼女との思い出が詰まったここで、この場所で暮らそう。

 これからも。

 私が彼女の元に行く、その日まで。