「おおーっ」と歓声が沸き起こり、夜空を見上げる人々の顔が真っ赤に染まった。

「始まったね」
「はい」

 それからしばらくは言葉を交わすこともなく、瞬きする間も惜しむくらいに、川面と夜空を華やかに染め上げる花火に見入っていた。

「わあ、今のすごく綺麗でしたね」

 まどかが不意に視線を向けると、康生は動揺した様子で視線を巡らせた。

「そ、そうだね」
「嘘。今、余所見してましたよね」
「え? あ……はい、すみません。あなたの横顔とうなじに見とれてました」

 突然敬語で話す様子が可笑しくて思わず吹き出すも、“見とれていた”という言葉がまどかの気持ちを高陽させた。

「誘ってくれて嬉しかったです。実は今日の為にこの浴衣買ったんです」
「えっ、そうだったんだ」

 康生は目を丸くした後、はにかんだ笑顔で「嬉しい」と呟いた。
 普段髪を結ぶことは殆どなかったが、今日だけは思い切ってアップスタイルにしたこと。けれども、本当は恥ずかしくてハーフアップに変えようかとギリギリまで悩んだことは、話せない。

「あっ」

 まどかは小さく声を上げた。

「どうかした?」
「あ、いえ……」

 自身の勘違いに気付いたまどかは、恥ずかしさで体がかあっと燃えるように熱くなり、帯に差していた扇子を取り出して風を送った。
 出来れば治まるまで、しばらくそっとしておいてほしいところだったけれど……
 顔を覗き込む康生と目が合い、更に頬まで血が上った。

「――あっ、気付かなくてごめん。しんどくない? 何か冷たいもの買ってこようか?」

 康生はどこまでも紳士的だ。

「いえ、飲み物まだありますよ、大丈夫です」

 暑いのは人熱れのせいではない。

『デート』
『初めて』
『黒』
『うなじ』

 ――初めての花火デートは、大人っぽい黒の浴衣がいい。浴衣姿のうなじなんて最高――

 健全な男の至って普通の会話だったに違いない。
 勘違いして可笑しな妄想を繰り広げていたのは、まどかのほうだった。

「またデートに誘ってもいいかな」
「はい、もちろんです」

 まどかは、康生に褒められた黒の浴衣の下に準備してきた黒のそれを隠すかのように襟を正した。





【完】