駅近くの裏通り。路上に蓋を開けて置かれたギターケース。ところどころ擦れたような傷があるそれに、財布から取り出した百円玉を入れた。

 日陰でも暑い。街の雑多な匂いを乗せた生ぬるい風がその人の髪を揺らし、通りの向こうへ抜けて行く。

 演奏が終わった。周りからまばらな拍手が起こる。彼女の弾き語りを聴いていた小さな人の輪が崩れていく。

「そこのきみ。待って」

 その場から去ろうとした僕の背中に彼女の少しハスキーな声がぶつかった。立ち止まって振り返る。

「きみ高校生?」
「そう、ですけど」
「それならこれ、受け取れない」

 差し出された手の上に百円玉があった。

「きみのお小遣いでしょう」
「えっ」
「いつも聴いてくれて応援してくれてありがとう。でもいつか言おうと思ってたんだ」
「で、でも」
「働いて自分で稼ぐようになったら、ね。それまでは聴いてくれるだけでいい」

 アルバイトの収入から捻出してるかもしれないじゃないかと反論しようとした。でもバイトなんてしていない。

 彼女の言うとおり、僕は親の脛かじりの普通の学生だ。

 学校の帰りとか塾の行き帰りとか、土曜日でも日曜日でも、いつもいるわけじゃないけれど、もしも彼女がいたら、その歌を聴くのが僕の密かな楽しみだった。

 上手くはないかもしれない。しかしちょっと掠れたようなその声は情感があって好きだった。

「俺、ファンなんです」
「ありがとう」
「だからその百円は、その、気持ちというか、とにかく受け取って欲しいんです」
「うん。そっか」「はい」

 少し首を傾げ、その人は腕を組んだ。白いシャツの胸元に汗が光っている。

「そうね。じゃあこれで何かも冷たいものを買ってきくれない?」

 手を出してと言われ、僕の手のひらに数枚のコインが。

「あっちに自販機があるからさ。二つ買ってきてね」
「ふたつ?」
「そうだよ。わたしときみの」

 また風が吹いた。流れ落ちる汗が目に入って、思わず見上げたら、ビルの向こうに眩しい青空が光っていた。