その日、桜は不思議な夢を見た。

 断片的な、写真の切り抜きのような数々。
 庭の花を手入れする女性。月を見上げる男女の姿。小さなあやかし達。
 目を覚ました桜は、その鮮明な記憶に首を傾げた。

(…今の夢は、なんだったのかしら……?)

 外はとっくに明るくなっていて、桜は慌てて朝餉の準備に取り掛かった。


 桜が夢中になって料理の盛り付けをしていると、とんとん、と肩を叩かれた。
 そこには黒稜の姿があって、桜は勢いよく頭を下げた。
「おはよう、ございます…旦那様」

 桜が顔を上げると、それを待っていたのか、黒稜は分かりやすく口を動かした。

「おはよう」
(私に分かるように、わざわざゆっくり話してくださっているんだ…)

 そんな小さな気遣いをしてくれた人など、桜の周りにはいなかった。故に何を言われているのか分からないことも多かったし、それがまた家族の怒りを買っていた。

 些細な気遣いに、桜の表情がふっと緩む。
 相手も望んだ結婚ではないし、昨晩は愛するつもりはないときっぱり言われてしまった。
冷たくされても仕方がないと思っていただけに、少しの気遣いが桜にはすごく嬉しかった。

 近くに置いていた和紙と鉛筆を取り、桜はさらさらと言葉を綴る。

【旦那様、朝ごはんができましたので、良ければご一緒にいかがでしょうか?】

 黒稜は少し困ったような表情を見せたものの、「頂く」と唇が動いた。

 昨晩部屋の前に置いていたものも、黒稜はしっかりと平らげていた。
 大きな家なのに、ここには使用人がいない。黒稜はしっかりと食事を取っていたとは思えない顔色の悪さである。

(私にできることはこれくらいしかない。ならせめて、家事でお役に立たなくては)

 理由はどうあれ、北白河家から自由にしてくれた方だ。桜は少しでも役に立とうと、それが今自分のできる精一杯のことだと自負していた。