「私を覚えていない? 十五年前の夜、この『闇の森』でたった一度だけ会ったことがある⋯⋯」

 当時、母を失ったばかりの彼女は、悲しみに打ちひしがれていた。母との思い出が詰まったその城にいるのが苦痛で堪らず、思いついたのは逃げ出すこと。そして真夜中に向かったのが『闇の森』だったのだ。

 物心つく前から繰り返し聞いた、悲恋の物語。

 おとぎ話と呼ぶには悲しすぎる結末を綴ってはいたが、イザベラにはなぜかその話が心に深く刺さり消えなかった。

 その話の舞台となったのが、深い闇に沈むこの森だった。

 そこで、彼────クラウスに出会ったのだ。

 忘れるはずがない。

 見間違えるはずなど⋯⋯ありはしない。

「人違いだ」

 そう冷たく否定する彼の後ろ姿に、彼女はふらつきながらもベッドから立ち上がる。足取りのおぼつかない身体を、ヴィクトールが支えていた。