「何も覚えてないの。城を抜け出してからここで目覚めるまでのことは⋯⋯何も。ただ⋯⋯」

「何?」

「夢を見たの。とても懐かしい夢だった。今でも鮮明に覚えている⋯⋯『彼』のこと。とても綺麗な人だった。言葉では言い表せないくらいに⋯⋯とても⋯⋯⋯⋯」

 天井をぼんやりと眺めながら、夢見ていたあの頃に思いを馳せる。少しばかり自由の利き始めた身体をゆっくりと動かし、彼女は身を起こした。

「私はイザベラ」

 そう差し出した右手を、彼は相変わらずの人懐っこい笑顔で優しく握り返す。そして「ヴィクトール」────彼はそう名乗った。

  外の景色はいよいよ夜を迎えようとしている。

「もうすぐ『彼』が来るよ」

 窓の向こう、沈み行く陽の光を眺めながらヴィクトールが言う。次の瞬間、鈍い軋みを響かせて開かれた扉に、二人は弾かれるよう反応していた。

 ゆっくりとした動作で現れたその姿に、彼女────イザベラは呼吸さえも忘れ意識の全てを奪われた。