それはとても静かな夜の出来事だった────。
真夜中の林道をひた走る一台の馬車。揺れるキャビンの中、耐え難い不安を胸に、先の見えない恐怖にただただ祈りを捧げていた。
車窓から覗く夜空を見上げれば無数の星々が天高く輝き、欠け始めた月が静かに地上を見下ろしている。柔らかな月光が、全速力で進む馬車の行く先をそっと照らしていた。
『月の森』────数えきれないほどの巨木が聳え立つ太古の森を、この国の民たちはそう呼んだ。
「お母様、これからどこへ?」
流れ行く景色に別れを告げるよう眺めていた彼女の耳に、そっと様子を窺いながら問いかけてくる幼子の声。神々しいまでの金髪に翡翠色の瞳をした美しいその女性────コンスタンツェ・ヴェルナーは、ふと我に返ると自身の目の前に視線を移す。そこには彼女と同じ髪、同じ瞳の色をした少年、ルーカスが不安そうに母を見上げていた。
彼は躊躇うようそっと呟く────「お父様は?」と。
幼い我が子のその言葉に、コンスタンツェはさぞかし胸が痛んだことだろう。なぜならば彼女は今し方、夫である国王の最期を看取ったばかり。夫の死を悼む間もなく飛び乗った馬車の中、ある女性から託されていた一冊の書物を手に、逃げるようその場を後にしたのだ。
『誓いの書』────それは「彼ら」の『鉄の掟』により守られてきた『薔薇の誓い』だった。
その美しい藍色の表紙をそっとなぞり、コンスタンツェは残酷すぎる運命を呪う。
「ルーカス⋯⋯お父様はね────」
「もう死んじゃった⋯⋯⋯⋯でしょ?」
確信を得たようなその呟きに、彼女は返す言葉も見つからないまま、我が子をその胸に強く抱き締めた。泣いていることを悟られぬよう、自身の心を必死に落ち着かせて。