ミーコの願い事 始まりの章 「ペンタスとヒトデ」

 遠回りして、普段見慣れた会社近くの駅に着くと、ホームに移動する正に問いかけていた。

「ねえ、東南アジアには何時旅立つのよ」

 それまで笑顔だった正は、少し顔を曇らせた。

「十二月になったら、日本を旅立つよ」

「そっかー、後四ヵ月か。私には関係ないけど」

 時間が押し迫っていることを確認すると、装いの表情も出来なくなってしまう。
 周りから聞こえる雑音の中、言葉をかけられず正を見送った。

 遊園地の遊具の音。こどのはしゃぎ声。電車の音。蝉の鳴き声。
 それらを置き去りに、いつもの帰り道を歩いていた。


 踏み切りを渡り、小さなトンネルをくぐる。
 そのトンネルは車一台が通ると、歩行者は壁に張り付くほどの道幅だ。

 距離にしても数十歩で終わってしまうほど短く、おまけみたいなトンネルではある。その可愛い作りは昔から私のお気に入りだ。


 そこを抜けると今度は細くくねくねした道が続く。
 横には水路が流れ、植えられた木々たちは夏の日差しをさえぎってくれている。

「フーン♪フフーフーフー♪」

 そんな素敵な景色の中、心情をごまかし鼻歌混じりに歩いていた。
 数か月前に訪れた、花屋のガラス窓には張り紙がしてあり、そこにもペンタスっと文字が書かれていた。

 あっ、さっき聞いた名前。

 ガラス窓に映った私は、気が付けば大人の女性になっている。
 そんな自分に問いただしていた。
 出会った頃の私だったら、現在のこの状況をどうしていただろう。


 人のために外国に旅立つことに、胸を張って喜んでいたのだろうか? 背中を押していただろうか? 
 そんなことを思い自分を、かっこ悪く感じていた。
 八月にもなると、夏バテっと言う言葉が出回るようになり、周りの人々は、認識し始めたかのように元気が無くなってしまう。

 最近の蘭も元気が無いように感じていたが、どうやらそれとは違うようだ。
 学校は夏休みのため、今の時期は早上がりはせず、会社の業務は五時まで行っている。

 別におかしい訳でもないが、早々と帰る蘭。

「お先に失礼します」

 今日も五時になると、挨拶をして帰って行った。
 会社のドアを閉まると、それまで笑顔だった先生は表情を変え、心配そうにしゃべり始めた。

「最近相沢さんの元気がないように感じるのよ、気のせいかしら」

 先生も感じていたのか。普段からあまり笑顔を見せないので、特にこれっと言って代わったことはないように感じるが、やはり少し気になる。

 足音をたてぬよう、大股でゆっくり窓に近づくと、会社から帰宅する、蘭の姿を確認していた。
 以前と違うといえば、あれ、今日はオートバイの彼迎えに来ていないじゃない。

 疑問に思いながら、駅の方向に歩く蘭の後ろ姿は、とても寂しそうに映っていた。

 次の日も、また次の日も、駅に向かう後ろ姿を見ていたが、オートバイの彼は迎えに来ることはなかった。
 夏休みになっても、時折会いに来ていたのに。
 
 仕事が忙しく、会えないのかしら?
 あの年代の恋愛って、人生の全てみたいなもんだから、きっと寂しいのね。

 最近、おせっかいであることを認識している私は、週末になると声をかけずにはいられなくなっていた。

 二人っきりになって、元気のない理由が、彼のことでは無いかとたづねようと考えている。

 
 翌日。ゴミ回収の準備をする蘭を確認すると、私は近づき話しかけていた。

「ねえ、今日は土曜日だから午前中で終わるじゃない。天気が良いから、一緒に近くの公園でサンドイッチでも食べない?」 

 突然の提案に驚いた表情にも見えたが、すぐに断ることもなく考えてくれている。
 笑顔を作りながらも、内心ドキドキしながら返答を待っていた。

「いいですねー、外で食べるの気持ちいいですよね」

 とても理想的な言葉が返ってきた。
 一瞬私は頬を上げたが、すぐに眉を歪ませてしまう。
 それは聞こえてきた声が、物静かな女性の声では無く、根暗な男性の声だったからだ。

 細めた目を開き確認すると、発言していたのは隣にいた守君だった。

 引っ込み思案の癖に、何で今日に限って積極的なの? 

 いつもらしくない行動に、嫌気がさしていた。
 何も知らない守君にアイコンタクトで伝えようと試みると、先ほどの言葉を慌てるように撤回していた。

「で、でも、僕は遠慮しとこうかなー」

 守君は実に物分りの良い子だった。
 それともテレパシーが使えるのかしら? 

 私はその言葉に安心すると、そのまま蘭の表情を確認していた。
 蘭は驚くように身体をビクつかせると、守君と同様の表情を浮かべている。

 不思議に思い困惑していると、壁際に有る戸棚のガラス扉には、鬼の形相をしている私が映っていた。
 どうやら自然に、強張ったものになっていたようだった。

 いけない。いけない。

 手で表情を直すと、説得するよう話しを進めていた。

「用事があってもさー食事はとるじゃない。一緒にどうかなー」

 蘭は考えている。
 それも少し言葉に出すことを、ちゅうちょしているようにも視える。

 やはり無理が有ったかー
 敏感なお年頃だもん。おせっかいで有ることを気づかれたわよね。

「私……」

 蘭は目を合わせることなく、閉ざしていた口を動かし始めた。

「私、公園のトイレが苦手で、何だか怖くないですか」

「……」

 断られても、あの手この手で言いくるめようと考えていたが、共感出来るその言葉に、不覚にも意見が合ってしまっていた。

「そうそう、わかる。不衛生だしね。女性にとってトイレは、重要よね」

 気付くと滑るように出た言葉と同時に、高齢のおばさんのように手招きをしていた。
 いやいや、同感している場合ではない。
 でも確かにトイレのことを考えると、綺麗にこしたことはないのである。

「じゃあさー、私の家で食事しない」

 蘭ははじめと違う提案に、遠慮がちではあったが、小さく頷き承諾してくれた。
 私は母に食事の準備を頼むため電話をすると、自分でも少しばかり声色が高くなっていることがわかる。
 
 友達を家に招待する喜びとそしてもう一つ、茜を蘭に会わせたいと思う楽しみを、浮かび上がらせていたからだ。

 私を通し二人が友人になる、とても素晴らしいことに思えた。
 そんな計画もあり、いつものように水路横のベンチの場所を、通るように帰宅していた。

「京子さんは、帰りはいつも歩きなのですか」

「そうなの、ここを通ると会える友達がいるんだ。蘭より少しお姉さんなんだけど。……おかしいなー今日も来るようなこと言っていたのに」

 茜の話では、夏休みの間も学校の図書館を利用しているらしく、この道を通っていると聞いていた。
 蘭も付き合うようにしばらくその場で待っていてくれたが、その日、茜と会うことは出来づにいた。
 家に近づき、開けられたままの玄関先が見えると、母は私の帰宅の言葉よりも先に駆け寄って来た。
 会社の友人を連れてきたことが嬉しかったのだろうか、訪れた蘭に興味を示している。

「ずいぶん遅かったじゃない。こちらが電話で言っていた方。いらっしゃい、あら、可愛らしい子ね」

「はじめまして、相沢です。急に来てしまい申し訳ございません。京子さんには、いつもお世話になっています」

 蘭は姿勢を整え、母に挨拶をしている。
 容姿はお世辞にも真面目だとは言えないが、社会人らしい言葉や態度を示してくれたことに、私は嬉しく感じていた。

 母はまじまじ蘭を見つめると、私の友人らしからぬ若い子に喜んでいる。

「あらー本当に可愛らしいわな、家の子にしたいぐらいよ」

 繰り返すように褒める母の言葉に、改めて蘭は可愛いことに気付かされていた。

 母は蘭のことが気に入ったようで、食事をする手を止めさせてしまうほど、会話を続けている。

「お母さん! そんなに話を続けるから、蘭も食事が出来ないじゃない」

「いいじゃない。滅多にこんな若い子としゃべる機会が無いんだから、ねー相沢さん。遠慮しないで、おかわりしなさい」

 母は自分のおかずも、進めてしまうほどだ。
 食事に出されたものは、焼鮭にみそ汁、お新香におひたしなどの、旅館で出される朝食のようだった。
 
 食事の行儀作法が、丁寧と表現して良いのだろうか?

 お茶碗を極力汚さないよう、おかずはご飯に乗せることなく、私より女性らしく思えた。
 箸や茶碗の持ち方もちゃんとしていて、感心するほどだ。
 
 楽しそうに母と会話する顔を見て、当初の不愛想な印象は消え去っていた。

 食事が終え、私の部屋でくつろいでいると、蘭は興味が隠し切れない笑顔で部屋の中を見ていた。
 
 無造作に置かれた過去のデザイン画。
 オブジェの試作で作られた粘土細工など、初めて見る資料に興味が湧いたのだろうか?
 
 お茶を飲みなが、今もたわいの無い会話を続けていた。

「家の食事、若い子が好むオムライスやスパゲティとかじゃないから、がっかりしたでしょ」

 用意した食事の話をしていると、そんなことは無いっと首を振っている。
 贅沢な話だ、私もこの世の中のことを考えると、食べられるだけでもありがたいと、心では思っていた。
 蘭は吹き出すようにクッスっと笑うと、恥ずかしそうに話し始めた。

「京子さん、私の好きな食べ物。聞いてくれます」

 蘭がいつになく浸しく話すので、少し期待するように聞いていた。
 豪華な食事だろうか? いや、この場合、パンケーキのような甘いものばかり食べていると話し、笑いを誘っているのだろうか? 

 私はどちらかと言うと、花より団子と実感しているので、話の内容に心を踊らされていた。

「あっ、この前雑誌で紹介して今有名な、クレープでしょう? それともあ洒落に甘いソースのかかった、……そうそうハヤシライス」

 蘭は照れながら首を振っている。
 流行に敏感なお年頃、それもお化粧をして背伸びをしている蘭のような子は、一体どんな食べ物に興味を示しているのか期待をして耳を傾けた。

「立ち食いの、コロッケ蕎麦です」

 私は、ずいぶん庶民的だと感じていた。

「へーっ、揚げ物と蕎麦が好きなの? 天ぷら蕎麦でもないんだ」

 蘭は友達にも恥ずかしくて言えない内容だと笑い、幼少期の話しをしてくれた。

 小学生になってまもない頃、蘭の両親はお互いに愛人を作り、二歳年上の兄と蘭を残し蒸発したそうだ。
 お子さんの居ない親戚にあずけられた二人だったが、現在お母さんと呼んでいる方は親戚の人で、その旦那さんも蘭が中学生の時に病気で亡くなっている。

 そのころの旦那さんは普段は良い人だったが、時々お酒が入ると人が変わったかのように暴れていたそうだ。
 
 面倒を見るのが迷惑だと言われたり、ランドセルや荷物を外に放り出しては、出て行けと暴言を言われていたらしい。  

 行く当てのない二人はお酒が覚めるのを、よく泣きながら外で待つ日常を送っていたそうだ。

 そんな我がままを言えない状況の中、小学生だったお兄さんは、蘭を喜ばせようと空き瓶を拾いお店でお金に換えると、連れて行ってくれたのが駅前にある立ち食い蕎麦屋だった。

 そこで食べた安くてお腹がふくれるコロッケ蕎麦は、二人の最高の贅沢だった。 

 何より安心して食べられる時間が、最高のごちそうだったっと話している。
 蘭は恥ずかしい思い出ながらも、今でも給料日などになるとコロッケ蕎麦を食べ、苦しかった昔を思いだし活力に変えていると話している。

「食事も取れないことがよくあったので、今では私には全ての食べ物がごちそうです。あの時食べたコロッケ蕎麦は、本当に美味しかった」

 笑顔で話し続ける蘭だったが、私は返す言葉がみつからずにいた。
 この子も苦労してきたんだ。
 蘭のことを知れば知るほど、いとおしく感じていた。

「でも、おかげで好き嫌いも無いですし、食べ物のありがたみも実感できていると思います。ほら、苦労は若い時にしておけって、よく言うじゃないですか。人と違った経験が出来て今は良かったと思っています」


 初めて聞く彼女の生い立ちに、これから幸せになってほしい。幸せになるべきだと願うほどだった。
 今後彼女が明るい人生を歩めるのならば、私が側で協力し見守りたい……そう一緒に咲いてあげられる花のような存在になりたい。

 以前茜に聞いた言葉を当てはめるように考えていた。

「蘭は良い子だね」

 私は彼女を認めるように、ただ自然に言葉が漏れていた。
 蘭はその言葉の何かに気づくと、先ほどまでの明るい表情は消え、いつものように眉をおろしていた。

「社長も同じ言葉をかけてくれます。でも私良い子じゃないですよ」

 明るい口調も呟くように変わり、声は時折をふるわせているように聞こえる。

「仕事だって、何でも良かったんです。……最初は紹介でも気に入らなかったらすぐに辞めようと考えていました」

 始めて心の内を明かす弱い彼女が目に映ると、側に寄り無言のまま頭をなぜ下していた。

「ただ社長が何かするたび、良い子だ、良い子だっと褒めてくれるんです。落ちているゴミを拾った時も、椅子の位置をちょっとそろえた時も、ほめてくれて……」

 話を続ける蘭の声が泣き声交じりに変わると、視線を空した瞳からはポロポロっと涙がこぼれ始めた。

「前に友達と遊ぶためずる休みした時があったのですが、次の日に私の体のことばかり心配してくれて、そんなんじゃないのに。私、その時ばかりはとっても辛くて。……なんだか期待に答えられるような、良い子にならなきゃといけない……て」

 蘭は涙をぬぐいながら、あきれるような言葉遣いで先生のことをつぶやいていた。

「なんなんでしょうか、あの人」

 突っぱねるかのような言葉と言い方ではあるが、その内心は先生の人柄を認めていることがわかり、嬉しくなっていた。
 共感出来る思いに、私は自分自身を笑うように語っていた。

「バカねー、先生は良い人よ、蘭も良い子じゃない。誰が見たってそう思うわ」

 蘭は涙を流しながらも、強い自分を装い顔を上げている。
 
 強い子だわこの子。それにスッキリした顔してる。
 内容が内容だけに思っていたことを吐き出すと、気持ちいいのよね。

 私はこの場の雰囲気を明るくするため、今度こそ例のあれを見せようと試みた。

「でも、期待に答えようと無理しちゃだめよ、礼儀と無理は別物ですから…………ね!」

 最後の語尾で人差し指を顔の前に持って行き更にウインクをしてみたが、蘭はそのポーズを見ることもなく、チリ紙で鼻をかんでいた。

「ありがとうございます」

 私は出した指のほこ先がなくなると、乱れてもいない前髪を直し答えていた。

「どういたしまして」

 気兼ねなく会話が出来るようになっていたが、あれ? 今日は何で私達一緒に食事したのかしら? 私はおでこに指先を当て記憶をたどっていた。

 不思議そうに見つめる蘭の目と鼻は、赤くなっている。

 うっふっふっ、会社と違い子供らしい顔。会社と違う?……そうだ、思い出した。

「蘭、あなた最近元気ないけど、オートバイの彼と破局した」

 不覚にも本題の元気が無い原因が思い出されると、勢いのあまりデリカシーの無い言葉をかけてしまっていた。
 ストレートな問いかけに、驚いた蘭は困り言葉を選んでいた。

「京子さん、あのその、特別な人は、いますか?」

 顔がさらに赤くなり、私を直視出来ないほど恥ずかしがっている。
 そうよね、年上の人と恋人の話をするのなんて、友達とするより恥ずかしいわよね。

「彼氏、いるわよ、でもねー今喧嘩中なんだ」

 その言葉に蘭は驚き、言葉を失っていた。

「興味ある? 教えてあげる。うんうん、聞いてくれる?」 

 私は蘭に正との出会いから、付き合う切っかけ、そして喧嘩の理由を説明した。

「正さん、外国に行っちゃったら、後悔しないですか」

「うーん、正直分からないの、でも何かが自分の中で納得出来ていないのは確かね」

 私の現在の恋愛環境を説明すると、蘭も自分の心境をしゃべり始めた。
 オートバイの彼の名は、鈴野さとし君。蘭のひとつ年上の同級生のようだ。
 さとし君も昼間は家業の工場で働きながら夜は学業とこなしてはいるが、学校を止め仕事に専念すると言い出したそうだ。

 蘭も周りから、橘先生からも学業だけでなく高校生活を楽しみなさいと進められていることから、同様にさとし君にも辞めないで欲しいと思っていた。

 意見の食い違いから、現在も夏休みながら会う機会が減っているようだ。
 その気持ちの中には寂しい気持ちと高校を卒業して欲しい気持ち、そして合わないことで今の関係が、自然消滅してしまうと予感しているそうだ。

 蘭が不安そうな表情を見せると、私は安心をさせるため考えも無く前向きな発言が口からこぼれていた。

「大丈夫。あなたより人生経験ほうふですから、そんな悩みすぐに解決出来ちゃうわ」

 蘭は期待を持つように、食い入るように聞いている。

「本当ですか?」

「うっうん、チョチョイのチョイで、ビビデバビデブーよ」

「どう……するのですか?」

「うーーん、それわねー……」

 この時、自分の悩みを一切忘れてしまうほど考えていた。

 一度会ってみないと、さとし君がどんな子かわからないし、それに蘭を悲しませるようなヤツだったら、とっちめる必要もあるわね。

「そうだ、もうすぐこの辺一体でお祭りがあるじゃない。それに呼び出しましょうよ」

「お祭りにですか? でも、それだと怪しまれそうだし」

「女性だけで行くから、不安だからとか言って誤魔化せば、来てくれるわよ」

 話が進むにつれ、おぼろげながらも良い考えが浮かぶと、蘭の表情も自然にほぐれているかのように感じていた。
 会話をしながらも、心の中でこんなことを思っていた。

 そうよね! この子を笑顔にするためにも、私が協力しなくちゃ。とりあえず、蘭の幸せだけを全力で考えてみるか。

 それから私達は、お祭り当日に向け話し合っていた。
 
 その日の夜、一人になっても常にお祭りの日のことを考えている。

 やっぱりお祭りだから浴衣がいいわね。
 でも、浴衣なんか子供のとき依頼だから着れるの持っていないし、蘭も持っているか分からないわ。

 そうだ先生なら。

 週が開けると、当日に着ていく浴衣のことを、先生に相談してみようと考えていた。