「お、お呼びでしょうか?」

廊下に出ると、真美は少し先を歩いて行く潤に足早に近づき、声をかける。

「そこの会議室でいい?」
「は、はい」

ドアが開け放たれた会議室に真美を促し、潤はプレートを『使用中』に変えてからドアを閉めた。

パタンとかすかな音がしたあと、シン……と部屋が静まり返る。

席に座るでもなく、真美はドキドキしながらうつむいていた。

(ううっ、よく考えたら課長と二人切りになるなんて初めてかも?)

潤は敢えて女性社員と会議室で二人切りにならないようにしていたし、真美達他の社員もその気遣いを知っている。

何か大事な話がある時に会議室に呼ばれることはあっても、ドアは閉めずに少し開けたままにしてくれていた。

そのドアが今は、パタリと閉じられている。

真美は事の重大さを感じて、ゴクリと喉を鳴らした。

「望月、あのな」
「はい!大丈夫です」

直立不動で声を張る真美に、潤はヤレヤレとこめかみを指で押さえる。

「何が大丈夫なんだ?俺、まだ何も言ってないけど?」
「私も何も言っておりません!これからも言いません!どうぞご安心を」
「だから何を?別に俺、言われて困ることなんてないけど?」

えっ!と真美は思わず潤の顔を見上げる。

「そ、そうですよね。何も隠す必要なんてないですよね。だって課長は、男手ひとつで立派に息子さんを育てていらっしゃるんですもの。それなのに私、勝手に失礼な考え方をして……。申し訳ありませんでした。岳くんにも謝らないと。ごめんなさい」

頭を下げる真美に大きなため息をついてから、潤は椅子を引いた。

「座って」
「は、はい。失礼します」

二人で長机を挟んで向かい合う。

「あのな、望月。昨日の子……、岳は俺の子じゃない。姉の子どもだ」

……は?と真美は、上ずった声で返事をする。

「課長のお姉さん、ですか?」
「そう。つまり岳は俺の甥っ子だ。姉はシングルで子育てしてるんだけど、海外に出向してる3か月間だけ預かってるんだ」
「そうだったんですか」

真美は半分ポカンとしたまま頷いた。

「うん。別に隠してる訳じゃないけど、自分から言い出す必要もないかと思って。それに、まあ、なんだ。昨日は望月に、会社とは違う一面を見られて、ちょっと焦ってな」
「確かに。岳くんと手を繋いでる課長のパパの姿って、なんだか新鮮でした」
「いやだから、父親じゃないってば」
「あ!そうでしたね。すみません」
「まあ、いいけど」

潤は背もたれに身体を預けて言葉を続ける。

「なんか誤解してるんだろうなーって思ってた。望月、朝から妙に俺のことチラ見してただろ?妄想たくましく、あれこれ勘違いしてるんだろうなって思ってさ。まあ、望月は噂を立てるようなことはしないだろうけど、ああも露骨に視線を送って来られるとなあ。さすがに居心地悪い」
「あ、お気づきでしたか。すみません」
「気づくだろ?普通。しかも目が合うと、慌ててすっとぼけた顔するし」
「すっとぼけた?!」
「そう。あたふたしてから、シラーッと澄ました顔すんの。こんな感じ」

潤が真顔で視線を逸らして宙を見つめると、真美は思わず吹き出した。

「あはは!課長、その顔!」
「笑うだろ?ほんとにこんな顔だったんだからな、望月」
「嘘ですよー」
「ほんとだって!あんなの何度もやられたら、俺のポーカーフェイスも崩れる。これでも俺、会社では結構がんばってキャラ作ってるんだ。ってことで、早めに釘刺しておこうと思ってな。話は以上だ」

意外なセリフに、真美はへえーと驚く。

「課長、あのキャラ作ってたんですね?仕事が出来るキリッとイケメン。社内の女子は虜になってますよ。でも課長のイメージが崩れる前にお話聞けて良かったです。崩壊したキャラも見てみたかったですけど」
「見んでいい」
「ふふっ。じゃあ、またあの保育園の前でばったり会えるのを楽しみにしてますね」
「だから、見んでいいってば!」

ムッとした表情を浮かべてから、潤はバツが悪そうに立ち上がる。

「ほら、仕事に戻るぞ」
「はい」

真美も笑顔で席を立った。