「おかえりなさい。今夜は早かったんですね、潤さん」

電話を終えると、潤はすぐにマンションに帰った。

真美はいつもと変わらない笑顔で出迎えてくれる。

「すぐに晩ご飯の準備しますね。今日は筍の炊き込みご飯と春キャベツと厚揚げのピリ辛炒め、それから茶わん蒸しとお吸い物なんです」

にっこり笑ってからキッチンへ向かう真美を、潤は後ろから抱きすくめた。

「……潤さん?どうかしましたか?」
「心配でたまらなかった」
「え?」
「真美を取られたらどうしようって。あいつがあんなに真剣になるなんて、初めてだったから」

苦しそうな潤の言葉に、真美は少し間を置いてから潤の腕を解いて振り返る。

「潤さん。さっき私、会社を出たところで平木課長に声をかけられました」

ハッとして潤は真美を見つめる。
何も言葉が出て来なかった。

「若菜ちゃんと一緒だったんですけど、平木課長、私と話がしたいからって、若菜ちゃんにごめんって謝って先に帰ってもらいました。お店に誘われたんですけど、ここでお話してくださいと言いました。おつき合いを申し込まれましたが、私は他に好きな人がいるので、とお断りしてすぐに別れました。潤さん、何か心配でしたか?」

少しも動揺せず淡々と話す真美に、潤は落ち着きを取り戻す。

「ごめん、何もないよ」
「じゃあ、あの話はナシでいいですよね?」

えっ!と潤はまた言葉を失った。

ホッと安心したのも束の間、再び不安が襲ってくる。

(あの話はナシって、まさか……。結婚のことか?!)

都がかつて樹に告げた言葉が脳裏をかすめ、ショックのあまり頭の中が真っ白になる。

すると真美は真剣な表情で正面から潤と視線を合わせた。

「なかったことにしてください。約束ですよ?」
「いやだ、そんなの出来ない。今更そんなこと、俺は……」

言葉を振り絞り、必死で首を振る。
真美はますます潤ににじり寄った。

「だめです!潤さん、お願いだからやめて。ね?」
「そ、そんなに可愛くおねだりされたって、無理なものは無理!だいたい逆効果だぞ?俺はますます真美が可愛くて仕方なくなる」
「それとこれとは話が別でしょう?」
「別なもんか!俺は絶対に真美を手放したりしないからな!」

そう言うと潤は真美をガバッと抱きしめ、熱く口づけた。

驚いて目を見開いた真美に激情のままキスを繰り返し、有無を言わさぬ強さで腕の中に閉じ込める。

「真美、好きだ。どこにも行かないで」
「潤さん……。んんっ、私も、大好き」

熱い吐息もキスで溶かし、溢れる愛に引き寄せられ、二人は互いを求めて抱きしめ合った。

ようやく顔を離した二人は、コツンとおでこを合わせて息を整える。

「真美。たとえ真美の気持ちが揺れたとしても、俺は諦めない。何度でも真美にプロポーズするから」
「潤さん……。って、え?何のお話ですか?」
「だから、結婚の話はなかったことにしてくださいって。たとえそう言われても、俺は……」
「は?誰がそんなことを?」
「さっき真美が言ったじゃないか。俺、もう信じられないくらいショックだった。だけど諦めない。俺は何度でも……」

ちょちょ、ちょっと待って!と真美が手で遮る。

「どうりで何かおかしいと思った。潤さん、私が言ったあの話っていうのは、朝礼で潤さんが私達のことを発表するって言ったことですよ?」

へ?と、潤は間抜けな声で固まった。

「もし私が誰かに口説かれたら、すぐに朝礼で発表するって、潤さんが。でも私は平木課長におつき合いを申し込まれて即座に断ったから、口説かれたのとは違いますよね?ってことです」
「はあ……、そうですね」
「じゃあ、朝礼で発表はナシですよ?」
「はい、分かり、ました」
「やった!じゃあ、ご飯にしましょ!」

軽やかに身を翻してキッチンに戻る真美を、潤は呆然としながら見つめていた。