(3)

 インターホンのチャイムを鳴らす。
 二度目のチャイムの後、しばらくしてドアが開くと、ネクタイを締めたままの久世が見えた。

「え、真咲さん!」
「来ちゃった」

 瞬間、閉められそうになったドアをノブを挟んで強引に阻止する。

「おい、彼女締め出そうとすんな!」
「ごめんなさいごめんなさい、なんか怒られそうでこわい」
「なんだ、わかってんじゃん」
「すみませんごめんなさい。鍵もってんだから普通に入ってきてくださいよぉ」
「どの面下げて出迎えてくれるか楽しみでさ。元気そうで安心した」
「彼女のセリフじゃないでしょ!」

 私はそのままドアを閉めれば確実に挟まれる位置に手を置くと、渾身の力でこじ開けにかかった。

「くーぜーくーん、いーれーてー」
「ひぃい……!」

 冷えきった久世のアパートに入り、勝手にエアコンを入れる。私が狭いキッチンで電気ケトルのスイッチを入れる傍ら、久世は言葉少なにネクタイを解き襟元を緩めた。帰ってきたはいいものの、どうにもぼぅとしていたらしい。

「ご飯は? なんか食べた?」
「いえ……食欲なくて」
「私もまだで、コンビニでおにぎり買ってきたけど、ひとつも無理そう?」
「おにぎり……」

 尋ねれば久世はややあって腹で応えた。

「体は正直だな」
「くそ恥ずかしいぃ……」
「いまさらすぎる。知っているかな、航汰くん。健やかなるときも病める時も、嬉しい時も恥ずかしい時も情けない時でも、共にあることを誓うのがパートナーです。それとももうやめるの?」

 途端私はかき抱かれ、髪に押し付けられる口元が「やめるわけない」と呟く声は、頭に直接呼びかけるようだった。

「真咲さんのこと、こんな愛してるのに。でも、俺、どうしたらいいか……わかんなくなって、情けなくてすみません」
「先ずは何か食べようね」

 久世に後ろから抱かれたまま、私はインスタントの味噌汁をいれ、小さなテーブルに買ってきたおにぎりたちと味噌汁のカップを置いて雑な食卓を完成させる。

「というか、すげぇ買いましたね」
「豪華でしょー。何がよろしいかな?」
「お赤飯」
「まぁお目が高い」

 私は脚の間から離してもらえず、ばくばく食べる久世のためにせっせとフィルムを剥いでは海苔を巻いた。

「──だァ、食った」
「満たされた?」
「はい」
「お腹空いてるとろくなこと考えないからねえ」
「ですね」

 言いながら久世は私のうなじに顔を埋めた。

「俺の場合、それに加えて真咲さんがそばにいないとだめみたいです」
「そっか。じゃあ一緒にいたほうがいいね。私もだめになっちゃうから、航汰いないと」

 振り返ってキスを交わせば、穏やかな彼の瞳が滲んでいた。

「さっき、お義父さんと会ったよ」
「え──」
「会社出たところで声かけられて、昨日の件の謝罪と、もう会わないことにしましょうって話をした」
「そう……だったん、ですか、すみません……」
「なんで謝んの。そりゃ急に声かけられたのはびっくりしたけど、挨拶するって目的は果たせたし、航汰のことをよろしくお願いしますと託していただきましたので、私は航汰と末永くよろしくするつもりです」
「あの人、そんなこと言ったんですか?」
「うん。聞いていた話と違ったというか、わりと普通の人だった。まぁ不器用感はあったけど。何かにつけ妻のため妻のためと言って、裏を返すと全部息子のため。妻との生活が大事だから、息子とは今後も家族としての付き合いをするつもりはないって言われた。だから、私も航汰との穏やかな生活を望んでいますので、以降はお会いしませんと返した。これでいい?」
「……いい、です」
「航汰にいっそ関心がないって話だったでしょ? その割には、会社のこともよく知ってるわ、ホームページも隅から隅までみてるわで、言葉の端々になぁんか引っ掛かるものがあってさ。航汰さんはいま営業部のエースなんですよって言ったら、頭のいい子だったのでってなんか急にモソモソ言ってたわ」
「え……」
「ここからは羽多野さんのヒアリング力の見せどころですよ。──航汰見てると、どうしても思い出しちゃうんだってさ。亡くなった航汰のお母さんのこと。だから、顔見るとうまく話せなくなるらしい」
「なんすかそれ」
「なんでしょうねえ。いまさらそんなこと言われてもって感じでしょうし、航汰のお父さんが航汰にこれまでしてきた仕打ちはなかったことにならない。お父さんを許すでも腹を立てるでも航汰の自由だから私は何も言わない。でも、今後はお互いのために没交渉にしましょうってことは決定したから、それだけはわかってね」

 頷いた久世の複雑そうな顔に手を触れると、私は彼の頬を両手で覆ってぐにぐにとこね回した。

「真咲さぁあん」
「んー?」
「……結婚て、大変ですね」
「ほんとだよ。なんでこうも次から次に」

 揃って大きなため息をこぼすと、目を合わせて自然と笑い声がもれた。

「きっと、これからも大変なことあるんだろうな」
「結婚は節目に過ぎないから」
「でも、俺と真咲さんとなら大丈夫そうですね。改めて思いました」
「同感」

 我ら、ジャスティスメイトー! とばかりに右腕を交差させようとしたところ、ここはキスするところでしょうと叱られた。