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「久世さ、誕生日なんかほしいものある?」
「んー……婚姻届かな」

 手元の豚肉に塩コショウを振っていた久世から返ってきた答えに、私は思わず夕飯の支度をしていた手が止まる。

「あの……で、できたら、他の候補もあわせて教えていただくことは可能でしょうか」
「婚姻届って役所でもらえるほかにも、ウェブでテンプレートダウンロードしてそれ使うことも出来るんですって」
「はぁ意外と柔軟に対応してもらえるもんなんだねえ。で、婚姻届以外になにかないかな?」
「これといって特には」

 あれよ。婚姻届以外にも何かないと選択肢に困るだろ、私が。

「久世って、なんでそんなに結婚にこだわるの?」
「こだわっているというか、現状の法制度のもとでは正式な婚姻関係を結んだ方が何かと都合がいいと思うんですよね。税金とか保険の控除もそうですし、内縁だと相続権もないでしょ? 万が一の時に、真咲さんに何かしら残せたほうがいいなと思うので大事なことです」
「あ、はあ」
「あと、単純に俺、家族に憧れがあるので、はやく俺だけの家庭が持ちたいなって思ってて。今みたいな恋人関係も幸せですけど、正式に夫婦ってなると、なんとなく将来に渡って関係が長く続く気がして」

 久世は物心着く前に母親を亡くしており、その後はしばらく母方の祖父母のもとで暮らしたという。だがその母親同然に育ててくれていたお祖母様も小学校に上がる頃に他界され、お祖父様のほうには幼い子を育てられるような力がなく、そしてまた離れて暮らしていた父親のほうは多忙な仕事を理由に養育を拒否した。

 結局、久世は父の弟、すなわち叔父夫婦の元やその他の親戚の家を転々とし、その後、中学二年で父親が再婚したことをきっかけに改めて親元へと戻ったそうだ。だが、当然関わりの乏しかった親子関係がその時になって急激に歩み寄れるはずもなく、加えて義理の息子として現れたのがとびきりの美少年とくれば継母との関係も拗れに拗れて、久世航汰は高校入学と同時に一人暮らしを始め、未だ関係は希薄だという。

「結婚すれば幸せな家庭が勝手にやってくるなんてことは思ってませんし、何がどうなるか将来のことなんて誰にもわからないのも理解しています。でも、俺は真咲さんの人生に参加したいし、真咲さんにも俺の人生に関わって欲しくて、歳をとってもどんな時でも、真咲さんとはずっと一緒にいたいなって思ったから、だから結婚したいです」
「そうだったんだ」
「あと、彼氏彼女だと別れる展開もあるかもしれませんが、結婚して離婚なんてそう簡単にさせませんし万万が一真咲さんが俺と別れたいなんて言い出しても裁判持ち込んでずっと引きずって真咲さんの戸籍に俺を残し続けてやりますから覚悟して」
「あはは……」
「むしろ、真咲さんはなんでそんな結婚に躊躇うんですか? お互い好きで、性格も体も相性いいのはもうわかるじゃないですか。俺の家族なんてあってないみたいなものだから、しがらみもそんなないでしょ?」
「いや……それはそうなんだけど、久世のほうはそうでも、やっぱり結婚となると私のほうの家族がどうしても絡むから」
「仲悪いんですか? 今まで聞いてきた限りだと、お母さんとの関係が微妙なのかなと思ってましたけど」
「……まぁ、うん良くもないけど悪くもない」

 私の両親はステレオタイプな考えの持ち主で、私に昔ながらの女の役割を重視する。
 特に母親は下のふたりの弟たちを溺愛しており、私にはその姉として彼らの面倒をみさせ、時に戦友気取りで、時に従者のような振る舞いをも押し付けてきた。同じ女だからと。彼らは決して悪い人たちではない。だが、悪意がないからといっていい人だとも限らない。

 家の中で、私は「私」を押し殺すようで居心地が悪かった。

 両親は、浮いた話のなかった愛想のない娘に目が覚めるようなイケメンが「結婚したいんです!」とくれば、両手を上げて歓迎するだろう。
 ただ──。

「あのさ、久世」
「なんですか?」
「髪切る予定ない?」
「……はい?」