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 十月の連休を過ぎ、いつの間にかすっかり秋めいた空気の中で社員旅行の当日を迎えた。
 すでに集合前から相田さん含む女性陣の中で久世の隣を巡る熾烈な座席争いが始まっていたようだが、久世は当然のように水野くんと並び、私は研修チームのベテラン講師である麗しの田仲先生に誘われて行き道を共にした。急な日程と内容変更を求められたコーチング研修の一件以来、研修チームにおける久世の評判は高く、厄介払いも同然で異動になった過去がある古巣とも今では良好な関係を築くことができているらしい。

「というわけでね、久世くん人気講師になれると思うの。あの見た目に、知識とその場の状況判断力に柔軟性なんて、カリスマ間違いなしでしょう?」
「確かにそれはそうなんですけど、引き抜こうとするのやめてくださいよ。うちの大事な戦力なんですから」
「もぅ、わかってるからそんな顔しないで。常々言っているけど、わたしとしては羽多野さんも欲しいから。あなた人前に立つのはもちろん、構築も分析も得意でしょ? だからいっそのこと、ふたり一緒に」

「──うちのチームを丸々ひとつ潰すおつもりですか? 田仲先生」

 不意に背後から低い声で告げられた声に振り返れば、ひとつ後ろの席にいたらしい統括の谷原さんが、薄い笑みを浮かべて私たちを覗き込んでいた。

「失礼。盗み聞きになってしまいましたが、聞き捨てならない内容だったもので」
「あらやだ、谷原くん。冗談よ、本気だけど」
「どちら?」
「んー、八割本気」
「田仲先生はご自分の社内での発言力をよく理解されているはずですが。羽多野まで抜かれては一課に大穴が開きます」
「あら、優秀な人材を手放したくない気持ちはわかるけど、ずっと囲い込んでおくというのも彼女のキャリア形成を思えば、上司としてはよろしくないのではなくて? 束縛する男は嫌われるわよ」
「嫌いか? 羽多野」
「はえっ!?」

 まさかここで話を向けられるとは思っても見なかった。

「束縛していたかな、俺は」

 谷原さんの視線にはどこか身がすくむような色気がある。以前はこれに一日中惚けていたような気がするが、今は不思議と居心地が悪かった。

「い、いやぁ……はは、正直日々の業務に追われていると、落ち着いてキャリア形成を考えるような余裕がなくて」
「まぁ働かせすぎよ、谷原くん」
「まったく耳が痛い話です。ただ、実情、羽多野のような女性リーダーの成り手不足は先生もご存じでしょう」
「それを育てていくのが谷原くんのお仕事でしょう?」
「やはり耳が痛い」

 間に挟まれた私は乾いた笑いを浮かべるしかない。
 そうして半ばぐったり気味で辿り着いた秋色の軽井沢で、ランチを取ったあとは軽いレジャーとなった。親交を深めることを目的とするだけに、部門やチーム入り乱れての組み分けでゴルフと森林アスレチック、ボーリングの三班に別れて楽しむという。旅行会社のエージェントにアテンド依頼をしているとはいえ、幹事に抜擢されてしまった面々の手間を考えると頭が下がる思いだった。

「離れたくない……!」

 久世も私もお歴々方の名前が揃うゴルフとボーリングは回避して、アスレチックを選択していた。動きやすい服装への着替えも済み、どれ行くかと集合場所へ向かう途中で物陰に引っ張り込まれた私は、グループが異なる結果となった久世の悲痛な訴えに肩を揺さぶられた。

「こればっかりは仕方ない。同じ場所にはいるんだし」
「水野さんは真咲さんと一緒じゃん!」
「久世のグループには喜田川がいるから、頼りにしなさい」
「真咲さんと手と手を取って険しい道を進み、共に艱難を乗り越えるっていう俺の夢はどうなるんですか!」
「もっと大きな夢を持て……」

 そして私は平坦な道が好きだ。
 しょげる久世を宥め、すでに人だかりが出来ていた集合場所に向かう。説明を聞く傍ら久世を見上げると、羽織っていた薄手のジャンパーの後ろ首からオレンジのタグが顔を出していることに気がついた。

「久世、タグ出てるよ」
「え、どこです?」
「襟のとこ」

 さっきふたりきりで話してしまったせいか、久世は何の気なしにいつもの甘え調子で軽く膝を折り、私も何の気なしに彼の襟元に手を伸ばして折れていたタグを中にしまってやった。
 共にはっとしたのは、その一部始終を間近で相田さんがじっと見つめているのに気づいてからだった。

「羽多野と久世さんてぇ」

 ──ヤバッ!

「なんか姉弟みたいですよね」

 きょうだい。

「そ、そう? 確かに、私、男兄弟多くて久世にもそうなっちゃってたかも、下ふたり弟で」
「俺は兄弟いないんで、羽多野さんみたいなしっかりしたお姉さん憧れるなぁ」
「久世さん、普段俺なんだ!」
「え? あ、す、すみません、思わず素が」
「素ぅーッ!」

 セーフ!
 相田さんの興味が上手いこと逸れてくれたようで助かった。だが、そうして胸を撫で下ろしたのもつかの間──

「あんまり自然だったから、もしかして付き合ってるのかなって疑っちゃった。夏くらいからなぁんか怪しいなって思ってるんですよねぇ」

 セーフ……?
 私と久世は肯定も否定もなく、ただワハハと笑ってすぐに互いの距離を開けた。