(2)

 日が昇って朝八時半。
 
 ──眩しい……。

 一度会社に立ち寄って、使用する機材や研修資料を久世と分担して運び出し、私たちは予定通りの時刻に先方のどでかい自社ビルに到着した。

「久世、あの、久世くん」
「はい、なんですか。真咲さん」
「あのね、バチイケで頼むとは言ったけどさ……もうちょっとなんていうか、そのキラキラしたオーラみたいなの抑えてくれる?」

 こっちは目の下のくまを隠すのに難儀したというのに、久世は昨晩の疲労など微塵も感じさせない爽やかさで煌めきを放っていた。行きかう人が振り返るし、何よりその輝きは私の疲れ目に染みる。

「昨夜はしっかり湯船につかってストレッチして朝食も食べてきたので体調は万全ですし、何より真咲さんのモーニングコールで目覚めたので幸福度も高いです!」
「あ、うん……よかったね……」
「真咲さんのちょっと寝ぼけた声ほんとかわいくて、早く一緒に住みたいなって」
「よし、時間なので行きましょう」

 久世は受付に立ったばかりの女性を眩い笑顔で再起不能に追い込み、臨戦態勢を整えて指定された研修ルームのあるフロアへと向かった。

「おはようございます、羽多野さん。久世さんも」

 まずは本日の件、尽くお詫びを申し上げます──エレベーターホールで私たちを待ち構えていた剣持は引き連れた部下と共に深々頭を下げた。

「お引き受けくださった御社の寛大さで我々の首が繋がりました。さすが羽多野さんだ」
「とんでもない。チームで動いていたからこそですよ」
「ご謙遜を」

 私たちを研修ルームに案内しながら傍らを行く剣持は声を潜めた。

「本当に悪かったと思っています。羽多野さんがいらっしゃらないから、私も打ち合わせに身が入らなかったのかもしれない」
「ご冗談を」
「冗談などではなく、あなたのおかげで恙なく運営ができそうです。この件はぜひ個人的にも礼をさせてください」
「そうですか、なら。──良かったね、久世! 剣持さんが個人的にも労ってくれるって!」

 笑顔を貼り付けて私が振り返れば、久世も煌めく明るいオーラを前面に押し出した。

「わぁ本当ですか? 剣持さん、大人の魅力って感じで、いい場所たくさん知ってそうですよね!」
「え、い、いや、まぁ……」
「なぁんて、冗談ですよ。どうぞお気遣いなく、剣持さん。こういうピンチを乗り越える経験も僕には貴重です。それに、労いなら上司からもらった分で間に合ってますから」
 
 久世に対峙する剣持はわずかに怯んだように見えた。
 私は久世の横に立つ。意識せずとも自分の眉根に力がこもるのがわかった。

「前日の内容変更はさすがに苦慮しましたので、以降はご遠慮願えますと弊社としても助かります。とはいえ、ご参加されるみなさんのスキル向上や気づきに繋がることこそ我々が何より重視するところです。久世も私も、本日は力を尽くしますから、どうぞよろしくお願いいたします」
「……こちらこそ」

 開始時刻が迫り、続々と参加者が入室してくる。参加者は二十名ほどと聞いていたが、後方の席でやたらと女性の見学者が多く、これは恐らく久世のせいだろうなと察しがついた。
 講師をするのも久しぶりのことで、内容も通常パッケージから急遽変更したとあってふいに緊張が込み上げてきた。

「真咲さん」
「は、はい、何?」

 急に声をかけられ、どぎまぎしながら久世を見れば、久世は手元で小さく右手の親指と人差し指を交差させて示した。

「……え?」
「ファンサです。今日は俺のドーム公演来てくれてありがとう」
「いや、前に立つの私だよ」
「でしたねー」

 思わず笑って気が抜けた。

「緊張してるとこ初めて見ました」
「おかげで大丈夫になった。ありがと」

 横目で後席に控えた剣持を見て、気概を新たに持って前に出る。
 三時間半のコーチング研修は座学と演習から構成される。講師は如何にして彼らを飽きさせず、スマホのチラ見を最小限に抑えることが出来るかが勝負だ。
 剣持からの要望を踏まえて例年よりも演習コンテンツを多く採り入れた内容に組み換えた。アドリブが多くなるが、参加者の反応さえよければ盛り上がるものだ。
 プログラムの通り前半を終え、手応えとしては上々──そう思いながら短い休憩に入ったところで、足元がふらついた。

「真咲さん、大丈夫ですか」
「……大丈夫、ごめん」

 咄嗟に支えてくれた久世に礼を言って、息を整えていると、目の前にお茶のペットボトルが差し出される。

「飲んでください。あと、飴も。座って」
「ごめん、ありがと。ただの立ち眩みだからすぐ直るよ」
「昨日まで出張だったんですよ。連日のトラブル対応になってるんですから無理しないでください。これで倒れたら元も子もないでしょ」
「出張だったのは久世も同じでしょ」
「体力違いますよ。だから座ってて。後半、俺がやってもいいですか?」

 驚いて目を見開くと、久世は安心させるように目を細めた。

「真咲さんと内容考えたの、他でもなく俺ですよ。見ててください」