大公家からマリアンヌが生まれたばかりの赤ん坊を連れて消えた、という噂は瞬く間に使用人達の間に広まっていった。

 使用人達は元々大公妃を普段から見下していたので今回の騒動で遂にアレクシスがマリアンヌに愛想を尽かせて離婚するものと思っていた。

 既に女主人の様に大公家で采配を振るっていたのはミレーヌだった為、ミレーヌが新しい大公妃となる日は近い筈、と使用人達は考えていたのだ。

 それなのに……。

 「おい! マリアンヌはまだ見つからないのか! ローラ! ローラを呼べ!」

 まるで愛しい妻に逃げられた夫の様な態度を取るアレクシスに使用人達は面食らっていた。

 「あの……。ローラは今朝早くに実家に戻りましたが……」

 おずおずと、侍女頭が手を挙げる。

 ローラは昨夜、手紙が届いて慌てて休暇を貰い、今朝早くに実家に向かう馬車に乗った。

 なんでも母親が倒れたとか……。

 「大公妃が家出しただなんておかしな噂が立てば私が恥をかくのだぞ? まったく、どいつもこいつも使えんな」

 ――マリアンヌがへそを曲げて家出の真似事をしたのは、勿論私に対する当てつけだ。

 マリアンヌの最近の生意気な行動は全て私を振り向かせたい為のもの。

 しかし、ここで甘やかせてしまえば誰が自分のご主人様なのか思い知る事が出来ないじゃないか。

 折角昨日、マリアンヌへの素晴らしいお仕置きを考え付いたばかりだというのに……。

 「アレクシス様ぁ~。何でミレーヌのお部屋にゆりかごが?」

 あぁ……ミレーヌにも早く教えてやらないとな……。

 「皆、よく聞け。マリアンヌは恥知らずにも黒髪の赤子を産んだ。大公家にはこれまで黒髪の子供は生まれなかったのにだ。マリアンヌも恐らくこの事を恥じて家出などという子供じみた事をしているのだろう。これまで私はマリアンヌを甘やかしていたと思う」

 メイド達がヒソヒソと囁きクスクスと笑っている。

 「そこで彼女にはこれまで使っていた部屋から使用人部屋に一番近い部屋を与える事にした。マリアンヌの部屋はミレーヌが使う」

 ――男性の使用人達はアレクシスの発表に戸惑った。

 (あの美しい妃殿下を使用人部屋に一番近い部屋へ? しかもあの部屋は北側で陽も当たらない寒い部屋だ)

 執事長が遠慮がちに手を挙げた。

 「恐れながら、申し上げます。生まれたての赤子が過ごす部屋としてはいささかお寒いのではないでしょうか……」

 「ははは、執事長は心配性だな。まぁ、大公家に長年仕えていたのだから、赤子の心配は最もだな。安心しろ。今後あの赤子は大公家で使用人となるのだからそれなりの教育を今から教え込まないとな」

 「ええっ……公女様を使用人に? い、いくら何でもそれは……」

 アレクシスは得意気に笑った。

 「そこでだ! 使用人教育も兼ねてミレーヌの部屋で赤子を育てる」

 本当は自分の子なのかよく分からない子を北側の部屋に親子共々押し込めるつもりだった。
 しかし、アレクシスはマリアンヌの強気の原因に気付いてしまったのだ。
 マリアンヌはあの赤子がいるからあんな風に生意気な態度なのだ!

 ならば簡単な事だ!
 マリアンヌを変えてしまった元凶を取り除けばいいだけ。

 マリアンヌだって私にそっくりの赤子が生まれたらもっと従順になる筈だ。
 不幸にもおかしな髪色の赤子が生まれてしまったせいで卑屈になってしまったのだ。
 あぁ……なんて不幸なマリアンヌ。


 ミレーヌは憤慨した。
 「ええっ? 酷いです! ミレーヌは赤ちゃん育てた事ないし」

 アレクシスはミレーヌの肩を抱いた。

 「可愛いミレーヌ。大丈夫だよ。赤子が泣いたら乳母に面倒を見させればいい。夜も勿論乳母がいる。ミレーヌは赤子が眠っている間だけ世話を頼む」

 ミレーヌは唇を尖らせながらも渋々承諾した。

 「分かりましたわ。でも、あの赤ちゃんアレクシス様に全然似てないから可愛くないですわ」

 執事長が再び手を挙げる。

 「あの……では大公妃殿下はいつ公女様のお世話を?」

 アレクシスが愉快そうに笑う。

 「ははははは。マリアンヌは不吉な子を産んだのだから、早く次の子を産む準備をしなければ。赤子に情が移るのはよくない事なんだよ。まぁ、彼女が態度を改めて私への心からの謝罪と、私との次の子を授かれば……私の許可した時間だけ会わせてやろう」

 笑いながら、アレクシスは自分が考え出したマリアンヌへのお仕置きの完璧さにブルリと身を震わせていた。

 マリアンヌはあの気味の悪い髪色の赤子とベッタリだから、あの子を人質にしてしまえばこれまで通り……いや、これまで以上に私を頼る!
 そして早くあの子の事は忘れさせて今度こそ私に似た赤子を産ませればいい。

 先ずは部屋の移動準備だ。

 マリアンヌの驚きに満ちた顔が早く見たい。
 赤子を取り上げたら、彼女は泣くだろうか……。
 マリアンヌ……。二度と生意気な口を利けなくしてやる!

 そして私に縋りつくがいい。

 「ふふふふ……はーっはっはっはっは!」


 ***

 使用人の前で高笑いをしているアレクシスをミレーヌは冷めた気持ちで眺めていた。

 はぁ……この男ってほ~んと、顔がいいだけのクズですわね。

 こんな寂れた田舎の大公妃になれたとしても、疲れるだけですわ。

 マリアンヌ様には引き続き面倒な業務をこなして頂いて私は綺麗なドレスで華やかな夜会に出席させて頂きますわ!

 赤ん坊の面倒なんて見るもんですか!

 馬鹿馬鹿しい。

 ――お父様からピレーネ一族に後継者が生まれたら異能が発動しないか見張っていろだなんて命令されなければそもそもこんな田舎には来なかった。

 まぁ、一日中ゴロゴロできて快適ですけどね?

 マリアンヌ様って、確かに最近変わったわ。

 赤ん坊を産んだ日から……?


 あの黒髪、まさか本当に不貞の子ではない……わよね?

 まぁ、いいわ。

 あの赤ん坊に異能が発現するかを見るだけですもの。

 もしも異能が発現したら、私のいう事だけ聞いてくれるだけのペットにしてもいいわね。

 「マリアンヌ様ったら……どうせ帰る場所だって無いんだから大人しくしていればいいのにね…フフフフフ」


 ***


 手紙を握り締め、朝早くに出発したローラを乗せた馬車が目的地に辿り着いたのは、その日の夕方遅くだった。

 「妃殿下……どうかご無事で……」

 ローラ宛に実家から手紙が届いたのは昨日の夜だった。

 しかし、手紙の封を切るとマリアンヌの手紙が入っていて、内緒でテオドール殿下の邸宅へ来るようにと綴られていたのだ。

 「まさか、魔晶石に問題が?」


 テオドール皇子の邸宅はかなり広いが、とても古い屋敷だった。

 執事に案内された部屋で待っていると、エリーンを抱いたマリアンヌが現れた。

 「公女様っ! 妃殿下!」

 2人の無事な姿を見たローラは安堵してへたりと座り込んでしまった。


 「心配かけてごめんなさいね……実は…」


 マリアンヌが発した次の言葉を聞いたローラは卒倒した。



 ***

 「……―ラ……ローラ、しっかりして頂戴!」

 あぁ……。

 私はきっと夢を見ていたのだわ……。

 私の大切な妃殿下が不貞の子を産んでその方と再婚するだなんて……。
 夢とはいえ、なんて恐ろしい……。

 パチリ、と目を開けると私を心配そうに覗き込む妃殿下の美しい顔が……

 妃殿下が抱いている公女様のつぶらな瞳。

 「テオドール様、ローラが気が付いた様です。馬車にずっと揺られていたからきっと疲れたのですね」

 え……?

 今……テオドール様って……?


 「改めて紹介するわ! テオドール様はエリーンの父親です。私、アレクシス様と離縁して、テオドール様と再婚する事になったの! ローラは引き続き私の侍女として働いて貰う。いいわね?」

 え?

 ええぇぇぇぇぇ――?