大公家は元々優れた異能を持つ人間が誕生していた。

 エリーンは間違いなく大公家の血を受け継いだ。
 いや、受け継いでしまった。

 しかも大公家でも大昔に発動したきり忘れられていた異能が……。

 ――マリアンヌは今、自分の胸でスヤスヤと眠る我が子を見つめ唇を噛み締めた。

 (こんなにも可愛らしい私の娘が怪物公女だなんて、絶対に今世では誰にもそんな事は言わせないわ!)

 回帰前の惨劇を思い出し、マリアンヌはブルリと震えた。

 「ローラ、私が昨日書いた手紙は侯爵家に届けてくれた?」

 「はいっ! スタンリー侯爵家に届けましたのでお返事は三日後くらいかと」

 マリアンヌは昨日娘が生まれた事、そして離婚するつもりだという事を手紙に綴った。

 (多分、スタンリー侯爵は、未だに私との事を公にされる事を恐れて言われるままに資金援助をしている。そしてこれがアレクシスが私を傍においておきたい理由の1つだ)

 昨日の手紙には、酒に酔ってしまった告白が映像として残されてしまった事への謝罪と、離婚が成立する前に資金援助を止める様にお願いする内容がしたためられている

 (侯爵家からの資金援助が無くなれば、当然私への執着は消えるだろう)

 「妃殿下、古物商の者が品物の確認に」

 ローラの言葉ではっとする。

 「あら……。もう来てくれたのね? 通して頂戴」

 古物商はマリアンヌが輿入れした時に持参した調度品の数々、そして宝石を鑑定した。

 調度品は思った以上の金額で売れた。
 宝石の鑑定をしていた古物商の手が止まる。

 「ほう……これは、まさか……」

 古物商の男の顔が明らかに変わっている。

 「―妃殿下、こちらの宝石は魔晶石ですかな? 私には魔晶石を鑑定出来る魔道具がありませんのでよく分かりませんが」

 ――魔晶石!

 魔晶石は帝国でも大変高値で取引をしている。
 何故なら魔晶石は魔力を込めれば魔道具に、神殿で神聖力を込めれば聖剣を作る材料になるのだ。

 しかし、純度の高い魔晶石は帝国の中でも指折りの傭兵や騎士でないと入り込む事も困難な魔獣が住み着く『ロクサーナの森』でしか見つかっていない。

 魔晶石は誰でも採掘出来る場所には存在しないのだ。

 「――あら、残念だわ。この宝石は模造品よ? ごめんなさい。本物の宝石と混ざってしまった様ね。でもこの模造品は亡くなったお父様が本物そっくりにこしらえた模造品だから売り物ではないの」

 古物商の男は落胆した顔になった。

 「そうでしたか……。もしも売って下さるのでしたら、模造品でもこれ程精巧な物なのでこちらのルビーの指輪の三倍の値を付けさせて頂きましたのに」

 古物商の男はチラリとマリアンヌの顔を見上げた。

 「――模造品でそこまでの値が……。形見の品だから諦めるわ」


 ――嘘だった。

 この魔晶石は模造品ではなく、高純度の本物だ。
 マリアンヌは正直この魔晶石の価値がよく分からなかったので嘘をつく事にしたのだ。

 この魔晶石が父親の形見の品である、という事だけは事実だ。

 (輿入れの前夜、お母様がこの魔晶石を私に下さった時は驚いたわ。思えば既にあの頃にはアレクシスが映像魔道具でお義父様の悪行をスタンリー侯爵家に暴露していたから…私に罪悪感を抱いたお母様が罪滅ぼしに持たせたのかも)

 古物商は、名残惜しそうに魔晶石を眺める。

 「この魔晶石が本物でしたら凄い事でしたな。実は魔晶石の中でもこの様な紫色をした石はほぼ存在しないのです。紫色の高純度の魔晶石は『ドラゴンの涙』という名で現在所持されているのは、皇帝のみ。あ、そうだ。『ドラゴンの涙』を血眼で探されている方がいましたな」

 マリアンヌの肩がピクリと揺れる。

 「その方は、一体どなたなの? 高位貴族の方かしら」

 古物商の男は仕様人達に聞かれる事を恐れたのか、小声でマリアンヌの耳元で囁いた。

 「あの方ですよ……。『人喰い皇子、帝国の竜人』等と噂の絶えないテオドール皇子様です」

 その名を聞いた私の心臓が一気に跳ね上がった。


 帝国の第三皇子。
 彼が何故その様な異名で呼ばれているのか……。

 テオドール皇子は、戦争の狂犬。
 戦争が始まれば、彼が訪れた大地は焼き尽くされ、女子供も容赦なく切り捨てられると言われている。

 そしてその凶悪な性格は呪われた竜人の血のせいだとも……。

 「――その方が何故魔晶石をお探しに?」

 古物商の男は周りを気にしながら小声でまた囁く。

 「――詳しい事は分からないのですがどうやら皇子は呪いを解く魔晶石を密かにお探しとか…。魔晶石はここアグレシア帝国の現皇帝ルードヴィッヒ皇帝が所持していますが、呪われた皇子は皇帝からも見放されていますからね」

 アグレシア帝国のルードヴィッヒ皇帝には三人の皇子がいる。

 ――次期皇帝となる事を約束されたマクシミリアン皇太子、第二皇子のフィリップ皇子。

 このお二人は正室のサンドラ皇后と皇帝との実子。

 対してテオドール皇子の母は敗戦国、ドルネシア国から皇帝に戦利品として嫁がされた側妃タシア王女。

 このタシア王女はテオドール皇子を出産してお亡くなりになる直前、竜人の呪いを皇子に掛けたとか……。

 「テオドール皇子が皇帝陛下から見放されているだなんて噂は不敬罪になります。あまり大きな声で言わない方が良いのでは?」


 マリアンヌが冷たく睨むと、古物商の男はひっ、と口元を抑え慌てて代金wぽ支払うと退散した。


 呪われた皇子。
 人喰い皇子。
 帝国の竜人……。


 マリアンヌは唇を噛み締めた。

 誰がその様な酷い噂や異名を……。


 エリーン。

 愛らしく美しい彼女を人々は怪物公女と陰で呼んで嗤っていた。

 テオドール皇子と愛しい我が子が重なる。

 人はこの世に生まれたその瞬間、誰からも祝福を受けるべき尊い存在なのに。
 等しく神から授かった命なのに。

 エリーンも、テオドール皇子も生まれたその瞬間に父親から見放されてしまった。


 「ローラ。テオドール皇子に手紙を書くわ。ペンと紙の用意を」


 ***


 「アレクシス様~! 感激です……私、本当にあのお部屋を使っても?」

 「ははは、当たり前だ。ミレーヌは私が寂しく辛い想いをしている間ずっと寄り添っていてくれたからね」


 「ミレーヌは本当に幸せですわ。でも……あの素晴らしいお部屋はマリアンヌ様のお部屋だったのに、何だか申し訳ないですぅ!」


 「ははは、気分が悪いだの腹が痛いだのうるさく文句ばかりのマリアンヌは仕用人達が余程好きらしいからね。北側の使用人部屋に一番近い部屋に住んで貰う事にするよ。吐きそうになったらすぐに使用人が飛んで来るから」

 「えぇ~? マリアンヌ様、ごめんなさいねぇ~? でも……赤ん坊のうるさい泣き声が聞こえたら……アレクシス様がお可哀想ですので……仕方ありませんねぇ?」


 ――晩餐の席に呼ばれたから珍しい事もあると思った私が馬鹿だったわ。

 思い出した……。

 回帰前にもこうして、私の目の前でこれ見よがしにベタベタとアレクシスにしな垂れかかっていたこの女は、この後正式に第二夫人として大公家で女主人の様に振舞うのだったわね。

 あの頃は悔しくて自分が惨めで毎日泣いていたわ。

 でもなんて不思議なのかしら。

 あの頃あんなに悔しい気持ちでいっぱいだったのに、全く何の感情も湧き出て来ない。

 ローラをチラリと盗み見ると、唇を噛み締めて怒りに震えている。


 私は、にっこりと微笑むとステーキ肉を一口食べてナプキンで口元をそっと拭った。

 「まぁ。良かったですね。わたくし、あのお部屋は日差しが強すぎてあまり好きではなかったので、お好きに使うと良いわ。あぁ。家具等の調度品はわたくしの実家から持参したのだけど、気に入らないから先日全て捨てましたの。ミレーヌ様好みにすると良いですね?」


 あんぐりと口を開けてワナワナと震えるミレーヌに再び微笑む。


 「あっ。ごめんなさい。もしかして、わたくしのお部屋の調度品が欲しかったのですか? ミレーヌ様は、他人のお古が余程お好きな様ですわね? では、今度何か捨てたくなりましたら、先ずはミレーヌ様に相談しないと。要らないゴミを大切にして下さるんですものね?」

 私はわざと、アレクシスを見つめた。

 「おい! マリアンヌ! 貴様、いい加減にしろ!」

 「アレクシス様ぁ~! ミレーヌ、マリアンヌ様が怖いです!」

 ウソ泣きをしながらアレクシスの腕に縋りつくミレーヌを冷たい瞳で睨みつけた私は、早々に晩餐の席を立った。

 背後でアレクシスの怒鳴り声と皿の割れる音を聞きながら、心は羽が生えた様に軽やかだった。

 ***


 翌日の朝早く、エリーンを抱いたマリアンヌは大公家を抜け出して王都のテオドール皇子の住む邸宅へ向かった。

 帝国の竜人という異名を持つ第三皇子は、城を離れ王都の北の外れで使用人も限られた数しかいない寂れた邸宅に住んでいるらしい。

 夕方にようやく辿り着いたその邸宅は、確かに使用人が少なく王都からも離れていたが、思った以上に広く、使用人が少ない割には管理が行き届いていた。

 執事に案内された部屋で待っていたマリアンヌは、テオドール皇子が扉を開けた瞬間驚きの余り息を飲んだ。

 (そ、そんな……。貴方は……!)