皇帝には正室との間に二人の皇子がいる。

 今年25歳になるマクシミリアン皇太子と23歳のフィリップ皇子。
 2人は正室との間に出来た正統な帝位継承権を持つ自慢の息子達だ。

 父として皇帝は見目麗しく礼儀正しい二人の皇子が切磋琢磨して帝国を発展させてくれればそれで良いと思っていた。

 現在マクシミリアンは上位貴族の中でも王族派で有名なエルネスト侯爵家の令嬢と婚約中で、間も無く婚姻する事になっている。

 二人の間に子が出来れば帝位継承も安泰だ。 

 ところが、新興貴族の中には帝位継承権を側妃との間に生まれたテオドールにも与えるべきだと騒ぐ身の程知らずな連中がいる。

 (あの者達は知らないのだ。呪いの力が発動した時のおぞましい姿を! そしてその力を制御する為の魔晶石のお陰でテオドールを意のままに操れる事を!)


 テオドールは子供の頃から気味が悪い子だった。

 母親が生まれてすぐにテオドールに呪いをかけたせいだ。

 勉強も剣術も一度教えるとすぐに習得し、僅か10歳で大人と同じ能力を発揮したテオドール。

 この異常なまでの成長の早さからテオドールは人間ではないのでは? という噂があとを絶たなかった。

 ルードヴィッヒ皇帝は敗戦国とはいえ、ドルネシア国のタシア王女を欲しいと思ってしまった事を今更ながら後悔していた。



 ――ドルネシア国はかつて「竜の国」と呼ばれていた。

 大昔、この国はドラゴンの加護で栄えたという伝説があったのだ。

 古代から竜の血を受け継ぐ者として、王族を神として大切にしていたドルネシア国は25年前流行り病で王族達が次々と病に倒れ、タシア王女のみが生き残った。

 アグレシア帝国のルードヴィッヒ皇帝はこの機を逃さなかった。

 緑豊かで肥沃な土地であるドルネシア国に戦争を仕掛け、勝利した皇帝はこの国で最も高貴な存在であるタシア王女を戦利品として側妃にしてしまったのだ。

 ルードヴィッヒ皇帝がタシア王女を側妃にしたのは、マクシミリアンが生まれた年だった。
 第一皇子が誕生したその年に側妃を迎えた事に対外的にも批判はあった。

 (思えば、あれは魔が差したのだ。黒髪の妖艶な王女をどうしても手に入れたかったのだ)

 ルードヴィッヒ皇帝はこの時王女に恋人がいる事を知りながら無理矢理アグレシア帝国に連れ帰ってしまった。

 いつかは自分を愛してくれるのではないか…という皇帝の淡い期待はすぐに打ち砕かれる。

 マクシミリアンが誕生した2年後に正室であるロザリア妃が2人目の皇子フィリップを産み、それでも皇帝は諦めずにタシアの心を欲しがった。

 しかし何年経とうがタシアは皇帝を敵としてしか見なかったのだ。

 フィリップ皇子が誕生した冬に懐妊したタシアは、それでも決してルードヴィッヒ皇帝に心を開く事はなく、やがてテオドールを出産すると呪いの言葉を吐き捨てた。


 「――私の産んだこの子は正統な竜の血を受け継ぐ者。いつかお前の帝国は私の子が奪う事でしょう」


 (あの女が赤子を産み落とすまでは、ただの伝説だと高を括っていた。まさか本当に竜の血を受け継いでいたとは!)


 タシアは赤子を産んだその日に不思議な呪文を生まれたばかりのテオドールに唱え、毒を飲んで息を引き取った。

 慌ててテオドールを抱き上げると、その右腕には銀色に輝く鱗が生えていたのだ。

 「――私の子とは到底思えない…化け物め…!」

 剣を突き付け振りかざすと、テオドールの身体から不思議な光が現れて、剣は弾き飛んでいった。

 「この皇子は呪われている。皇子の呪いを解ける者はいないのか!」

 皇子を殺す事が不可能だと悟った皇帝は学者を呼び寄せ、ドルネシア国の古代語で書かれていた文献を調べさせた。
 そしてこの問題を解決出来る方法を見つけたのだ。

 それが「ドラゴンの涙」と言われている希少な魔晶石だ。
 古代語には、竜の血を受け継ぐ者の魔力が暴走した時、魔晶石に魔力を吸わせる事が出来ると書かれていた。

 幸いにもドルネシア国の神殿に「ドラゴンの涙」は祀られていた。

 ルードヴィッヒ皇帝はこの魔晶石を常に自分で保管し、テオドールの力をコントロールする事に成功した。

 成人したテオドールはこの魔晶石を自分で管理したがった。

 (馬鹿な事を…。力を自在に操れるようになれば、本当にいつか私の帝国はあの男に乗っ取られるかもしれない)

 竜の力は絶大だ。
 魔晶石が私の手元にある限り、テオドールは私の人形に過ぎない。

 ***

 「父上、ピレーネ公国の噂をご存じですか?」

 昔の思い出に耽っていた皇帝は、朝食の席で皇太子であるマクシミリアンの問いかけに我に返った。

 マクシミリアンは母親譲りの綺麗なピンク色の髪色、美しい翡翠の様な瞳をしている。
 あの呪われた皇子の不吉な黒髪とは比べようがない。

 「ピレーネ公国? あぁ……。あの西部の僻地がどうしたのだ」

 マクシミリアンは、紅茶を飲みながら皇帝である父親をチラリと覗き見た。

 (心ここにあらずと言ったところか…。ピレーネの大公に泣きつかれたのだが、恐らく聞いては貰えそうにないな)

 マクシミリアンは昨夜、夜会の席でピレーネ公国の大公アレクシスに妻からの結婚無効の承諾書を破棄出来ないか相談されていたのだ。

 アレクシスはマクシミリアンとアカデミー時代に親しくしていた旧友だ。

 どうやら子が出来たばかりなのに妻に家出をされた挙句、離婚されそうだとか…。
 友としては人肌脱いでやりたいところだ。

 「――私の旧友でもあるアレクシスが妻から結婚無効の承諾書を送り付けられたそうなんです。赤子が生まれたばかりだというのに…彼を救う事は出来ないでしょうか」

 ルードヴィッヒ皇帝の肩がピクリと揺れた。

 「マクシミリアン。結婚無効の承諾書は我が帝国の神殿の管轄だ。我々が出る幕はない」


 帝国の結婚証明書と結婚無効証明書…。
 これらは神殿が管轄となっている。

 帝国で婚姻した人間は神殿で魔力の籠った結婚証明書にサインをするのだが、その時に結婚無効の承諾書も作られる事がある。

 「帝国では、15歳から婚姻が可能ではあるが成人前の16歳未満の女性が婚姻した時は結婚と同時に結婚無効の承諾書も発行される。早まった婚姻をしてしまったと両親が判断した場合は承諾書に両親がサインする事によって結婚が無効となるのだ」

 マクシミリアンが苦笑する。


 「アレクシスは年若い女性と婚姻しましたが、大公妃は現在17歳です。立派な大人だ。今更、結婚無効の親の承諾書を持ち出さなくても…」

 皇帝は溜息をついた。

 皇太子ともあろう者が神殿が決めた婚姻の証明書や成人前の承諾書にケチをつけるとは。

 「まったく…。友といってもそれ程親交がある訳でも、帝国に利益をもたらす人物でもなさそうではないか。この話は終わりだ」

 マクシミリアンが下を向いていると、隣の席でトマトを食べていた第二皇子のフィリップが口を挿む。

 「父上、ピレーネ公国は異能持ちの国なのでしょう? 少し貸しを作ってあげても良いのでは? 確か異能持ちのカレンは父上専属の密偵ですよね?」

 母親似のマクシミリアンとは違い、父である皇帝と同じ琥珀色の髪のフィリップ皇子はアイスブルーの瞳を輝かせた。

 いつか自分もカレンの様な異能の密偵を欲しいと思っていたフィリップ皇子は優秀で綺麗な顔のカレンがお気に入りだ。

 皇帝がジロリとフィリップ皇子を睨む。


 「――カレンは確かに優秀だが、ここ数年ピレーネ公国はまともな異能者が出ていない。確か大公家が最も濃い異能の血筋だそうだが、現大公は異能持ちですらない。ピレーネ公国もおしまいだな」

 フィリップ皇子が口を尖らせる。
 「なぁ~んだ。つまらない…天才異能者が出たら次は私が貰おうと思っていたのに」

 マクシミリアンは溜息をついた。

 (父上もフィリップも人をまるで使えるおもちゃや道具としてしか見ないのだな。まぁ…私の事も只の血筋の良い人形としてしか見てはいないけれど)

 マクシミリアンは、次の夜会でアレクシスに会った時の事を考えると憂鬱になっていた。

 (あの男は友人だけれど、少し根に持つ性格なのが厄介だ。もう会いたく無いな)

 ***


 朝食後、庭園を散歩していたフィリップ皇子は東屋に向かった。

 先日、新しくオレンジと黒色の鯉を東屋の隣にある池に放ったフィリップ皇子は毎日鯉を見に行く事が習慣となっている。

 「今度は何色の鯉を仲間に入れてやろうかな。血の様に真っ赤な鯉がいても面白いかも」

 東屋に到着したフィリップ皇子は、庭園の薔薇の花の植え込みの陰に見慣れた髪色の女性が蹲っているのを発見した。

 「あれ…もしかして…君、カレン?」

 ガタガタと震えるカレンは傷だらけで美しかったルビーの様な髪はボサボサになっていた。

 「た…助けて下さいっ……!」