美しいマリアンヌに抱き締められてローラは訳が分からずに目を白黒させていた。

 「ま……マリアンヌしゃま……っ…え、エリーンしゃまが…潰れてしまいまふ…」

 真っ赤になりながら、ローラは抱き付くマリアンヌのいい匂いを嗅ぎながらメロメロになっていた。

 (なんか……凄い、いい香りが……テオドール様がメロメロになるの……分かるぅ)

 「あ。ご、ごめんなさいね! 少し興奮してしまったわ! ローラみたいな人を探していたのよ! 異能持ちだけれど異能が出現しなくて、魔力持ちだけれど魔法が使えないないなんて……凄いわ!」

 (それは……マリアンヌ様にとって最高な事? じゃあ、私追い出されずに済む……の?)

 ポロポロと涙がローラの頬を伝い、気付くとローラは声を上げて泣いていた。

 「うわー―――ん! あ…ありがとう……ござい……ますぅ……」

 号泣するローラの姿をマリアンヌの腕に抱かれたエリーンはじっと見つめていた。

 「……あ~」

 ?

 その可愛らしい声にローラがピタリと泣くのを止める。

 「い……今……の」

 「……エリーン?」

 ローラとマリアンヌが互いに目を見張る。

 「……き、きゃ~っ! かっ…かわいい~!」

 興奮状態の2人をエリーンはきょとんとした顔で見ている。

 そこへ背後から冷静沈着な声が聞こえてきた。

 「……興奮されているところ申し訳ありませんが、それはクーイングと言って唇や舌を使わない発声であり、決して言葉を理解してではなく……」

 ルイスが解説を始めると、ゴツンと鈍い音がする。

 「いっ……痛い! 酷いですよ……殿下! 私は書物に書かれた正しい知識をですね」

 「――うるさい! エリーンは天才なのだから、余計な知識を披露せずともよい!」

 テオドールの登場でマリアンヌの頬はさっと熱くなる。
 昨夜、テオドールに優しく肩を抱かれた事を思い出すと胸が苦しくなるのだ。

 (嫌だわ……勘違いして恥ずかしい。テオドール様は育児に行き詰った私を慰めて下さっただけなのに)

 ルイスは、マリアンヌからそっと目を逸らす主君の耳が赤くなっている事を見逃さなかった。

 「さてと。私がここへ来たのは……ローラへのお返事をする為でしたね。私は大変忙しいので普段は弟子を取らないのです」

 「あ……そ、そう……ですよね」

 下を向くローラを見つめルイスはカチャリと眼鏡を掛け直した。

 「普段は……です。貴女の様な高い魔力で魔法が使えない方には興味があります。いいでしょう。私はその代わり厳しいですよ?」

 ローラの顔がパっと輝く。

 「ほ、本当ですか? ありがとうございますっ! ありがとうございますぅ~」

 抱きつかんばかりに迫るローラに圧倒されてルイスはとりあえずローラの頭を押さえつけた。

 「はぁ……貴女は一応レディなのですから、はしたない真似はしないように」

 ローラは唇を尖らせている。

 「はぁ~い……以後気を付けます」

 テオドールがエリーンの顔を覗き込む。

 「早く私にもなにか話しかけてくれないかな」

 横からルイスが口を挿む。
 「ですからそれは、クーイングと言いまして……」

 「うるさい!」


 賑やかなテオドール達のやりとりをマリアンヌは楽し気に眺めていた。

 (もしも、ローラの魔法の事や異能について参考になる事があれば……エリーンの異能を隠して生きていきたいわ)

 マリアンヌのエリーンを抱き締める腕に力が籠った。


 ***


 「そういえば、マリアンヌ様の結婚無効の承諾書ですがそろそろあちらの大公家にも届いているのでは?」

 ルイスの言葉にマリアンヌはドキリとした。

 「今頃……アレクシスは怒り心頭でしょうね」

 テオドールはマリアンヌが邸宅を訪れたその日のうちに、マリアンヌの結婚を無効とする手続きをすぐに始めた。

 神殿から結婚無効の承諾書を取り寄せてマリアンヌが署名をし、スタンリー侯爵家に送っている。

 既にマリアンヌの実家であるスタンリー侯爵家にはマリアンヌからの手紙で離縁したい意志を示しておりスタンリー侯爵は喜んでいるとか。

 (あの邪な心を持つスタンリー侯爵のことだ。恐らく結婚生活に限界を感じたマリアンヌがスタンリー侯爵家に戻って来ると勘違いをしてすぐに承諾書にサインをする事だろう)

 「でも…エリーンを楯に脅して来たらどうしましょう。後継者として取り上げられてしまったら?」

 マリアンヌがテオドールを不安そうに見つめる。

 「あのクズ男は大切な娘を愛人に育てさせようとしたじゃないか。大丈夫だ。貴女が心配しなくても、エリーンは絶対にあの男には渡さない」

 ローラがハッとした。

 「そういえば、大公殿下が皇室にいる異能持ちのカレンを呼び寄せると言っていました」

 マリアンヌが青ざめる。

 「カレンですって? 彼女は今皇帝にお仕えしているのに」

 テオドールが首を捻る。

 「カレン、とは?」

 マリアンヌは唇を噛んだ。


 「カレンは皇帝専用の透視の異能を持つ人物です。箱の中の物を開けずに透視したり、外交で読む前から誓約書等の中身を読み取る事が出来るのです。恐らく遠く離れた対象者の場所までは分からなくても、誰といるのか等のイメージ図は見えるかと」

 「なるほど……しかし、皇帝の専属異能持ちを呼び出せるほど甘くはないと思うよ?」

 マリアンヌは首を振った。

 「アレクシスは狡猾な男です。恐らくカレンの家族の命を楯に脅してくるでしょうね」

 優れた異能持ちが生まれても、属国であるピレーネ公国は皇帝に異能持ちを献上している。

 これがピレーネ一族が衰退した原因でもあるのだ。

 高い能力がある者は皇帝のもの。
 使い捨ての駒のように利用されてしまう。

 異能持ちを欲しがる皇帝や貴族達は愛妾にしたり婚姻をしたりしてその能力を受け継ぐ人間を作ろうとしてきた。

 結果、ピレーネ公国は純血の異能者がいなくなりその力はどんどん衰退する事になるのだ。


 「カレン、という女性は遠くの対象者をどの程度視る事が出来ますか?」

 ルイスが興味を持ったようだ。

 ローラが手を挙げる。

 「はいっ! 私、見た事があります。カレンは近くの物は凄くよく視えますが、遠くになればなるほどイメージ図みたいにしか視えません。恐らく顔までは分からないのでは?」

 「なるほど……しかしマリアンヌが男性と一緒にいるイメージくらいは分かるのだな?」

 「そうですね。恐らく」

 テオドールはニヤッと笑った。


 「よし。そのカレンとかいう女性の異能を利用してみよう。マリアンヌさえ嫌でなければだけど」

 「? ええっと……何をどう利用されるのです?」

 テオドールはマリアンヌの肩を抱き締めるとそのふっくらとした白い頬に唇を寄せた。

 「きゃあ! なっ、何を?」

 驚くマリアンヌにテオドールはにっこりと笑いかける。

 「私とマリアンヌがそういう関係だという事を思い知らせる作戦だ。今日からエリーンのゆりかごは、私の寝室へ移動する。今夜から一緒に寝よう」

 テオドールの発言に、マリアンヌは庭園の鯉の様に口をパクパクさせた。

 「いっ……一緒に……寝る……ですって――?」