「お願いします! 私に魔法を教えて下さいっ!」

 赤毛の元気な侍女、ローラに頼み込まれたルイスは困惑していた。

 主への忠誠心には感心していたルイスだったが、いきなり魔法を教えてくれ、というのは流石に違うと言いたい。

 「――ローラ殿、そもそも魔法というのは魔力がそれなりにある人間ではない限り、教わったとしても意味がありません」

 冷静に諭すルイスにローラが食い下がる。

 「魔力なら……あります! ただその力の使い方が分からないのです!」

 ローラのこの言葉に驚き固まるルイス。

 「では、貴女にどれ程の魔力があるのか、今から鑑定してみましょう」

 ルイスの指がローラの額に触れる。

 ――バチン!


 突然火花が飛び散る。

 「……っ!」


 「きゃあっ! ルイス様? だ、大丈夫ですか?」

 慌てて謝罪するローラを見つめたルイスは眼鏡を掛け直す。

 「ローラ……貴女、一体何者ですか?」

 ローラが瞳を泳がす。

 「わ……私は……」


 ***


 転移魔法で夜の散歩に出掛けたテオドールとマリアンヌが邸宅に戻ったのは真夜中だった。

 疲れて眠ってしまったマリアンヌとエリーンを静かにベッドに下ろしたテオドールは、執務室へ向かった。

 驚く事に執務室にはルイスが仕事をしながら待っていた。

 「驚いたな……まだ仕事を?」

 優秀なルイスは密偵であり、護衛騎士でもあるのだが、テオドールの片腕として皇子の仕事の補佐も兼務している。

 「ルイス……少しは休め。お前が倒れてしまったら私が困った事になるからな」


 ルイスはチラリとテオドールを見ると、カチャリと眼鏡を掛け直す。

 「――お気遣い無用です。私は自分の調べものがあったのでこれは業務には入りませんから」

 その言葉にテオドールが興味を示した。

 「――へぇ。珍しいな……お前が仕事以外で興味を持つとは」

 「……私よりも高い魔力を持ちながら魔法が使えないとか……腹が立ちますので」

 「お前よりも? それは驚きだな」

 ルイスがチラリとテオドールを見つめる。

 「私が魔法で負けたのは後にも先にも貴方様だけですからね」

 ルイスが初めてテオドールに魔法で負けたのは10歳の時だった。
 あの日テオドールに負けて以来、何度も挑戦してみたが一度も勝てずにいた。

 だからこそ、ルイスにとってテオドールは憧れの人物で、越えられない壁でもあるのだ。

 それなのに……。

 「ピレーネ一族の出来損ないねぇ……」

 「――うん? ピレーネ? この書物は……マリアンヌのクズ夫の一族?」

 今ルイスが読み漁っていたのは、ピレーネ一族に関する資料だ。

 ピレーネ公国は元々は、異能の力を持つ一族の集まりに過ぎなかった。
 先々代の皇帝の時代に戦争で異能の力を使い皇帝を救った出来事をきっかけに特別に独立国として認められた。


 しかし、独立した様に見えたこの公国は皇帝から贈られた血の盟約書により、帝国の属国として長年仕える事なったのだ。

 「それで……この一族の何が気になっているのだ?」

 「ピレーネ一族は異能持ちの一族でしたが、近年その能力は衰える一方とか。最も異能の力が出やすい大公家でも、マリアンヌ様の夫の様に異能が全く出現しない事もよくあるとかで」

 「確かに。クズ夫のアレクシスも恐らく異能が出現しない事で見えない重圧はあったのだろう。だからと言って自分の妻を虐げて良い事にはならない」

 「ピレーネ一族には異能持ちにある特徴があるそうです。こちらをご覧ください」

 ルイスが指差した資料には異能が出現する人間の特徴が描かれていた。

 「この髪色……見覚えありませんか?」

 テオドールは歴代で異能が出現した人物の肖像画を見て驚いた。
 ルビーの様な赤く燃える様な髪色……!

 「これは……まさかマリアンヌの侍女、ローラと同じ髪色なのか……?」

 ルイスはコクリと頷いた。


 ***


 ピレーネ一族は帝国でも唯一異能持ちの子が生まれる家系で、かつてはその能力の高さから、戦争が起きれば真っ先に重宝される存在だった。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               
 異能とは魔力持ちが術式を使い魔法を形成するのではなく、持って生まれた才能、生まれつき持つ能力の事をいう。

 普通、魔力持ちの人間が1つの魔法を使える様になるのに何年も修行を積まなければならないのに異能持ちは念じるだけで魔法が使える。

 昨夜、ルイスに自分がピレーネ一族の出来損ないの魔力持ちである、と告白してしまったローラは自己嫌悪に陥っていた。

 (やはり、焦り過ぎたのかも。私が魔力持ちの出来損ないだって事はマリアンヌ様もご存じない事なのに)


 ローラの家はピレーネ公国の中で大公家の遠い親戚筋であるブロア家。

 ピレーネ公国は元々小さな集落で細々と続く異能持ちの一族に過ぎなかったのだ。
 
 大公家もピレーネ一族も今や純血のピレーネ族はほぼいない。

 だから年々異能の力が薄れていくのは時代の流れなのだが、いまだに長老会の面々は昔の栄光を取り戻そうとしている。

 「ローラ? どうしたの? そんなに思い詰めた顔をして……」

 「ぴゃっ! ま、マリアンヌ様っ……!」

 気付くと後ろにはエリーンを抱いたマリアンヌが立っていた。

 「マリアンヌ様っ! も、申し訳ありませんっ。ぼんやりしてしまって……ああっ! 公女様っ……いえ……エリーン様、お早うございます。マリアンヌ様は昨夜の騒動でお疲れでしょう。私がエリーン様を見ておりますので少しお休みになられた方が?」

 マリアンヌは、少し顔を赤らめると咳払いをした。

 「コホン……き、昨日は動揺して申し訳なかったわ。まだまだ未熟な母親で本当にローラには心配ばかりかけて。でもテオドール様に少し肩の力を抜く方法を教わったから今後は冷静に対処出来ると思います」

 ローラはこんなにも自分が産んだ子を全力で育てようとしている貴族女性がいる事に感銘を受けていた。

 普通は家門の為に婚姻し、子を産むまでが仕事。
 産んだ子の世話や育児は全て乳母と侍女がするのに。

 おむつまで替えてお世話をする方など見た事がない。

 (でもマリアンヌ様曰く赤ん坊の体調はおむつ交換の時が一番分かるのだとか)

 洗濯までしようとしていたマリアンヌを必死に止めて洗濯はメイドがする事で落ち着いた。

 「それで……ローラは何故そんなに難しい顔をしているの?」

 どうしよう……。

 でも、これからルイス様に魔法を教わる事になればバレてしまう。

 ローラはゴクリと唾を飲みこむと主人であるマリアンヌに告白をした。

 「――マリアンヌ様……今まで黙ってお仕えしてきましたが……わっ、私は異能が発現しない出来損ないの魔力持ちなのですっ! 大公家の採用試験では魔力持ちだという事で侍女に抜擢されましたが、実は魔力はありますがその……魔法も使えない魔力持ちでして。ルイス様に魔法を教わりたいと昨日お願いしたのです!」

 「えっ……?」

 マリアンヌが目を丸くして固まっている。


 (あぁ……おしまいだわ。私が侍女に選ばれたのは不測の事態になった時に魔力を使ってマリアンヌ様を守る為だった筈で。今から頑張りますってのは絶対に違うわよね)

 下を向いたままローラは目に涙を浮かべた。

 (でも……それでも、この方にずっとお仕えしたかったなぁ)

 マリアンヌはエリーンを片手で抱き、もう片方の震える手でガシッとローラの肩を掴んだ。

 「ローラ……あなた……」

 ローラはぎゅっと瞳を閉じて謝罪した。

 「本当に……申し訳ありませんでし……」

 「素晴らしいわ! ありがとう! ローラ!」

 ――はい?

 気付くとローラはエリーンを抱いたマリアンヌに抱き寄せられていた。

 (な、何がどうなってるの――?)