溢れる涙が症状のせいなのかすらもう分からなかった。両親は神妙な顔でスマホに表示された病気の説明を読んでいた。
 そして、最後にこう言うのだ。

「奈々花、今週の土曜日に病院に行ってみよう」

 あまりに受け入れるのが早いのは、きっと両親も私を見ていて心当たりがあるから。それが悲しいのに、私の心は諦めがついているようだった。
 病院の先生は私の症状を聞くなり、いくつか質問をした。そして中学二年の六月十日、私は「頻発生哀愁症候群」と診断された。
 それからは模索続きの日々だった。出来るだけ一人で症状を和らげたいのに出来なくて、私は泣き続けた。自分が学校を休んでは、親にまで仕事を休んでほしいと我儘を言った。

「ごめん……今日も仕事休んでほしい……寂しい。寂しい」

 感情をコントロール出来なくなり、我儘になっていく。

「奈々花、気持ちは分かるけどお母さんたちも仕事をしないと……」

 そんなある日、お父さんが大きなくまのぬいぐるみを買ってきた。

「奈々花、お父さんやお母さんも働かなくてはいけない。奈々花もそれは分かっているだろう?」