「おじさん、買ってくれない?」
路地裏から表通りにひょっこり顔を出すように少女は言った。
表通りから顔を出した男は品定めをするかのように少女を見る。
男の歳は30代くらいであろうか。しかし、少女にとって相手の年齢は関係ない。青年と呼べる男に売りをしたこともあったし、老人と称してもよい男に売ったこともあった。
表通りから路地裏に立つ少女に近寄った。
「買うって、お前をか?」
少女はこくりとうなずいた。
「いいぞ、いくらだ?」
少女はいつもの値段を口にした。それだけの金額があれば、一日の食費は賄える。
「分かった」
男は少女の手を掴んだ。そのまま、表通りに連れて行こうとする。
少女は男の手を離した。
「やめて。ここの細い路でやって。ここの奥、そこの通りから死角になって、人から見られないから」
確かに、少女が佇んでいた路地裏は表通りより薄暗い。事実、少女に声をかけられなければ、男もそんな路地裏など気にもかけなかっただろう。
「人に見られてはまずいものを売ってるのか?」
少女は黙って首を縦に降った。
「俺の家に来るのは駄目なのか?」
少女は首を傾げた。
いつもなら男を路地裏の奥に誘い込み、「買われていた」。
少女が人目に付かないところで商売をするのには訳があった。
少女は11歳だった。初潮もきていないし、胸も膨らんでいない。
11歳を性的対象として見る男は限定されていた。
半年ほど前のことだった。
いつものように、男に己を売った。当時も人目に付かないように選んだ場所だったが運が悪かった。全くの偶然で、通りかかった女性が少女と男性の姿を目撃した。
女性はその場で叫び、周囲から大人達がやって来た。
少女を買った男に大人達は罵詈雑言を浴びせた。
「変態」
「気持ちが悪い」
「相手はまだ子供だぞ」
「この街からいなくなれ」
男は逃げるようにして、その場を去った。
問題は一ヶ月後に起こった。
少女の元に例の男が現れたのだ。
男は無精髭を生やし、アルコールのきつい臭いがした。
男が少女の前に立つ。 
「ちょっと来てもらおうか」
少女は瞬時に、まずいことが起こる、と予見した。が、男の放つ威圧感に耐えられず、男の後を付いて行った。 
飲み屋の裏口で立ち止まると、男は少女を見下ろした。
「俺はなぁ、お前のせいで何もかも失っちまったんだ。お前を買ったことが、俺の周囲にバレて、仕事はクビ。妻も、気持ち悪い、と書き起こしを残して息子と家を出ちまった」
男は歯ぎしりをした。
「こんなことになったのも、お前が俺をたぶらかしたからだ」
言い終わると、男は拳で少女の顔を殴った。
少女はその場に倒れ込んだ。
「お前さえいなければ! お前さえいなければ!」
男は罵りながら、蹲る少女の腹を何度も何度も蹴った。
どれくらいの時間が経っただろう。
男は息を切らせて、少女に唾を吐いた。
それ以降、少女は売りに関してかなり慎重になった。
表通りのなるべく薄暗い場所で男を誘う。
売りをする場所は定期的に変え、一箇所で長いはしない。
万が一、他人に行為が見付かったら、一目散に逃げたし、その場所で決して売りはしない。
それが少女の防衛手段であった。
少女は手順通り30代の男の手を握り、路地裏の奥へと誘い込む。しかし、男はその場で立ち止まった。
「さっきも聞いたけど、どこに行くんだ?」
「ここだと、人目につく可能性があるから、奥の方で」
「そんなに人目につくとまずい商品を売ってるのか?」
「だって……」
「俺は俺の家に来て欲しいんだけどな」
「それは駄目です」
「何で?」
男が少女を買ったことが近所などに露見した場合、またあのように暴力を振るわれるかもしれない。
「うーん、困ったな。俺は君に来て欲しいんだけど」
少女にある考えが浮かんだ。
「分かりました。その代わり、お代は2倍にさせて頂きます」
男の顔が明るくなる。
「そうか。良かった」
男は少女の手を握り、表通りへと歩き出した。
これまで、少女は屋内で売りをしたことがなかった。冷たい地面の上で横になったり、立ったまましたり、男子用のトイレでしたこともあった。
屋内で売りをするということは布団の上で行うということだ。
ふいに男が足を止めた。色々考え、少女はいつの間にか、路地裏からかりな遠くに来てしまったことを悟った。
目の前の家は平屋建ての一軒家。築年数も古そうだ。
しかし、家を持たない少女にとっては素晴らしいもののように写った。
「ここが俺の家」
「はい」
少女は戸惑っていた。 
男の家に来る道中、少女は男とずっと手を握りっぱなしだった。男の近所の人間が見たらどう思うだろう。
「とりあえず、上がってくれ」
男が玄関のドアの鍵を開けた。
その瞬間、少女の鼻を異臭が襲った。
そして、目の前に広がる光景を目にして、驚いた。
男の部屋はかなり荒れていた。
脱ぎ散らされた服。
空き缶とペットボトルの山。
散乱している書類。
埃とそれに絡み付く無数の髪。
男が頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
「俺、部屋を片付けるのが苦手でさ。この家に引っ越してきてからずっと掃除とかしてないんだよね。もう、誰かに頼むしかなくて、かと言って専用の業者は高いし、悩んでいたところを君と出会ったんだよね」
「えっと、どういうことですか?」
「だから、君を『買って』この部屋を掃除したいんだよね。あ、もちろん、お金は2倍出すよ。こう見えても少しは稼いでるんだ」
「部屋を掃除するだけでいいんですか?」
「うん、買ってくれ、と言ったのは君からだよね?」
「服、脱がなくていいんですか?」
「確かに、この有様だと、君の服が汚れてしまうね。手近な替えの服を用意するよ」
「そういうことではなく……」
男は少女の口にしている意味が分からず、首を傾げている。
身体を売らなくていいんだ!
身体を売らずにご飯を買うお金がもらえるんだ!
少女の心は多幸感に溢れた。
少女の顔が11歳のそれになった。
「さて、どこから掃除をします?」
これが男と少女の出合いだった。