ゴドルフィン王国のギャロウェイ伯爵家は、建国以来、商業や貿易で名を馳せており、国内外に広がる貿易ネットワークをもっていた。アリッサはそのギャロウェイ伯爵家の長女である。

 サミー・ウィルコックス伯爵はアリッサの婚約者であり、サミーの領地にはダイヤモンド鉱山があった。その事業の発展のためにも、ギャロウェイ伯爵家の貿易ネットワークを欲していたので、アリッサとサミーは純然たる政略結婚のために婚約した間柄だった。


 アリッサとサミーが出会ったのは、アリッサが10歳の頃である。ウィルコックス伯爵夫妻と共にギャロウェイ伯爵家を訪れたサミーに、アリッサは思わず見とれてしまう。あまりにも珍しい水色の髪と瞳だったからで、顔立ちも精巧に作られた人形のように美しかったからだ。

 「こちらはサミー・ウィルコックス。私たちのひとり息子です。アリッサ様より2歳年上ですの。こうして並んでいると、二人はなかなかお似合いだと思いますわ」

 ウィルコックス伯爵夫人はサミーをアリッサの隣に並ばせると、品定めをするような眼差しをアリッサに向けた。

「まぁ! 噂どおりの麗しいご子息でいらっしゃいますわ。こちらは、私どもの長女でアリッサと申します。女の子らしい華やかさはいまひとつですが、すでに複数の国の言語を話せますし、貿易に必要な知識が身についておりますのよ。やはり、女性は旦那様をしっかり支える教養が大事ですからね」

 ギャロウェイ伯爵夫人はアリッサの頭の良さを強調したが、娘の容姿は褒めるどころか、「いまひとつ」と表現した。アリッサの顔がほんの少し曇る。だが、ギャロウェイ伯爵夫人は、少しも娘の表情の変化に気がつかない。熱心にウィルコックス伯爵夫妻にアリッサの長所を話し続けた。
 
 また、アリッサの父であるギャロウェイ伯爵も、娘の利発さをアピールする。
「アリッサはこの年齢で、既に帳簿の監査や資金の流れを的確に把握できる能力があるのですよ。努力家でとても賢い子です。それに、ギャロウェイ伯爵家は建国以来、商業や貿易で名を馳せており、国内外に広がる貿易ネットワークをもっておりますからな。私たちが提携しあえば、ますます両家は繁栄することでしょう」

 政略結婚とは両家の利益や繁栄を目的として結ばれる結婚である。お互いの利害関係の一致がもっとも大事であり、まずは自慢話から始めるのが慣習になっていた。

 今度はウィルコックス伯爵夫妻が自慢する番である。早速ウィルコックス伯爵夫人が、得意げに話を切り出した。

 「それは素晴らしいことですわ。なにしろ、ウィルコックス伯爵家には毎年、莫大な利益を生み出すダイヤモンド鉱山がありますでしょう? それをきちんと管理できる嫁でないと、ウィルコックス伯爵家にはふさわしくありません。ですから、アリッサ様は当家にぴったりのお嬢様ですわ。大変、良いご縁ができました。両家の富や地位の安定・拡大、影響力を高めるために、二人の婚約を進めることにいたしましょう」

 両家の親たちが満面の笑みでシャンパンを飲み、にこやかに話を進めるなかで、まだアリッサはサミーをじっと見つめていた。

(水色の髪と透き通るような水色の瞳が、窓から差し込む陽の光を受けてキラキラと輝いて・・・・・・とっても綺麗)

 サロンの窓から流れ込む爽やかな風に、サミーの髪が優雅に揺れ、その美しさを一層際立たせていた。彼の水色の瞳は、まるで澄み切った湖のように清らかでありながら、深い静けさを湛えている。

(仕草や立ち居振る舞いも、どこか洗練されていて優雅……まるで絵画の中から抜け出したようだわ)

 こうして、サミーはアリッサの初恋の相手となった。夢見る年頃の少女にとって、サミーの存在は白馬に乗った王子様そのものに映ったのである。

「アリッサ。サミー卿と庭園をお散歩したらどうかしら? ゆっくり、二人でお話しなさい。もう、あなた達は婚約者同士ですからね」

 母親から提案されたアリッサは、サミーを誘い庭園へと向かった。ギャロウェイ伯爵家の庭園は、色とりどりの花々で彩られるというよりも、端正に刈り込まれた木々が整然と並ぶ空間だった。屋敷を囲むように植えられた生垣は、まるで緻密な彫刻のように均整が取れ、一本一本の木が丹念に形を整えられている。

 その庭園を二人で歩きながら、アリッサは緊張しながら、サミーに尋ねた。

 「サミー卿は素敵ですね。とても綺麗だわ。それに比べて、私は平凡です。がっかりなさいましたか?」

 「がっかりだなんて、むしろ感心したくらいさ。アリッサ嬢はとても優秀なのだね。既に複数の言語を話せ、帳簿の監査や資金の流れを的確に把握できるとは・・・・・・すごいなぁ」
 サミーはアリッサを賞賛しながら、自分に正式な敬称はつけないでほしいと、頼んだ。

「はい。では、サミー様とお呼びしますね。優秀かどうかはわかりませんが、物心ついた時から勉強しなければいけない環境にいましたので、それが当然と思っていました」

「勉強しなければいけない環境か・・・・・・私も見習わなければね。君には到底及ばないとは思うけれど、私も負けないように頑張るよ。これから、協力しあって仲良くやっていけるといいな」

「はい。よろしくお願いします。どうか、わたしのことは『アリッサ』と呼んでください。婚約者同士なのですから」

 サミーがうなずくと、アリッサの頬がほんの少しピンクに染まった。彼女は母親から「事業を広く展開する将来の夫を支えるために必要な知識です。貴族の娘はみんな政略結婚をするのよ。だから、アリッサがこのような難しいお勉強をするのは、当たり前のことなの。アリッサがお勉強をすればするだけ、素敵な夫に恵まれるのよ」と、言い聞かせられて育ってきた。今、ようやくその意味がわかり、アリッサは満足気な笑みを浮かべた。

(サミー様を支えるためなら、難しいお勉強も喜んでするわ。私、頑張ってきて良かった・・・・・・だって、こんなに素敵なサミー様の婚約者になれたのですもの)

 アリッサは素直にそう思い、自分の幸運を喜んだ。麗しい婚約者とすんなり結婚できて、おとぎ話のヒロインのようになんの不安もなく過ごせるのだと、そう信じ込んでいたのだった。

 

 それから8年の歳月が経ち、サミーは爵位を継いでウィルコックス伯爵となった。ゴドルフィン王国では20歳を過ぎたあたりから、爵位を継ぐことが多い。

 18歳の誕生日を迎えたアリッサは、サミーと王都で一番人気があるという高級レストランに来ていた。その店内は、まさに豪華さと洗練の極みだった。

 扉を開けた瞬間、まず目に飛び込むのは高い天井に吊るされた大きなクリスタルのシャンデリアだ。その光が柔らかくも煌びやかな光を店内に放つ。
 白を基調としつつ、金の装飾が施されたクラシカルなデザインの壁紙が貼られ、細部にまで美しさを追求していた。
 床には深いワインレッドのカーペットが敷かれ、テーブルは上質なマホガニー材で作られており、上には繊細なレースがあしらわれた白いテーブルクロスがかけられていた。

 食器はすべて手描きの磁器で、金と紺色を基調としたデザインが高級感を漂わせる。各テーブルには生花が飾られ、その甘い香りが店内にほのかに漂い、食事のひとときをより優雅に演出していた。
 床から天井まで広がる大きな窓からは、王都の一番賑やかな通りを一望できるようになっていた。窓辺には絹のカーテンがかかり、日中は柔らかな自然光が入り込み、夜には外の街灯や月光が店内を幻想的に照らしだす。

 レストランには、熟練のピアニストが奏でる優雅な音楽が、静かに店内に響き渡っていた。音楽は会話を邪魔しない程度の音量で、心地よい空間を演出する。
 アリッサはサミーが自分のために、2年も前からこのレストランを予約していたことを聞き感動していた。

「とても素敵な店内ですわね。うっとりしてしまいますわ。今日は私のお誕生日のために、このような素晴らしいレストランを予約してくださって、ありがとうございます」

「大事な婚約者の誕生日だから、当たり前のことをしただけだよ。気に入ってくれて、私も嬉しい。アリッサ、お誕生日、おめでとう!」
 
 このレストランは、ちょうど名店が立ち並ぶ大通りに面しており、お洒落に着飾った裕福な貴族たちが、アリッサたちに羨望の眼差しを向けながら通り過ぎる。どんなにお金や地位があっても、このレストランは予約での順番待ちをしなければ入れない。皆が羨ましがるのもわかるから、アリッサは少しだけ得意な気持ちで窓辺の席に座っていた。コースの料理もでつくして、二人はデザートを待ちながら、おしゃべりを楽しむ。

「いよいよ、半年後には結婚式だね」
「えぇ、楽しみです。子供が大好きだから、三人は欲しいと思っています」
「あぁ、賑やかな楽しい家庭を築こう」

 幸せな未来を思い描いて微笑みあうアリッサとサミー。出された料理はどれも美味しく、見た目も素晴らしく綺麗だった。

(私の未来の旦那様はますます素敵になっていくわ。これほど『麗しい』という言葉がぴったりの男性はいない。水色の透明感のある髪と瞳は神秘的で、どんな舞台俳優よりも美しい)

 政略結婚のための婚約者ではあるけれど、アリッサはサミーに恋をしていた。彼のする仕草のひとつひとつが美しくて、見惚れることもよくある。
 サミーは女性から見つめられることに慣れており、余裕の笑みを浮かべアリッサを魅了した。サミーはどんな表情もさまになるのだ。店内にいる女性たちも、チラチラとサミーの姿を羨望の眼差しで見つめていた。

(こんなに美しい男性が、私の旦那様になるなんて夢みたい)

 女性たちの憧れの的である男性を婚約者にもつことは、女性にとって嬉しくないはずがない。アリッサは自分を、幸運に恵まれた女性のひとりだと信じていた。

「素敵なお誕生日を過ごさせていただき、ありがとうございます。サミー様と結婚できる私は、とても幸せですわ。末永く、よろしくお願いします」
「私のほうこそ、よろしく頼むよ。ここの料理は格別だったね。アリッサの誕生日には毎年、ここに連れてこようと思う。今から、10年先まで予約をしておこう」
「まぁ、嬉しい! 10年先だと、私たちの子供も一緒に来られるでしょうか? 家族の良い思い出になりますわね」
「そうだね。行儀の良い子に育てないと、このようなレストランでは食事ができないから、しっかりマナーを教え込まないとね」

 アリッサはまだ生まれてもいない未来の子供たちへの期待に胸を膨らませた。

(サミー様にそっくりの男の子と女の子が欲しいわ。きっと、とっても才能豊かな子供になるでしょうね)

 ところが、不意に現れた思いがけない人物が声をかけてきて、その和やかなひとときを中断させた。

「アリッサ様! お久しぶりね。学園卒業以来よね? 私のことを覚えている?」