安堵して宿に戻った妹はその夜ぐっすりと眠り、早朝に起きて誰よりも早く食事を済ませたあと、ご飯を分けてもらっておにぎりを作った。
 お金と時間を節約するためだ。
 
 毎日、毎日、日が暮れるまでスケッチに没頭した。
 すると、描き始めた頃の稚拙(ちせつ)な画が日を追うごとに精緻(せいち)になっていった。
 そのうち見えなかったものが見えるようになってきた。
 気づかなかったところが気づくようになってきた。
 そして更に精緻なスケッチが描けるようになったが、時間は矢のごとく過ぎていった。
 
 あっという間に1か月が終わり、すり減った数多くの鉛筆と、びっしりと書き込まれた5冊のスケッチブックを持って妹が帰ってきた。
 しかし、そこに描かれていたのは法隆寺の金堂(こんどう)だけだった。
 
 当初は1か月もあれば多くの寺のスケッチができると思っていた。
 法隆寺の金堂、五重塔、中門(ちゅうもん)夢殿(ゆめどの)。そして、唐招提寺(とうしょうだいじ)薬師寺(やくしじ)、東大寺、長谷寺(はせでら)室生寺(むろうじ)……。
 しかし、最初にスケッチを始めた金堂さえも完全には描き切れなかった。
 描けば描くほど新たな発見があり、何度も描き直さなければならなかった。
 日本の古代建築の奥深さを思い知らされたのだ。