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 業界の集まりでオヤジが不在の夜、妹を誘って居酒屋に行った。
 高校を出るとすぐに弟子入りした妹はオヤジを棟梁と呼んで宮大工の道を歩みだしたが、それ以降のことをよく知らなかったので詳しく聞こうと思ったからだ。
 妹は「どうしたの、今頃?」と意外そうな表情になったが、「思っていたより大変だった」と苦笑いのようなものを浮かべて、その後のことを話し始めた。
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 手先が器用な妹は宮大工の技をどんどん吸収していったが、真の宮大工になるのはそう簡単な事ではなかった。
 小さな頃から仕事場でオヤジの真似事をし、弟子入りしてからは寝食を忘れて修行に励んだが、やればやるほど、その奥深さを思い知らされ、何度も何度も壁にぶち当たった。
 しかし、「職人は教えてもらって育つものではない。先輩の技を見て、真似て、その上で創意工夫をして自ら育っていくのだ」という持論のオヤジは基本以上のことを手取り足取り教えることはなかった。
 
 宮大工修行を始めて2年が経った頃、妹はオヤジの部屋に呼ばれた。
 なんだろうと思って前に座ると、「奈良へ行って、国宝や重要文化財を見てきなさい。見るだけでなく、スケッチをしてきなさい。全体像だけでなく、細部をよく見て詳細にスケッチしてきなさい」と1か月分の生活費を渡された。
 
 法隆寺駅に着くと妹は真っ先にその足で寺務所(じむしょ)へ向かった。
 法隆寺では写真撮影もスケッチも禁止されているので特別な許可を得なければならないからだ。
 しかし許可が下りるかどうかはわからなかったので、極度に緊張している上に断られたらどうしようという不安に占領された。
 だから受付で待っている間、膝の震えが止まらなかった。
 
 しばらくして男性職員が現れたので、父親の名前を告げて、預かった手紙を渡し、自分が宮大工修行中の身であることを話した。
 すると受け取った職員から「内部で協議するので翌日出向いて欲しい」と告げられ、妹が帰ったあとに真偽の確認が行われた。
 手紙の内容に間違いがないことを確認した寺務所は、翌日再度会議を開いて特別な許可書を発行することを決め、それを示す腕章を妹に与えると共にルールに従ってスケッチをするようにと釘を刺した。