1か月間悩んだ末に父に向き合った。
 
「大学へ行かせてください」

 頭を下げたが、父は何も言わなかった。
 目を閉じて、口を開こうとしなかった。
 いたたまれない時間が過ぎる中、結局最後まで何も言わなかった。
 その日以来、父は何もしゃべらなくなり、家の中は重い空気に包まれた。
 母の顔からは笑みが消えた。
 
 わたしがしようとしていることは、22代続く才高家を潰しかねない大変なことだったが、自分のことしか考えていなかったわたしにとって伝統という言葉も継承という言葉も鬱陶(うっとう)しいものでしかなかった。
 しかし、父と母にとっては大問題だった。二人が受けている重圧が耐えられないほどの重さになって両肩にのしかかっていただろうし、断絶という言葉が両親の心を(むしば)んでいることは間違いなかった。
 500年続く才高家の誇り高き(ともしび)が、今まさに消えようとしていたからだ。
 そんな時、3歳年下の妹が突然、天地がひっくり返るようなことを口にした。
 
「私、高校へ行かない。宮大工になる!」

「えっ?」

 ひっくり返りそうになったが、妹はケロッとした表情で言葉を継いだ。
 
「私は産まれた時から(みや)という名前で育ってきたのよ。宮は宮大工の宮でしょう。小さい頃からずっと宮大工になるものだと思っていたの」

 妹がそんなことを考えているなんて全然知らなかった。
 父がわたしに指導している横で見様見真似で木を切ったり細工つくりをしていたが、それは子供の遊びのようなもので、そのうち飽きると思っていた。
 
「私は小さい頃、宮大工の棟梁になりたいと思っていたけど、お兄ちゃんが家業を継ぐとわかって諦めたの。でも、お兄ちゃんに継ぐ気がないことを知ったから、やった、って思ったの。だって私の方が手先が器用でしょう。私の方が絶対に向いているの。だから、私がこの家を継いだ方が絶対いいの!」

 当然のことのように妹は言って、父を真っすぐに見つめた。
 
「お父さん、いいでしょう。私が継いでもいいでしょう」

 しかし、父は腕組みをしたまま何も言わなかった。
 娘に継がせるという考えがまったくなかったからだろう。
 何故なら宮大工の世界は男の世界であり、少なくともわたしは今まで一度も女の宮大工を見たことがなかったし、才高家も歴代の当主はすべて男だった。
 だから父が首を縦に振ることは考えられなかったが、それでもわたしが断った以上、妹の願いを聞き入れる可能性はゼロではないような気がした。
 それは妹も母も同じはずで、二人は固唾を呑んで返事を待っているように見えた。
 
「高校には行きなさい」

 父の口から出た言葉はそれだけで、厳しい表情のまま席を立って背を向けた。
 すると「叶夢の大学は?」とこれだけは訊いておかなければならないといった切羽詰まった母の声が父の足を止めた。
 その時、わたしの心臓も止まりそうになったが、一瞬の間ののち後姿のまま軽く頷いた父を見てまた動き出した。
 しかし、安堵する気持ちにはならなかった。
 何かを壊してしまったのではないかという悔いのようなものが心臓をチクチクと刺し始めていたからだ。
 それでも考えを変えることはなく、わたしは東京の大学に、妹は地元の高校に進学した。