母親の実家は薬屋を営んでいた。
 薬屋といっても薬局ではなく製薬会社で、それも日本一古い歴史を持つと言われている製薬会社だった。
 創業は1650年で、300年を優に超える歴史を誇る会社だった。
 大阪で創業したその会社は、当初、皮膚病の薬を扱う卸として出発した。
 取扱薬のほとんどは漢方薬だった。
 その後、長らく卸売業をしていたが、大正になった頃、研究所と工場を建設してメーカーとして歩み始めた。
 研究が軌道に乗ると自社の研究所から数々の皮膚病薬が開発されるようになった。
 性病の薬、水虫の薬、火傷の薬、蕁麻疹(じんましん)の薬、接触性皮膚炎の薬、アトピー性皮膚炎の薬、皮膚がんの薬、肝斑(かんぱん)(しみ)の薬を次々と上市(じょうし)し、多くの患者を救っていった。
 しかし、業界各社間での競争が激しくなると規模に勝る会社に太刀打ちできなくなり、創業330年を迎える記念すべき年に大手製薬会社に買収された。
 その結果、婿養子になって社長を務めていた父親は引退に追い込まれ、社名からも創業家の名前は消えていった。