回廊を抜けて国宝・聖霊院(しょうりょういん)に移動した。
 聖徳太子が祀られている建物だ。
 入母屋造りのすっきりとした外観で、権勢を誇った厩戸皇子(うまやどのみこ)の像が安置されているとは思えない質素さが滲み出ていた。
 
 女性天皇である推古(すいこ)天皇が濃い血縁関係のある厩戸皇子を摂政に取り立てたのは、朝廷に影響力を持つ豪族、蘇我馬子(そがのうまこ)の専横を快く思わなかったためとも言われているが、この狙いは当たり、皇子は次々と革新的な施策を打っていった。
遣隋使(けんずいし)』を派遣して中国の進んだ文化を取り入れたり、家柄に関係なく有能な人材を抜擢する『冠位十二階』や、役人たちの心構えを定めた『十七条憲法』を制定したのだ。
 これによって、天皇を中心とした安定した社会、豊かな国造りが進められることになった。
 特に、『和を以て貴しとなし、逆らうこと無きを宗とせよ』で始まる十七条憲法によって道徳的な規範が確立されたことは、世の中の乱れを正す基盤となるものであった。