高校一年生の夏。

 学校生活にも慣れてきた頃。

 私、森下果穂(もりしたかほ)は未だに隠していることがある。それは私がこの高校生活でずっと隠し通したいことだった。

 それは――

果穂(かほ)、マスク暑くない?」

 いつも一緒にいる高野愛美(たかのまなみ)ちゃんは、下敷きで顔を扇ぎながらそう言った。

「全然暑くないよ。私は平気だから」

「そっかー。やっぱりまだマスク外せないのー?」

「うん。まだちょっとできないや」

 私は苦笑いをしてそう答えた。

「蒸れたりしない?」

「うん。平気平気」

 私はマスクを外せない。

 あることを隠したくて、マスクを外すことができない。

 だから私は、お昼休みでも食事はほとんどしない。食べるとしてもマスクの下から食べられるもの。

 飲みものとか、ゼリー飲料とか、そういうものしか学校では食べたりしない。

「あっ、(あきら)くんおは〜!」

 愛美ちゃんがそう言って手を上げた先にいたのは、神崎晶(かんざきあきら)くん。

「おは」

 いつもクールで笑ったところは見たことがない。

 真っ黒な髪に端正な顔立ち、頭も良くて運動もできる。

 このクラスだけじゃなくて、他のクラスや先輩たちからも大人気。

 私には、程遠い人。

 愛美ちゃんは色んな人に挨拶ができて、すごいなぁって思う。私にはできないや。

 目の前を通り過ぎていく晶くん。

 私とは挨拶せず、目が合うこともなく、過ぎていく。

「晶くん、どう思う?」

 小さな声で愛美ちゃんがそう言った。

「ど、どうって、別になんとも……。ただのクラスメイトじゃん」

「本当〜? 私はかっこいいと思うけどな」

「愛美ちゃんには周人(しゅうと)くんがいるじゃん」

「まぁまぁ、そうだけどさ。ってかまだ片想いですけどー」

 そう言って愛美ちゃんはぷぅーっと頬を膨らませた。

「あれだけ大人気な晶くんだから、きっとみんなお近づきになりたいって思ってるよ」

「そりゃそう! 他のクラスの子も先輩も狙ってるからね! でもさぁ」

「なーに?」

「高校入ってから恋人いないらしいよ」

「そうなんだ」

「あれ、興味ない? 大チャンスなのに!」

「チャンスって言っても、私なんかじゃ絶対無理だから。ほら、チャイム鳴るよ」

「はーい。じゃ、また来るね!」

 そう言って愛美ちゃんは自分の席へ戻って行った。

 愛美ちゃんが座ったタイミングで、チャイムが鳴り響いた。

 ◇◇◇

 放課後。

「それじゃ、部活行ってくるね! また明日!」

「うん。またね」

 部活がある愛美ちゃんを教室で見送ったあと、私はみんながいなくなるのを待った。

 特に用事があるわけでも、勉強のために居残りしているわけでもない。

 ただ、放課後の静かな教室に一人でいることがなんとなく好きだった。

 私はみんながいなくなるまで本を読んだ。

 足音が遠くなり、騒がしかった声が聞こえなくなると、本を閉じて伸びをする。

「ん〜……。はぁ」

 今朝はあんなこと言ったけど、本当はマスクなんかしたくない。

 こんな真夏にマスクなんて自滅行為。

 私はキョロキョロを周りを確認してから、マスクを外した。

「はぁ〜〜〜〜。新鮮な空気だぁ」

 深呼吸をして、酸素を取り込む。

 私がマスクをしているのは、口元にあるホクロを隠したいから。

 中学生の時、クラスの男子に馬鹿にされてから、ずっとコンプレックスだった。

 家にいる時くらいしかマスクを外せなくなって、学校でマスクを外すことなんかできなかった。

 こうやって一人の時にマスクを外すのは開放的で、呼吸をするたび心地がいい。

「まだ誰も来なさそうだし、もう少し外しておこう」

「いるけど」

「え"っ‼︎」

 声が聞こえた先を見ると、教室の入り口に立っていたのは――

「晶くん……‼︎」

 私は焦りながらもバッと勢いよくマスクをつけた。

 もう手遅れだけど、心臓がバクバクして止まらなかった。

「み、見た……?」

 私は恐る恐る聞く。

「見ちゃった♡」

 そう言う晶くんの顔は、今まで見たこともなかった笑顔だったのです。

 私は恐ろしくなりながら、あわあわと慌てる。

「み、見なかったことにできませんかっ‼︎ 忘れて! 忘れてください!」

「もしかして、ホクロ隠してたの」

 ぎゃー! 見られてる! ちゃんと見られてる!

 また、あの時みたいに馬鹿にされるんだ。クラス中に広まって、みんなにマスク取れって言われるんだ……!

「いいじゃん。色っぽくて」

 い、色っぽくて……?

「なななな、なんですか。色っぽくてって……」

「俺、忘れ物取りに来ただけだから。じゃあね」

「あ、ちょっと! 絶対に、絶対に秘密にしてね!」

 私は立ち上がってそう言うと、晶くんは振り返ってこう言った。

「いいよ、秘密ね」

 そう言った晶くんの表情は、まるでおもちゃを見つけた子供のような笑顔でした。

 そうしてガラガラと音を立てて教室の扉が閉まる。

 私はヘニョヘニョと力なく椅子に座った。

「な、なんで晶くんにバレちゃったんだろう……」

 この時の私はまだ、晶くんが黒王子だと知らなかったのです。